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つらく苦しかった不妊治療を振り返る


不妊治療を振り返ろうと思う。

苦しかった数年。SNSで見かけてしまう友人知人の妊娠出産報告や子どもと過ごす行事の様子。目撃するたびに黒い感情に支配されてしまい、自己嫌悪に陥る日々。

思い出したくないのが本音だけれど、振り返ることでもう一度気持ちの整理ができたら、誰かへのエールになれたら、いいなとおもって書くことにした。少しずつ書き進めていたら何ヶ月も経ってしまった上に、文章量も多く過去最長の大作になってしまった。

お時間のある時にちょっとずつでも読んでもらえれば幸いです。



今後の方針


年末に血液検査での陽性判定、年が明けてから胎嚢確認、心拍確認、予定日の決定と関門を突破してきた。
そして母子手帳を入手し、「不妊治療」という枠を抜け出した。

治療中、誰にもぶつけられなかった思いを、どうにかアウトプットすることで整理したくて、ルーズリーフを買った。つらい思い、悩み、悲しい気持ちを紙に書き綴った。涙で滲んだページもある。
それを書くことですっきりする一方で、どうしても独りよがりになって、どんどん黒い感情が出てしまう。だんだん見返したくないものになっていく。

そんなときにnoteに出会った。
誰も知らないこの場所で、同じ様に悩み闘う人がいることを知った。
ここで、誰かに見られることを前提に、ある程度気持ちを落ち着けた上で文字にすることを知った。悩みも辛い気持ちも、見られたりイイねがつくことで、少し楽になる気がした。特にコメントはせずとも、いいねだけを送り合う関係、仲間のような戦友のような人ができて、うれしかった。


だからワタシは、今後もnoteを続けていきたい。妊娠中のことも、産後のことも書けたらいいなと思う。リアルなワタシのことを誰も知らない場所で、ココロのアウトプットをしていきたい。

不妊治療仲間じゃなくなることで、離れる方もいるだろうけれど、またいつか巡り会えたらいいなと思う。




妊活〜不妊治療の経緯

妊活を始める

2019年の秋
生理周期を把握するため、将来のために基礎体温を計り始めた。

2020年の春
身近で仲のいい友人の子どもが産まれ、何度かおうちに遊びに行って友人の子に会ううちに、今までなかった感情が湧いてきた。


「ワタシもワタシと夫の子どもに会いたい。」


避妊をしなければすぐに子どもができると思っていた。「避妊をしないこと」にすごく怖気付いたし、ドキドキした。でも、できなかった。友人は基礎体温を測って、狙い撃ちしたら一発だったらしいのに。

現実はそう簡単じゃないんだと妊活で初めての挫折。

そのタイミングで義兄夫婦がご懐妊だと報告を受ける。これもまたつらかった。ワタシたちが初めての挑戦で何の問題もなく授かっていれば、同じ時期に生まれていたであろう甥っ子は、ワタシにとってコンプレックスの象徴のような存在になってしまった。
甥っ子にも義兄夫婦にも何の罪もないのに、勝手なこちらの(というかワタシの)都合なのに、今もなおずっと打ち解けられていないことに、申し訳ない気持ちはある。


そこから何度挑戦しても、順調に生理が来て落ち込む日々。市販の排卵検査薬も使った。それでもだめだった。夫婦仲が良い方とはいえ、「もうすぐ排卵日だよ」とはさすがに言いづらいし、義務のようになるのも嫌だった。


婦人科に通い始める


2021年の3月
半年以上経ってもダメだったことと、急に経血量が増えてソファを汚してしまったことがきっかけで、近所の婦人科を受診した。幸いにも病気等の異常はなく、漢方にて体質改善を始める。

漢方を飲み始めて成果が出るわけもなく、予約制でない婦人科で1時間以上待って漢方をもらうのがバカバカしくなり、次第に通院しなくなった。


2022年の3月
はじめての婦人科通院から1年経っても未だ成果が出ていない。その病院はタイミング法までしか行っていないため、まずはタイミング法を試し、そこからステップアップ希望の場合は転院することになると説明を受けた。


6周期のタイミング法を経て成果なし。
その間も心が折れて2周期ほど飛ばした。


転院とステップアップ

2022年10月
転院し人工受精を始める。
タイミングを取る必要がなく、採精して持参することが本当に気楽だった。夫には朝から申し訳ないけども。
この段階で授かりたい!という気持ちと、これって通常の方法だったりタイミング法と大差ないのでは?という気持ちとがぐるぐるした。
5回挑戦したところで成果出ず。このまま耐え続ける時間もないし、統計的な確率も下がっているので、ステップアップを決意。


