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私の少年時代が飛んでいった。ドラゴンボール、1コマだけ思い出を選ぶとしたら、このシーンしかない

1984年11月20日 ~ 1995年6月5日

ドラゴンボールの連載期間。私は9歳から19歳という少年時代をドラゴンボールと共に生きていた。

  • ドラゴンクエスト:1986年5月27日

  • ドラゴンクエスト2:1987年1月26日

  • ドラゴンクエスト3:1988年2月10日

  • ドラゴンクエスト4:1990年2月11日

  • ドラゴンクエスト5:1992年9月27日

  • ドラゴンクエスト6:1995年12月9日

ドラクエ。第1作が出た時が10歳。そして、ドラクエ6が20歳の時。

この10年間、私の人生の99%は、ドラゴンボールとドラクエで出来ていた。

ヤムチャ、亀仙人、桃白白、孫悟飯、ピッコロ、ベジータ、フリーザ、セル、ブウ

竜王、シドー、バラモン、ゾーマ、デスピサロ、ビアンカ、フローラ。

数々の強敵。ライバル。友情。敗北。努力。勝利。苦難。大団円。

毎週月曜日のジャンプの発売。ジャンプを手にするや、すぐにドラゴンボールのページを捲り、貪るように読んだ。

ドラゴンボールだけ、まず読んだ。

そして、ジャンプをそっと閉じて、これまでのストーリーと今後の展開を想像し、友人たちとどうなるかを激論した。

私の人生の99%は、本当にドラゴンボールとドラクエで出来ていた。

大学生になり、バックパッカーで世界中を旅した。旅先の安宿のバーで、世界中の旅人と話し合った。

一番話が弾んだのが、ドラゴンボールだった。

みんなが大好きだった。

悟空、ピッコロ、ベジータ、フリーザ。かめはめ波。

1泊1,000円の安宿。世界中からバックパッカーが集っていた。どんなやつとでも、ドラゴンボールの話題を出せば、繋がり合うことができた。

鳥山明先生が亡くなった・・・

ぽっかりと空いた穴。

ドラゴンボール。

いくつも忘れられないシーンがある。数えきれない。

超サイヤ人に変身するきっかけとなったクリリンの爆死・・・あのシーンも忘れられない。

それ以上に。もし1コマ。10年のドラゴンボールの中で、1コマだけ選べと言われれば、迷うことなうこのシーンを選ぶ。

超サイヤ人になった戦闘民族サイヤ人の悟空。フリーザーを倒し、クリリンの仇を打った悟空。
だが、戦闘民族サイヤ人の悟空は、「強い奴」が滅びることへの悲しみも感じていた。本来なら、最終ボスを倒した瞬間、そこには笑顔が溢れるはずが、笑顔はない。嬉しさもない。クリリンは蘇らないから。そして、自分にとっての強敵がいなくなったから。

単純な、おっすオラ悟空!と現れた孫悟空はそこにはいない。

銀河一。宇宙一。誰よりも純粋に強くありたいと願い、それを追い求める悟空。

嬉しさと、達成感と、喪失感と、絶望感。それらすべてが混ざった。悟空の表情・・・

この1コマは、全世界の漫画史上において、並び立つものがない1コマ。これからの100年、いや1000年の時を経たとしても、この1コマを超える「表情の表現」を超えるものは現れない。そんな傑作。

モナリザの表情も足元にも及ばないだろう、、、そんな珠玉の1コマ。

私には、そう思えてならない・・・


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