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サクラノリの出たトコ勝負 その213(少し さみしいな)

34年前、1988年。
数年に一度ある4月なのに雪が降った次の日、進学の為に長野県塩尻市の実家から鹿児島県鹿屋市へ向かった。駅まで父親が車で送ってくれた。車中での心境、会話の内容、車で別れたのか改札まで送ってもらったのか覚えていないけれど、今でも思い出す光景がある。

電車が動き出し窓の外を見ると一面の雪景色の中、父親が立って見送ってくれていた。

その姿を見た瞬間、不安とさみしさがワクワクを上回った。

きっと、電車が見えなくなるまで見送ってくれたんだろう。
何故そう思うか。
今のオレならそうするから。

今春、長男が進学の為、我が家を出て行く。めでたいことだけど、さみしくないと言えば嘘になる。
単身赴任してた時期があったから一緒に暮らしたのは17年くらいか。
無職の時もあったけれど、ほぼ仕事ばっかしてた。どこかで聞いた言葉の通り、振り返ればあっという間だった。

退院してすぐ、ドラッグストアの駐車場で買い物中の母親を2人で待つ心細さ…
2人きりでお留守番、泣いている理由がわからず濡れてもいないオムツを3回も替えた…
初めて2人で風呂に入り頭を流すつもりが顔面にお湯をかけて大泣きされてオロオロ…

たまに、そして昨日のことのように思い出す。

もう一緒に暮らすことはないのかもしれない。

ほんとにあっという間に大きくなって巣立って行くんだね。

これから今まで以上に、色んな経験をして自分の人生を歩んで行く。

オレ達は、何があっても、世の中じゅうを敵に回しても、オマエの味方だよ。
上手くいかなかったら、辛くなったら、いつでも帰っておいで。
あっ、そうでなくてもたまには帰ってきてね。
旨いモンでも食べよう。

帰って来る場所は守ってる。
新生活を思う存分楽しんで。

ライブハウス最前列に陣取る親子
(パンデミック前)
いつの日か通常に戻ることを強く願ってます。

あの日、お父さんはどんな想いで見送ってくれたんだろう。
今のオレと同じような気持ちだったのかなぁ。

何十年も経って、やっと思いを巡らすことってあるんですね。
その立場にならないとわからないことがある。
わかった気になるだけなのかもしれない。

やっぱり少しさみしいな。

お読みいただきありがとうございます。

お父さんは健在です。


【追記】
令和4年5月4日 午前8時53分(新緑の映える良く晴れた日)に実父 佐倉 酉一 は永眠しました。

お父さん ありがとう。大好きだよ。

音源・文章など、自分なりに更新していければと思っております。 よろしくお願い致します!!!