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Learning Journey

はじめに

僕の盟友の一人である(勝手にそう思っているのだけど笑)田原真人さんという方がいる。彼は、さまざまな事象を独自の視点で全体構造としてとらえ、それをわかりやすい言葉で翻訳することができる天才である。彼の頭は、どんどん体験と情報をインストールしながら、体系構築を進めていく。

そんな田原さんが同じく僕の盟友の一人であるふじいもんと繋がり、糸島を巡る機会を得た。その体験から『ラーニングジャーニー』という企画を考え出し、先日、田原さんの仲間たちで糸島を巡ってきたらしい。

『ラーニングジャーニー』についてなんとなくコンセプトややることはざっくりと理解しているつもりだが、正確には定かでない。しかし、この言葉はなかなか奥深いと感じている。

今、僕は茨城県笠間市で『友部コモンズ』という活動に取り組んでいる。

そして、田原さんが糸島をモデルとして実施した『ラーニングジャーニー』を笠間市でも行いたいと思っており、笠間市で農泊ツアーを企画運営している大坪さんにようやく相談できた。

その相談の際、『トラベル』『ツアー』のどちらでもなく『ジャーニー』であるところ、そこに『ラーニング』とあるところについて自分なりの考えがあるのだと説明しながら気づいた。このあたりの気づいたことを言語化したくて書くことにした。

ラーニングとは相互の学び合い

『ラーニングジャーニー』とは、単純には、笠間市外の方が笠間市に来て、笠間市のスーパースターたちの場所を巡る旅である。一見すると、笠間でしか体験できないことをツアー客に提供する『体験ツアー』と同じに見えるだろう。

しかし、田原さんが言っていたことで印象に残っているのは、「地域の人たちは自分たちの価値が当たり前になっているが、外の人たちからその価値を伝えられることで、その価値に気づく」という点だ。つまり、地域の方々から外の人が何か体験を通じて学ぶだけでなく、地域の方々も訪問してくれた方々から気づきや学びをもらっているということである。

そこに『ラーニング』という意味が現れてくる。ここでいう 『ラーニング』は学び合いということだ。相互に影響し合う中で、相互に気づきや学びが起きてくるのだ。一方向的なものではなく、相互作用して循環していく学びである。

ありのままを生きられる社会を目指す観光のアップグレード:モノ→コト→ヒト

観光というテーマも変化してきた。以前は例えば、「笠間稲荷」という『モノ』を観光資源として考えていた。最近は、例えば「笠間焼ろくろ回し」「農泊」という『コト』を観光体験として扱う流れが主流になりつつある。さらにもう一段アップグレードして、僕が笠間市でやりたいのは、例えば「農泊先のお父さんお母さん」と「学生」という『ヒト』との関係性を育む観光である。

なぜなら、今、社会に決定的に欠けているのは、人との繋がりだからだ。ありのままの自分でいられる人間関係が少なくなっている。また物理的にもリアルなコミュニケーションの量も減ってきているし、仕事と家庭の関係性にほとんど限られて、地域の人たちや多様な人たちとの交流はなかなかもてない状況もある。

『友部コモンズ』では、一人一人がありのままに生きられる社会を妄想(笑)して活動している。何かを無理して行おうとすることは時として人を歪めるかもしれない。それが過剰になれば、そのような習慣が身につき、自分が自然体でいるのかどうかすらわからなくなるかもしれない。

スウェーデンの国家政策が、国民の余暇活動を充実させることを目的としてつくられている、そのような話を聞いたことがある。余暇活動とは、誰にも邪魔されることなく自分がしたいように過ごす活動時間のことだという。

みなさんは、一日の中に、誰にも邪魔されることなく自分がしたいように過ごす時間をどのぐらいもててますか?

僕はそれを知ったときに、ありのままの自分を生きる時間、それが余暇活動なんだと思い、僕が求めている社会像と重なった。そっか、その目線を持ち続ければ、そういう社会に近づいているか見つめながら取り組めるなと。

社会とは、周囲の人間関係でつくられていると考えている。そして今は何かしていることは価値があるが、それをしていないことは無価値であり、無価値なことはしてはいけないという社会の風潮を感じている。

そのため、余暇活動のような時間よりも、価値創造の時間を効率的に効果的に生み出していくことが当然のことのように思いこんでしまうかもしれない。そういった基準が背後にあれば、もっとそういう価値を生み出せる自分にならなければいけない、ありのままの自分ではいけない、となっていくだろう。そうしてありのままの自分など忘れていく。

