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これまで出会ってきた音楽たち 〜私の音楽履歴書(その2)〜

前回では、幼少期から中学生時代まで、中学で洋楽に出会って、80年代洋楽にどっぷりとハマったところまでを書きました。第2回目の今回は、その後の高校、浪人、大学生時代のことを書いていきたいと思います。

古典ギターとカシオペアでアンサンブルに出会い、佐野元春に熱くなる 〜高校時代〜

中学時代に洋楽に夢中になった私は、高校に入ったら音楽をやるぞ!と息巻いていました。自分もあんな曲やこんな歌を、弾いたり歌ったりしたいと思っていたのです。つまり、部活でバンドやりたいと思っていたのでした。

ところが、何の運命のイタズラか、入学した高校には軽音学部がなかったのです!音楽系の部活としてあったのは、吹奏楽部と音楽部(合唱)、そしてあとひとつはギター部だけ、いやもとい、古典ギター部だけでした。

「"古典"ってなんだ?」とツッコミを入れたくなるかもしれませんが、要はクラシックギターの合奏をする部です。しかも私の入った高校は、部活は全員加入制で、必ずどこかの部に入らなければなりません。バンドがやりたかったけれど軽音部はないし、どこかに入らなければいけないんだったら、3つの音楽系の部のどこかに入るしかないなと思い、ある意味仕方なくその"古典“ギター部に入部したのでした。

こうして、バンドをやるはずが、何故か全く方向性の違うクラシックをやることに。しかし実際にやってみると、クラシック自体は子供の頃から親しみはあったし、各パートを合わせて演奏を作り上げていく楽しさに、あっという間にハマっていったのでした。

そんな訳で、毎日コンクールや定期演奏会のための練習に夢中になっていきました。中学でやっていたサッカー部の練習は、キツくて楽しいとはお世辞にも言えなかったですが、ギター部の練習は本当に楽しくて、男子校で女の子は1人もいなかったのに、毎日学校行くのが楽しみでしょうがなかったです。

ちなみに、ほとんどの方は知らないと思うので簡単に説明しますと、私がやっていたギター合奏とは、合奏用ギターという大小様々なギターを使って、弦楽合奏をギターに置き換えるような形で演奏されます(私はチェロに相当するバスギターというパートを担当していました)。

演奏する曲は、モーツァルト、バッハ、ビバルディなどの弦楽合奏曲からオリジナルのギター合奏曲、またポピュラー音楽を合奏用にアレンジして演奏もしていました。一応、コンクールでは全国大会で銀賞まで取ったことがあります(参加校数が圧倒的に少ないので、吹奏楽などとは比べ物にもなりませんが)。

残念ながらその頃の演奏動画はないので、割と最近のものですが、当時からライバルというか、コンクールで私達より常にいい賞を取っていた名門校の演奏をお聴きください。こんな感じで演奏していました(さすがにかなり上手です)。

さて、ギター部のことは語るとキリがないので、またいずれ書くとして、高校時代、それ以外によく聴いていたのは、まずカシオペアスクエアといった、いわゆるフュージョンと呼ばれるジャンルの音楽でした。

フュージョンとは、ジャズをベースとしながらも、そこにロックの演奏スタイルを取り入れた音楽のことで、基本、電子楽器によるバンドスタイルでインストルメンタル(歌なしで演奏のみの曲)を演奏します。

ジャズのように各プレイヤーがソロプレイを披露することもありますが、アドリブはそう多くはなく、メロディや構成は比較的はっきりしていて、ジャズより分かりやすいという特徴があると思っています。

カシオペアとスクエアは、その頃人気を二分していた日本人グループで、各メンバーの演奏能力も高く、バンドとしてのサウンドも精緻で、ギター部でアンサンブルに目覚めた私には、それぞれのパート同士の絡み合いや、全体のアンサンブルの完成度の高さなどに非常に惹かれていました。

下に紹介するカシオペアの「Mint Jams」というアルバムは、ライブ音源をもとにスタジオで更に作り込みをした作品で、ライブのエナジー感とスタジオ録音の精緻さを併せ持った名盤と言われているものです。特に1曲目「Take Me」の最初のスネアの一打と、キーボードの和音がめちゃめちゃカッコよく、当時の私はそれを聴いただけですっかりやられてしまいました。なので、そこだけでも聴いてみて下さい。その他にも「Asayake」「Swear」など名曲揃いです。
(動画ではなく、静止画+音楽です)