さらにステップアップ 体外受精へ

2023年5月
体外受精教室に参加する。
月に2回開催されている教室は、体外受精に進むための必要条件。他に4組の夫婦が参加していて、がんばってるのはワタシたちだけじゃないんだと、少し励まされた。
一方で、ここまでして人工的に授かりたいのか?育てられるのか?と怖くなった。夫に尋ねると、「今までは運でしかなかった。少しでも確率が上がったり、原因が判明したりするのなら、挑戦する価値はあると思うよ。」と返答がきた。なぜか少し安心した。
私たちはお金も体力も精神もすり減らすことに挑戦する決意をした。まだ諦められない。


2023年7月上旬
初めての採卵。
毎日の8時間おきの服薬はアラームをかけながら行った。生活が支配される感覚になった。
静脈麻酔のおかげで、採卵中の記憶はない。でも想像以上に麻酔からの復活がキツかったし、ちゃんと下腹部が痛くて「手術じゃん、、、」と思った。
そんなツラい思いをしたのに、採卵数は6個。正常受精は1個。凍結胚まで培養できたものは0個。何の成果も得られなかった。ワタシは不能なんだ。久しぶりの絶望感。


2023年8月下旬
2度目の採卵。すっかり8時間おきの点鼻薬も服薬も慣れていた。
今度こそ採卵の様子を覚えていたいなと思ったのに、麻酔入れますねと声をかけられて、アルコール消毒液を吸い込んだ時のようなツンとする匂いとともに、記憶がなくなった。
結果は採卵数が8個、正常受精が6個、凍結は5個。前回と比較しても大躍進。うれしい。しばらくこの採卵をしなくてもいい喜びと、チャンスが増えた喜びと、今まで「良い結果」を得られたことがない妊活において初めての成果への喜び。
すぐ次周期にでも移植したかったけれど、OHSSのために見送り。休ませることも肝心。


2023年10月
初移植。移植に向けて薬漬けの日々。
採卵と違って移植はあっという間に終わる。ちょうど喉風邪をひいて体調の変化がわからず。なんとなくダメそうな感覚があった。
結果は陰性。ここまでお膳立てされて妊娠に向かっていたのに、それでもダメなのかと再び絶望した。病院から職場に向かう車で泣いた。


初めての陽性判定〜妊娠

2023年12月
2度目の移植。前回とは違う感覚。胸も張るし、少しだけ胃の辺りがムカムカする。
やっとやっと陽性判定を得た。全くもって実感がない。ここで喜んだら、舞い上がったら、もし万が一のことがあったときに悲しすぎるからと、無意識に予防線を張っている。


2024年1月
胎嚢確認。心拍確認。
毎週受診するたびに、少しずつ大きくなる楕円形の影。今までのエコー映像では見たことのないもの。
○週の壁とよく聞くけれど、本当に毎週の受診のたびに、その小さい丸いものが映し出されるかどうか、存在してくれているかが不安で仕方なかった。
規定の大きさまで成長しているとのことで、予定日が決定した。母子手帳をもらう書類を病院で書いた。その足で役所に手続きしに行った。


2024年2月
病院の受診の予約枠が、「不妊治療」から「妊婦健診」に変わった。担当医師も変わった。
約3年半越しに、ついにワタシは妊婦になれた。





今思うこと


念願かなって、自分のおなかでいのちを育てられている。6ヶ月に突入してもなかなか沸かない実感。
少しずつ大きくなるおなかは、ひっこめようとしても、以前のように完全にへこまない。最近は定期的に、もにょもにょ動き始めた。さすがにこれは"いのち"の存在を感じざるを得ない。

今まで黒い感情と共に見ていた妊娠出産報告も、子どもの様子も、少しは穏やかな気持ちで見られるようになった。

さすがに出産に向けて準備をしなければと思う一方で、万が一何かあったらと思うと浮かれて準備ができない。また、ワタシのように人知れず苦しみながら頑張っている人がいるかもしれないと思うと、周囲への報告も最低限にしかできていない。



不妊治療の期間は辛く苦しかった。今までの人生におけるいちばんの挫折だと言っても過言ではなかった。だって自力ではどうにもできないから。

それでも、結果的に2人で過ごせた年数が増えたこと、2人で不妊治療を乗り越えたことは、ワタシ自身にとっても、夫婦にとっても無駄な時間ではなかった。
信頼しているし、完璧じゃなく自然体でいられるし、仲もいい。2人でも仲良く楽しく暮らせていたからこそ、"いのち"もワタシたちのところに来てくれたのかもしれない。


この苦しみをバネに、他者にやさしくできる人間になれていたらいいなと思う。何事も人生の糧にしていきたいよね。



オワリ

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