そういう社会における人間関係は、価値を認め合えない限り繋がれず、価値がある部分だけ見せ合う表面的な関係性になるのも当然である。そのため、家族という身近な関係性も価値があるものを求めすぎてギスギスし希薄化していくかもしれない。

農泊に来た学生たちが、そこのお父さんお母さんが優しくて帰る時には泣いてしまう、と聞いた。それは、家庭でも学校でも何か価値のあることを求められる状況に対して、来てくれた学生のために暮らしの中にある、お父さんお母さんにすると些細なものを与えてくれる体験、また農業を手伝ってくれることへの承認や感謝が、学生にしたらわからないことできないことがあるのにそのままでいいんだと感じる体験になっているのではないか。

無理をしないでいい、少しでもしてくれるだけでありがたい、このスタンスの人間関係の中に、ありのままの自分を生きる体験が隠れているのではないか。僕は『ヒト』との関係性を育む『ラーニングジャーニー』に、そういった可能性を感じている。

自分が何もしなくてもいていいんだという安心感のある人間関係こそ、人生で重要な人間関係ではないか。そしてそれがあるからこそ、人は貢献したいという意欲が高まり、支え合おうという行動が生まれてくるのではないか。

そういった人間関係は、計画的に探して見つかるものではないし、がんばってできるものでもない(むしろがんばらなくていい状況の中にこそ隠れてるのではないか)。それは、出会いの中にあり、自分の生き方との相互作用の中にあるものだ。

その過程は、『トラベル』『ツアー』のような計画的な旅・行き先が決まった旅ではなくて、偶然の出会いのある旅・行き先がわからない旅、つまり『ジャーニー』である。そして生き方の相互作用こそ『ラーニング』なのだ。

人生としてのラーニングジャーニー

『ラーニングジャーニー』は実は人生そのものであり、ありのままの自分を生きる道そのものなのではないか、笠間市で実施したい企画の話をしていて、そこに行き着いたのだ。

今、『友部コモンズ』の活動をしていて、まさに『ラーニングジャーニー』が起きていると感じている。一人一人がありのままを生きられる社会の実現はものすごく遠い夢かもしれないけれど、『友部コモンズ』を通じていろんな方に出会い、語り合い、一緒に活動したりして過ごしていると、仕事でもないし、プロでもない(実際にはプロ級の人もいたりする)のに、みんなが進んで助け合って笑っているのを見て、今、ここに一瞬かもしれなくてもありのままを生きている時間があるんじゃないかと感じる。

そして『友部コモンズ』でしか繋がれない多様な方々がいて、「コモンズ農園」「オーガニックの店」「ざつだんマルシェ」「ざつだんコーヒースタンド」「ざつだん交流会」「森林再生ワークショップ」「家のリノベーション活動」「かさまSDGsプラットフォーム」と目に見えるのはそんないろいろだけど、僕たちは楽しい人たちと少しずつだけど確かに繋がって、楽しいの相互作用で一段と楽しくなっていってる気がする。

『ラーニングジャーニー』はまだ続く。

田原さんは忙しくしているけれど、笠間市に呼び、『かさまラーニングジャーニー』企画のための『ラーニングジャーニー』をしたいと思っている(笑)

2023年2月27日ふじいもんコメント

素晴らしいまとめ。
そしてそれを読んで僕もインスピレーションがありました。

ラーニングジャーニーで人と人が出会い、それによって変化が生まれ、場合によってはコラボが起き新しいプロジェクトが生まれ、社会変革が起きる。なので、社会変革そのものがラーニングやジャーニーのコンテンツになりうるんじゃないかと思いました。

2023年2月28日田原さんコメント

気仙沼ラーニングジャーニーから帰ってきましたw。笠間ラーニングジャーニー、ぜひ、一緒に考えましょう!

気仙沼ラーニングジャーニーを通して、改めて言語化できたラーニングジャーニーのポイントは、
1)その場所と人から学んで、その価値を言語化したり、その学びから変容することで、その場所と人をエンパワーメントすること。
2)その場所に行くことで変化が起こりそうな人を連れていき、新しいつながりを生み出すこと。
3)ジャーニーの道中で話すことで、気づきが熟成していくこと 
4)ジャーニーをした人同士の繋がりが生まれること 
5)ジャーニーで撒かれた種が、後から発芽していくこと。
などなど。

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