そして、もう一人、高校時代に出会ってその後かなり長い間よく聴いていたのは佐野元春でした。

初めて聴いたのは「Tonight」という曲で、彼がニューヨークで新しいアルバムのレコーディングをしている時に、先行シングルとして出された曲でした。ポップで軽快で、都会的なサウンドがとにかくカッコよくて、すぐに最新のベストアルバム「No Damage」を買い、それこそレコードの溝が擦り切れる程聴いていました。

その後発売されたニューアルバム「Visitors」のサウンドが、今までの曲調とあまりにも違っていたので、しばらく聴けなくなってしまったのは、今となっては笑い話ですが、当時はファンの間で相当物議を醸していました(今では大好きなアルバムです)。

恐らく、私が一番沢山ライブを見に行ったことがあるアーティストが、佐野元春だと思います。市民会館クラスのホールから、武道館や横浜アリーナ、そして横浜スタジアムでは、彼の黄金時代を支えたThe Heartlandというツアーバンドとの最後のコンサートも見に行ったりしました。

ということで、高校時代はクラシックからロック、フュージョンなど色んなジャンルの音楽を聴いていましたが、そのどれにも熱く、音楽に燃えていた3年間だったように思います。

カラオケ、アカペラそしてテープ編集に凝る 〜浪人・大学生時代〜

そして、次は大学時代、と行きたいところですが、残念ながら私は大学受験に失敗し、1年間浪人生として予備校に通う日々を過ごしました。受験勉強以外は、息抜きひとつするにもなんとなく罪悪感があったり、言い訳を言いたくなったりしたストレスフルな1年でしたが、そんな浪人生時代を救ってくれたのが、スタレビことスターダスト・レビューだったのです。

ある時、たまたま彼らの「Thank you」という曲を耳にして、その明るくて前向きなメッセージとサウンドに、とっても元気をもらえた思いがしました。それをきっかけにアルバムを買い、彼らの音楽にどんどんはまっていったのでした。

その後、大学生になってからもずっと聴き続け、コンサートにも何度も行きました。私が今まで行ったコンサートの中で、一番いい席が取れたのはスタレビの武道館公演で、なんとアリーナど真ん中2列目という席でした。

当時まだ、チケットは電話だけでなく直接並んでも買えました。発売日当日、新宿伊勢丹別館の裏で開店前から並んでいたのですが、開店前にチケットぴあの店員さんが、その日に発売開始するアーティスト別に列を直し始めたのです。私が並んでいた場所は、そんなに前ではなかったのですが、どうやら他のアーティストに並んでいる方が大多数だったようで、スタレビに並んでいた中で私は1番目で、あっという間にいい席が取れてしまったのでした。

結局スタレビは、その後も大ブレイクするまでは行きませんでしたが、今でも現役バリバリで歌われている姿を見ると、それだけでも元気をもらえます。また、彼らに教えてもらったとても大きなものは”アカペラ”の存在でした。

彼らのライブでは、途中で必ずアカペラを歌うコーナーがあり、洋楽のスタンダードや、邦楽のヒット曲などを独自にアレンジして、伴奏なしで歌とハーモニーを聴かせてくれました。私はそこで初めて"アカペラ"というものに出会ったのでした。

もともと、歌の中でもハーモニーがとても好きで、お気に入りのバンドの多くは、それぞれ独特のハーモニーのキレイさを持っていました。なので、その大好きなハーモニーがさらに強調されたアカペラという形態に、とても惹きつけられたのです。

その頃は、アカペラをメインにした有名なグループは見当たらなかったので、スタレビがライブの1コーナーとして歌ったり、イーグルスやヒュールイス・アンド・ザ・ニュースなどが余興的に一曲アカペラで歌ったりするのをたまに耳にするだけでした。

そんな中で、スタレビが1986年に発売したアカペラミニアルバム「Charming 」は、1枚まるごとアカペラの世界に浸れる、とても貴重なアルバムでした。今聴くと、さすがに少々サウンド的には古さも感じますが、ご存じない方は、一度お聴きになってみてください。

さて、浪人生生活もなんとか1年で終わらせることができた私は、晴れて大学生となりました。入学式も終わり「今度こそバンドやるぞ!」と息巻いてサークルを探していましたが、その頃のバンドサークルは、何故か皆、革ジャン・革パンという出立ちで、それがどうにも馴染めず、結局なぜか普通のテニスサークルなどに入ってしまったのでした。

そうして再び、バンドへの道は遠ざかり、ごく普通の大学生活を過ごしていくことに。インパクトのあるアーティストとの出会いなども特にない中、私の音楽生活に変化を与えてくれたのは、カラオケウォークマンの登場でした。

