TheBazaarExpress43、「人生で大切なことは全て雀鬼に学んだ」第一章~桜井章一編

1章、雀鬼と部族

「オレはどこかに学びに行ったことがない。

どこぞに成功した人がいる、あそこに素晴らしい人がいると聞いても、出かけて行って学ぼうとは思わない。

むしろ下の子から学んでいる。子供や孫から学んでいる。

どうして人は上からばかり学ぼうとするんだろう。どうして学校の先生は、教育委員会や文部省ばかりみているんだろう。もっと子供から学べばいいのに。子供からこそ、学ぶべきものがたくさんあるはずなのに。

だからここ(道場)こそ、オレの最高の学びの場―――」

「学校や親から教わる美しい言葉。愛とか尊敬とか謙虚とか。オレはそういう言葉に疑問を感じる。違和感が、ある。

 子供を愛する、孫を愛するという感覚も少し違う。

 人間はすぐに「愛」という。でも愛なんて人間が弱いからこそつくった言葉だろうし、誰かが誰かを守るため、誰かの価値観を上げるために後天的につくられた言葉なんじゃないのか。宗教を広めようとするときに、何かスローガンが必要だったから生まれた言葉なんじゃないのか。人はそれに利用されてるんじゃないのか。

 愛で人を育てようとすると、人は見返りを求めてしまう。過剰な愛は邪魔になる。時には愛故に人は人を傷つける。

 動物は、愛なんかで子供を育てやしない。植物に愛は必要ない。でも動物も植物も生命をかけて子供を守る。子孫を守ろうとする。何で人間だけ愛なんて言葉が必要なんだ。

 必要なのは、「本能」だ」

伝説の雀鬼・桜井章一

                  ※

 東京・下北沢と町田を根城に、一疋の鬼が棲んでいる。

その登場は60年代の新宿・歌舞伎町。高度成長前夜、バラックのような木造二階家が立ち並び、ヤクザと愚連隊の姿が絶えなかったその街で、鬼は65センチ四方の麻雀卓から生まれ「雀鬼」と呼ばれている。

俗名は桜井章一、通称「会長」。

麻雀界で「伝説の雀鬼・桜井章一」といえば、政治家や実業家等に代わって打つ「裏プロ」の代名詞。一晩で何千万円もが懸かった勝負でプロを相手に20年間無敗を誇った男として、知る人ぞ知る存在だ。

 その鬼が現役を退いてから約20年、還暦を越えた今も東京都下・下北沢と町田で麻雀を打っている。しかもそこには桜井を慕う若者たちが集まり、「雀鬼会」なるものを形成していると聞いた。彼らは皆アマチュアだが、その腕前はかつて麻雀誌が主催した「史上最強戦」で並いるプロを破って2年連続優勝を飾った歴史でも示されている。

はたしてどんな強面が集まりどんな麻雀が打たれているのか。その集団はどんな性質のものなのか。そして鬼の正体や如何に――――。

 興味といくばくかの恐怖を感じながら、初めて桜井の牙城である下北沢の雀荘「牌の音」を訪ねた日。

私のノートに刻まれたのは、およそ麻雀とはかけ離れたものだった。

「ではこれから雀鬼会選抜リーグ二回戦を始めます。選手は起立してください」

 室内の中央に立つ若者が場をしきる。集まっているのは4卓16人の選手と、周囲を取り囲む約50人、20代から40代前半とおぼしき若者たち。男臭い集団の中に、よく見るとチラホラと女性の姿も見える。

揃いのTシャツの胸や背中には、「素直と勇気」「心温かきは万能なり」等の文字が読み取れる。坊主頭、長髪、スポーツ刈。肥満体型もいれば痩身の者もいる。誰もが目だけは等しく爛々と輝き、体内に充満する「気」がほとばしり出そうな印象だ。

目指す桜井は、隅のソファーに深々と腰掛けて、無言のままに周囲を威圧している。

中央のリーダーが太い声で叫ぶ。

「全員呼吸をあわせて。(しばし沈黙)よぉぉしくおねがぃしゃぁぁす」

「おぉあいしゃぁぁぁす」

 室内に響く気合のこもった挨拶と共に、4卓同時に猛烈な勢いで牌の音が響きわたる。

速い。まずそのスピードが驚きだ。

タンッタンッタンッ。牌を取って捨てる一連の動作に2秒とかからない。誰も捨て牌や手順に迷わない。開始2、3秒で「ポン、チー」という威勢のいい声が響き、2分とかからずに「ロン、3900点です」と一局が終了する。親が二順する半荘が最短で11分、4卓平均でも約15分というスピードだ。

 しかもそれぞれの卓には3人の審判がいる。卓の脇に仁王立ちし、牌の流れと選手の一挙手一投足を凝視している。

雀鬼会のルールには独自の「ペナルティ」がある。「第一打の字牌切り禁止」「テンパイまでドラ切り禁止」等々、通常の麻雀での常識が許されない。そのルールの真意は「どんな配牌でも勝負から逃げないこと、4人全員でいい勝負をつくるためのもの」だと桜井は言う。審判はそんな特殊なルールの番人だ。けれどそれだけでなく、もう一つ凝視しているものがある。

