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障害児童たちの療育を受け持つ場所を妻が創業しました

この度、妻も起業しました。
2023年6月1日、障害児童たちを受け入れる通所事業「ふうせんかずら」をオープンしたのです。

種類は、「児童発達支援・放課後等デイサービス」というもので、県からの認可が必要になる事業です。

1.決意したのが約1年前、そこから1年でやったこと。

  1. この事業のための不動産を発掘

  2. その不動産を取得するための資金調達を実施し購入

  3. その不動産のリノベーションをディレクション

  4. 認可に向けて各種手続きを推進

  5. 認可に向けて3名の有資格保有者を雇用した(最終的に4名雇用)

  6. 認可申請用紙を「紙」に印刷し分厚いフォルダを提出

  7. 福祉事業を運営する会社にするべく就労規則などの準備、社労士、弁理士との顧問契約、社会保険完備の立て付け

  8. 設備投資、事務所用品など調達しオフィス内を整備

  9. 子供達を受け入れるべく内装を楽しくアレンジ

  10. 事業名、ロゴ、ロゴデザイン、ホームページデザイン

  11. 運転資金のため日本政策金融公庫からも承認獲得

  12. 送迎用にトヨタ車を2台

  13. うまく言葉を交わすことができな子供達に「コミュニケーション」を教えたい、そのためのメソッドとして、Picture Exchange Communication System (PECS®︎) を導入 

  14. オープンにあたり全員を集めてビジョンを語るプレゼンをプロジェクターで壁に資料を映してピッチしていた(私は何もアドバイスしてない)

  15. 事業のパーパスを決めた

これだけのことをたった1年で妻はやり遂げた。

県からの認可番号が届いたのは、オープンの前日5月31日。どうにかこぎつけた・・・

当初は、私がかなりサポートしないといけないと思っていたのだが、いやはやほぼほぼ何もする必要がない。あれよあれよと、どんどんと妻一人で準備を進めていった。

妻が働いていたのは2008年までなので、15年ぶりの仕事だった。が、そのブランクをまったく感じさせない。

サービスオープン時点で4名もスタッフを雇えているところからのスタートだ。ITスタートアップで考えたら、なかなかない充実した体制を作り上げている。あっぱれだ。凄い。

2.なぜこの事業をしようと思ったのか?

みなさんは日本にはどのくらい障害者(障害児)がいるかご存知だろうか?

2006年厚労省データによると、述べ総数で600万人を数える。

2006年厚労省より(万人)

人口の6%となる。今回、妻が立ち上げた事業は赤い丸の部分、全国に約17万人いる18歳未満の子供達となる。

今年現在、2023年はどうなっているのか、内訳データがなく、全体ボリュームだけとなるが、このようにこの15年推移している。

驚きを隠せない状況となる。

2018年厚労省より(万人)

実は年々増えているんです。

この中で最も増えているのは、12年で2.92倍となっている知的障害者(児)在宅というカテゴリー。

全体で言えば約900万人。人口が減っていく中、障害を持っている方は増えていっている。人口の8%に相当する。私が昔住んでいたシンガポールの総人口よりはるかに多い。

なぜこの事業を始めたのか?

障害の方が増えているかこの事業を始めた?
900万人もいるからこの事業を始めた?

いずれも「No」です。

私の3番目の子供、息子は今日現在9歳8ヶ月。ですが、まだ発語がありません。言葉を話せないのです。
息子はカテゴリーで言えば、「最重度知的障害」であり「軽い身体障害」も持っています。最重度は最も深刻な部類で、全体の14%、人数にして12万人ほど日本にはいます。

2018年厚労省 知的障害者の構成費

発語ができない息子。コミュニケーションは、なんらかのジェスチャーとこちらからの言葉で行なっている。私たち家族であれば、なんとなくコミュニケーションが取れるが、そうでなければなかなか難しい。

もっとコミュニケーションを取れるようになれないか。

これがこの事業を始める大きなきっかけの一つです。

日本の障害者全体の状況や、それが増えてきていることなど、正直そんな「マーケット」を考える余裕はありません。

ただただ、息子とコミュニケーションをもっと取りたい。

その一心です。

そして、息子がもっとコミュニケーションが取れるようになれば、18歳以降、仕事をする機会に恵まれるその可能性が大きくなると思ったからです。

私が死んだ後、残された息子の人生の光が少しでも明るくなるように。そのために一番必要なのが、コミュニケーションだと思ったからです。

私心から始めた事業なのです。

日本の経済の憂いなどは考えていません。でもだからこそ中身は本気。ここで預かる児童達を見る目は、息子を見る目と変わらぬほど深いものになっていくと思います。

3.PECS®︎とパーパス

コミュニケーション支援の1つのメソッドにPECS®︎*(ペクス)というものがある。Picture Exchange Communication System の略で、簡単に表現すれば、「絵カード」の交換を活用したコミュニケーション手法です。

私はまったくの専門外で詳しいことは全く把握できてないが、そのうち妻は、日本有数のPECS®︎推奨者になると私は思っています。

*PECS is an augmentative and alternative communication system developed and produced by Pyramid Educational Consultants, Inc.[1] PECS was developed in 1985 at the Delaware Autism Program by Andy Bondy, PhD, and Lori Frost, MS, CCC-SLP

wikipedia

まずは、このPECS®︎をフル活用してコミュニケーションのあり方を変えていく。

1人でも多く、うまくコミュニケーション出来ない子供達を減らしていく。
1人でも多く、伝わったという喜びを感じる子供達を増やしていく。

PECS®︎だけでは足りないようならば、ありとあらゆる手法を取り入れ、アレンジし、昇華させていく。

そんな通所場所である「ふうせんかずら」のパーパスがこちら。

ふうせんかずらのパーパス

素晴らしいパーパスの設定。この10年自らの体験から来たのでしょう。妻からこの言葉を聞いた時、私もピンと来ました。

そんな場所にしていけたらと思っています。

4.日本のダイバーシティインクルージョンは如何に低レベルか

シンガポール アンモーキオ公園

みなさんはこんな遊具を今まで見たことはありますか?

これは車椅子に乗った子供も、「車椅子」に乗ったまま遊べるブランコです。

私が以前シンガポールに住んでいた時に初めてこれを目にしました。3番目の息子が生まれる前のことです。

その時私はこんな感想を抱きました。

「なんと珍しいものがあるもんだ」と

今思えば、なんと恥ずかしい感想を漏らしたと思います。珍しくあってはいけないんです。シンガポールには緑豊かな公園がそこかしこにありますが、ほとんどすべての公園にこうした遊具がありました。

どんな子供も遊べるようにと、さまざまに工夫が凝らされた遊具がありました。

こちらの車椅子が乗れるブランコはマレーシアでも見かけました。オーストラリアやニュージーランドもかなりあるようです。

私は日本でまだこれを見たことがない。私の息子もブランコは大好きです。

「日本は子供がブランコに乗って遊べない国」

このように表現されたらどうですか?とてつもなく貧しい国に感じます。しかし、現実そうなんです。日本では、ブランコに乗って遊びたい車椅子の子供達は、その小さな夢を叶えることすら難しい。そんな国なんです。

次の点は、私がやりたいことです。
この「ふうせんかずら」での活動を通じて、日本の障害児童への政策、環境整備、公園整備が、世界に比べて著しく遅れていることを発信していきたい。そしてその打開を、自治体、国に働きかけ、誰もが遊べる公園の数を増やすしたい。それを要求するプレッシャーをあらゆる手段を通じてかけていきたい。そう思っています。

ぜひ引き続きご指導ご鞭撻、暖かい見守りを頂ければ幸いです。


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