インスピレーションについて
『インスピレーション』ってあらためて言葉にしてみると、どんなことなんだろう。
"Inspiration"って"In-spirit"から来てるらしいが、「スピリット、つまり精霊がやってくる!」的な感じかしら。
"Spirituality"も"spirit"との繋がりがある言葉のようだけど、日本語で『スピリチュアル』とかいうとちょっと特別な感じになってきてるような感じもする(ま、言葉に限らずあらゆることを、人は自分が使いたいように使っているものだよね)。
僕の中で"Spirituality"はなんか特別な感じではなくて、例えば『精神性』というと『武道』とか『茶道』とか、なんか道に通じることにも思えてくる。
八百万の神を信仰してきた、『日本』と呼ばれる島に長いこと暮らしてきた人たちが、アミニズムをベースにした世界観をもっていたと聞いたことがある。
『アニメ』と『アニミズム』も繋がっているとかとも。
日本では『ゆるキャラ』なんてものがあるけど、あれ、まさにアニミズムの名残やろなと、八百万の神の名残。
これは、日本に長く住む人たちや日本文化に影響受けた人たちの中にある『精神性』のひとつだと思われる。
豊かな自然の恵と人知の及ばない自然の脅威を暮らしの中で感じながら、自然と共に生きてきた人たち。
そしたら多様性を感じないわけがない。その多様性の織りなす美しさと容赦なさにこそ、巡り巡る循環する営みが見えていたはずだ。
その人知を超えた存在ひとつひとつに『精霊』を見てたのだろうね。
僕らは、生かされてるよね、まちがいなく。
すべて与えられたものによって、僕らって生きている、と言ったら言い過ぎだろうか。
メキシコのシャーマニズムにあるシャーマンになるための最後の儀式に"Vision Quest"というのごある。
食べ物などは何も持たず、砂漠とかどこかに置かれて帰ってくる、みたいなやつだったと思う。
例えば、砂漠で倒れそうなときに鳥がやってくる。その鳥を射落として食べ物を手に入れ、帰ることができる。
だとすると、なぜ鳥はやってきたのか。なぜそれを射落とせたのか。
メキシコのシャーマニズムでは、こうして帰還することはその者が生きるべき(必然の「べき」)して生きたという証であるだけでなく、その者が世界と協調し非の打ち所がないやり方でその手がかりをつかまえた証でもあるからだ。
僕らにこのことを当てはめると、常にね、世界から必要なものを与えられてる、ってことなんじゃないかって。
ここまで読んで、「だから何?!」って人もたくさんいる、いや、いないか。読む人がそもそもたくさんいないよな(笑)。
思い出してほしい、『インスピレーション』の話だった。
インスピレーションは、まるで突然、頭に閃く何かとか、思ってないかしら?
僕はそこをとらえ直している。
インスピレーションは受け手である私が気づいたときに使われる言葉ではあるが、世界は常に与えてるのではないか。
そこで昨日、たまたま本屋に寄ったので、そのことを意識して本棚を回った。
何を意識したか、って?
世界は常に与えている、それに気づくことがインスピレーションとするなら、毎日いくらでもインスピレーションがあるってことだと。
ビジネス系をまわった。それからアート、小説エリアと回った。
目を引く本、気になる本を次々と手に取った。
それぞれの本から出てきた言葉たちが繋がり合って、何層ものアイディアを生み出して、新しい取り組み案を構成し始めたのだ。
そんなに長くない時間で、こんなに豊かな『思いつき』が生まれるのだ。きっと『精霊』の仕業にちがいない(笑)。
ちょっと意識したら、いくらでもアイディアが生まれることを実感した。
昨日は本棚から探索したけれど、毎日たくさんの体験をしている。あらゆることをしている。ミスもあれば、困り事もある。
そんなことすべてがアイディアの源泉である。
アイディアを生み出すことはエキサイティングだ。
しかし、待て。インスピレーションはただの頭の刺激に過ぎない。
現実を生きる上では、その『思いつき』に現実化させる機会を与えることが必要だ。
それが、『試す』ということ、つまり『実験』だ。
これからのキーワードは『実験』だ。
で、ここまで考えた結果、これを誰もがやれるはずだとしたら、どのような頭の状態をもてばいいか考えた。
それはこんな感じ。
出来事の中にあらゆるアイディアが隠れている。それをもしつかまえたら72時間以内に実験を始めることだ。
最も簡単な最初の実験は、誰かにこのアイディアを話すことだろう。
まとめると、インスピレーションは意識したらいくらでも溢れてくる。そして、インスピレーションに現実化する機会を与えるために『実験』を始めるのだ。
【蛇足】
おそらく些細なことの中に何十とアイディアが隠されている。
それに気づいたら機会を与えること???
アイディアの全部に機会を与えるなんて、さすがに多動なオレでも無理かな。
そこで次に考えたのが、『器』が必要なんだと。
『器』ってのは、実験をするための受け皿だ。
どんな『器』か。
そこを明らかにするには、最近ずっと取り組んでいる作業が役に立つ。
簡単に言うと、自分の全体像と濃淡、である。
これは、今日のテーマから逸れてしまうので、別の機会にした方がいい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?