TheBazaarExpress58、言語学の泰斗が究める人間学~言語学者・鈴木孝夫編

言語社会学者・鈴木孝夫の最新刊『日本語教のすすめ』(新潮新書)を読んだ後で、私は様々な場所で様々な人たちに同じ質問をぶつけてみた。

―――日本語が世界的に見ると大言語だという事実を知っていましたか? 日本語が国連の公用語になる日がくると思いますか?

鈴木が同書で書いているこれらの説を問うと、多くの人が笑って答えた。

「えっ、日本語は日本人しか使わない少数言語でしょう」「国連の公用語になるなんて無理に決まってるじゃない」

たまたま同じ時期に訪れたジュネーブで出会ったILO(国際労働機関)シニア・テクニカル・スペシャリストの荒井由希子も、この質問に対してこう言った。

「国連では基本的に英語フランス語スペイン語がメインです。日本語が公用語化するのは想像できません」

そんな日本人の共通認識に対して、鈴木は言語学者として大まじめにこの説を説く。その存在は国内よりもむしろ世界で高名だ。客員教授として滞在した国はイギリス、ソ連(当時)、フランス、カナダ、オーストラリア等。客員フェローとして滞在したケンブリッヂ大学では、400回以上もハイテーブルで食事をし、居並ぶ教授陣と英語で対等に議論を交わしてきた。国内でも、1973年発行の著書『ことばと文化』(岩波新書)は、約40年間で約80万部読み継がれている。

その学者に以下のように語られると、日本語に対する見方も変わってくる。

「日本人は世界の中では口のきけない巨象、自動金銭支払機と言われています。自虐的だし引っ込み思案。日本語は1億人以上が使っているのだから、世界約6000言語の中で上位10位に入る大言語です。経済的にも世界有数の国の言語が、国連の公用語にならないほうが不思議です」

 齢83歳になっても意気軒昂な鈴木の言動は、日本という共同体の中で異彩を放つ。アカデミズムの世界でも、その深窓に留まらないところが痛快だ。例えば雑誌の企画でビートたけしと対談した際には、こう言わしめている。

「先生の本を読みだすと面白くて仕方ありませんでしたよ。先生は言語学者ですけれど、書かれている内容は民俗学や文化人類学の分野だったりするでしょう(後略)」(達人対談「新潮45」07年05月号)

言語学者は通常、言語と名のつく領域内で研究を進めるものだ。往々にして「外国語を何カ国語できるか」を矜恃とし、母語である日本語を研究テーマとする者は少ない。

ところが鈴木は、日本の人文科学系アカデミズムに対しては、「欧米の最新研究が丸善書店に入ってくるとそれを翻訳して事足りる丸善学派」と喝破する。たけしとの対談の中では平然と「日、欧、中近東のポルノ比較論」を展開し、「日本のポルノは芸が細かく多層的芸術、欧のポルノは肉弾相打つで終わり、性交はあっても情交はない」と解説。思わずたけしも「そのせりふはいいですね」と笑いだすほどだ。

メインとするテーマは日本語論で、『ことばと文化』では「日本語の自称詞と対称詞の構造」を説いている。日本語では親族間において、目上の者には人称代名詞を使って呼びかけることができない。父親に向かって、通常「あなた」とは言わない。あるいは欧米の言語が「you」「he/she」と相手をしっかりと正面から見据えて話すのに対して、日本語は「そちら様」「どちら様」等、場所を指して間接的に相手を想像させる。だから欧米の言語は直接打ち合うテニス型、日本語は壁打ちのスカッシュ型、等々。普段我々が何気なく使っている母語の構造を細かく専門的に調べ、わかりやすいキャッチフレーズと共に語る研究こそ、鈴木のオリジナルだ。

振り返れば言語学への歩みも異質だった。

大正末年に生まれ、東京目黒の青葉台で暮らした少年時代。隣接する西郷公爵邸や山階侯爵邸の広大な屋敷森には無数の野鳥が住んでいた。鈴木はそれらと戯れ、リンネが考案した鳥の二名法の学名を覚えることでラテン語の素養を身につけた。四中(現・戸山高校)卒業後は野鳥の研究家になりたいと、日本野鳥の会の創立者・中西悟堂を訪ねた。すると中西は言った。「その道は厳しい。野鳥は趣味にしてしっかり勉強しなさい」

ならば動物学か。ところが大戦前夜、動物学科に進もうにも道がない。仕方なく同じ生物を扱う慶應大医学部予科に進むと、そこでは週9コマのドイツ語やラテン語の授業が待っていた。中学時代から英語の教科書は学期の始めに丸暗記して、授業中は鳥の学名を覚えていた鈴木は、いつのまにか文学部の学生よりも各国語に長けていた。その結果、医学部本科への進学時に文学部への転部を選び言語学者を目指した。

日本の語学教育のセオリーでは、英語に始まりフランス語やドイツ語等に進む。けれど鈴木は自らの少年時代の志向に沿ってラテン語ギリシャ語から英語フランス語へと進み、必然的に言語学に行き着いたのだ。

けれどそこからの歩みは、端正な風貌の内に宿る強烈な自我ゆえに、茨の道だった。二人の恩師との絶縁を自ら選択するほどに――――。

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