それは、選手の動作の癖や感情面の揺れだ。

「多田さん、身体の芯がブレてます」

「樋口さん、ちょっと気持ちが揺れていますよ」。

 素人目には判断できないような微妙な心身の「揺らぎ」を、審判は試合中にもかかわらず瞬時に指摘する。

思い出されるのは試合前、一人黙々と卓に牌を打ち込む若者がいたことだ。何をしているのかと訊ねると「基本動作を確認しています」。牌を引いてきて捨てる。実に単純な動作に思えるが、身体の使い方、手捌き、牌の扱い方、身体の軸の保ち方等、雀鬼会には基本の型がある。桜井が言う。

「雀鬼会は道場を持ち流派を名乗る以上、柔道や剣道のように基本の型があるのは当然です」

 そう、ここは雀荘ではない。道場なのだ。入り口には「雀鬼流漢道麻雀道場」の看板がかかる。道場であるからには全ては礼で始まり礼で終わる。試合は基本の型に則って進む。勝負もただ点棒を集めて点数で勝てばいいのではない。試合後、4卓全ての結果がでた後で若者たちの視線がもっとも鋭くなったのは、師匠・桜井による「会長評価点」の発表のときだった。

「金村ッ――――、A」

「清川ッ――――、Bダッシュ」。

桜井の言葉に全員からうぉーと歓声があがる。AからCまで、桜井は獲得した点数とは別に、選手一人一人の麻雀の「質」を評価する。合格はAのみ。A’以下は、その打ち筋、心構え、体構え、基本動作等に何らかの「弱み」があったことを意味する。

つまり雀鬼流の本当の勝負は点数の結果ではない。勝負の過程にこそある。

誰もが一人勝ちを狙うのは当然としても、試合の成り行きによっては2着以下の3人がトップを引きずり下ろすために協力することも必要となる。3着の者は2着からはあがらない。1着を引きずり降ろすために、1着の捨て牌を凝視しながら2着と協力する。もちろんそれを言葉でコミュニケートするのではない。互いに相手の意図を肌で感じ合うのだ。

私欲をむき出しに相手を引っかけるような汚い麻雀を打つのも御法度。桜井が言う「公の麻雀」が打てたかどうか。そのプロセスこそが桜井の評価だ。

さらに、試合のルールだけが雀鬼会の特徴かといえば、さにあらず。

雀鬼会では年に二度約3~4カ月単位の期があり、その間に各自目標打数(半荘)を決めてそれをクリアしなければならない。基本は1000打。つまり一週間に半荘を100回近く打たなければならない計算だ。基本動作を確認しつつスピードを落とさずにこの目標をクリアする。それは野球で言えば千本ノック、空手で言えば100人組み手に似ている。考えてプレーするレベルから、無意識に身体が「感じて」反応するレベルに引き上げる訓練だ。

しかもこの数字をクリアするためには、当然のことながら期の間は連日道場に通う必要がある。これ自体が厳しい「修業」だ。

静岡県の高校教師を務めるある者は、終業後電車を乗り継いで熱海から下北沢まで通ってくる。赴任校が下田だった時代は、帰路には終電がなくなるから途中まで車できて列車に乗り継いで週に5回は通っていた。

丸の内の一流商社に務める者は、全国大会に出場する時間を確保するために、家族には「ドイツに3泊5日の出張」と偽ってやってきた。ところが携帯電話をオフにするのを忘れたために、呼び鈴が鳴ってうろたえてしまった。

アルバイトで生活費を稼ぐある者は、一打400円の場代を払うのに四苦八苦している。ある日財布の残金を振り絞って出前注文したラーメンを他のメンバーに食べられてしまい、顔を真っ赤にして抗議した。「今月はあと700円しかないのにどうしてくれるんすか」。

首都圏某市で市長秘書を務める者もいる。仕事を終えて町田道場に駆けつけるのが夜8時。そこから打ち始めて終わるのは深夜12時。その後桜井を自宅まで車で送り届けて就寝は3時。それでいて早朝8時半には職場にいる生活だから、睡眠時間は3、4時間の毎日だ。

道場には、スタッフと呼ばれる「社員」もいる。彼らも雀鬼会のメンバーで、仕事として連日道場を守りながら仲間と共に卓を囲む。それ以外のメンバーは、学校や仕事を終えてから道場にかけつけ、深夜にかけて麻雀を打ち続ける。

誰もが家族や会社の同僚よりも雀鬼会の仲間と一緒にいる時の方がはるかに長い。

少しでも桜井の傍にいたい。息づかいを感じたい。ぬくもりを分かち合いたい。

ただその一心だ。

不文律はまだある。

ここから先は

7,487字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?