それまでの私にとって音楽とは、家の中で、あるいはお店やコンサート会場などで聴くもの。歌は家で音楽を流しながら、一人でそこに被せるように歌ったり、または頭の中で流す音楽に合わせて鼻歌のように歌うもの、でした。

ところが、カラオケとウォークマンの登場によって、その付き合い方が大きく変わりました。カラオケができたことにより、歌はまるで自分が歌手になったような気分で、しかも人前で歌うものとなり、ウォークマンの登場によって、外出先でも家にいるのと同じように、音楽に没入できるようになったのです。

これによって、後々私は人前で歌うということをするようになったのだと思いますし、出先で自分の好きな音楽を聴きたいという欲求が、オリジナルテープの編集に熱中するというところへ向かわせたのだと思っています。

そう、このオリジナルテープの編集という趣味は、ちょうど大学生の頃から始まりました。その頃、テニスサークルでの同期だった彼女(現在の妻です)が、音楽に対してあまりこだわりがなく、何でも聴いてくれそうだったため、彼女に季節の雰囲気に合った曲を選んでテープを作ってあげていました。

だいたい、春先、初夏、夏、秋、そして冬又はクリスマスと、年に5本ほど作っていたので、結婚するまでに彼女に作ったテープは、ざっと数十本にもなっていました。結婚して自分の作ったテープに再会することになったのですが、改めてそのボリュームの多さと、それを嫌な顔ひとつせず受け取り続けてくれた彼女へのありがたさに、深く感じ入ったものでした。

ちなみに今、私の手元にある編集テープのうち、最も手の込んだ作り込みをしたものは、映画「波の数だけ抱きしめて」のサウンドトラックです。

本当の意味での"オリジナル"サウンドトラックです!

これを作った当時はもう社会人になっていましたが、その頃この映画の公式のサウンドトラックに入っていたのは、劇中でかかっていた80年代洋楽の曲だけでした(しかも一部の曲だけ)。しかし、私はこの映画の雰囲気を再現するには、それだけでは十分ではないと考えていました。なぜなら、映画の要所要所でユーミンの名曲が何曲もかかっていましたし、また、物語の中心となるミニFM局のジングル(数秒で局名と周波数を告げるもの)がとてもコーラスがキレイで印象的だったので、それもどうしても入れたかったのです。

そこで、サントラ以外の曲は、レコードを買ったり借りたりして集めた他、ジングルについては映画のビデオテープから直接録音したりもしました。具体的には、ビデオデッキとカセットデッキを繋いで、映画を再生しながら録音したのです。こんな方法で録音したのは、後にも先にもこの時だけでしたが、それだけ映画の音楽を忠実に再現したかったんですね。

更に、写真を見れば分かりますが、インデックスにも凝りまして、映画のパンフレットを切り貼りして作りました(切り貼り用にわざわざ複数冊購入)。

表にも裏にも目一杯貼りました!

このテープは、完全に自分で楽しむためだけに作ったものでしたが、大学生の頃、今の妻に作ったテープでも、写真がキレイなインデックス用紙を選んだり(当時はFM雑誌の付録についていたり、レコード屋さんで販売もしていました)、曲目だけでなく、一言解説を書き加えたりと、色々と手を加えて渡していました。

やがて音楽媒体の主流がカセットテープからCDへと移り、録音もパソコンを使ってCD-Rに焼くようになると、曲順を並べ替えるくらいしか工夫の余地はなくなりましたが、カセットデッキを使っていた頃は、1曲1曲バラバラだった音圧レベルを同じレベルに揃えるよう調整したり、曲間の秒数を前後のつながり方で微妙に変えたり、場合によっては独自にフェードイン、フェードアウトをつけたりと、再生時に出来るだけ余計なストレスがかからず、快適に聴けるよう、細かく手を入れていました。今となってはいい思い出です。

とまあ、長々と書き連ねてしまいました。こんなに長くなるとは当初は思ってもいませんでしたが、想定外に時間がかかり、かなりの難産となってしまいました。

まあでも、前回の中学時代も含め、学生時代はやはり一番濃く音楽に接していた時代だったと思うので、かなりマニアックにはなってしまいましたが、書けて良かったなと思っています。

一応、次回は社会人となり、結婚、育児と経る中で触れてきた音楽や、アカペラやゴスペルコーラスグループなどで歌うことに熱中した時期のことなども書こうと思っています。ただ期間としては一番長いので、また難産になりそうな予感がします…。

なので、まだどうなるかは分かりませんが、よかったらまたお付き合いください。

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