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なぜ「育児」について考えない方がよいのか?

概念から考えてしまうことの怖さ

以前キャリアについてこんな記事を書きました

この記事で一番言いたかったことはこの部分になります。

そして、30代になって認知行動療法のカウンセリングを受けて気づいたのは、「将来のキャリア」のような「抽象的で」「大きな」問題こそが、自分の悩みの原因だと勘違いしていた、ということです。

どういうことかというと、カウンセリングをはじめて、認知行動療法のモデルに沿って、自分が何にストレスを感じたかを毎日コツコツと記録してみると、そのほとんどが「同僚が自分をバカにしたような言葉遣いをしてきた」とか「上司から仕事が遅いと指摘された」といった「具体的で」「小さな」ものだったのです。

これは本当に目から鱗でした。自分はキャリアとか専門性みたいな大きなことに悩んでいると思っていたのに、実際は毎日のちょっとしたことが私の悩みのループを発動させるきっかけになっていたわけです。

「将来のキャリア」に悩むことの危険性について

私は20代を通じて自分の「キャリア」についていつも考え、理想のそれと異なる自分の現状を呪い、自分はダメだと自己否定し続けていました。でも、認知行動療法を経て気づいたのは、私は「キャリア」を生きているわけではないということ。キャリアとは抽象化された概念に過ぎず、私が実際に悩んでいたのは、日々の任された仕事(例えば、来週締め切りの会議資料)がうまくできない、上司や同僚から否定的な言葉を言われた、といった「具体的」な事象でした。

これに気づけたこと、その具体的な課題にきちんと向かい合って行動できるようになったこと、が私が強烈な不安のループから抜け出せるようになっていく上で、最も重要なポイントの一つでした。キャリアについていくら考え抜いても、その先にキャリアが生まれるわけではないんだ、という腹落ちが鍵だったんですよね。

私は「育児」を生きているわけではない

そして、翻ってこれは「育児」も同じことが言えるなと思いました。去年1年生だった長女が小学校に行くのを嫌がった時がありました。もともと友人をすぐ作れるタイプでないので小学校の生活は大丈夫だろうかと心配していたので「やはりきたか!」と思いました。

どうしようかとあれこれ考えたのですが、そこでもしかしたらと思ったのが学童の負担です。本人の希望ではあったものの、長女は学童で毎日「お稽古ごと」的なものに参加しており、それが負担になっているのかもと感じました。ただでさえ慣れない小学校生活が終わったあとに、別の学童に移動してそこで数時間過ごして、さらになにかプログラムに参加するとなると、かなり疲れるよなと。大人であっても、仕事が終わったあとに、毎日別のグループに参加して時間を過ごしなさいと言われたら、けっこうしんどいですよね。

ということで、木曜日を「学童に行かない日」として、小学校が終わったら迎えに行って、家で一緒に過ごすようにしてみました。実際にやってみると、好きなおやつを家で食べて、そのあと大好きな読書を静かにひとりで楽しめる時間は本人にとってもすごくリラックスできるものだったようで、日々の表情も明るくなり始め、学校イヤだ問題も(いまも少しあるのですが)徐々に解消していきました。

こうやって振り返って思うのは、あの時に「小1の壁」みたいな「概念」で悩んでたら上手くいかなかっただろうなということです。概念についてあれこれ思考を巡らして悩むのでなく、長女の様子や性格をよく観察して、「具体的に」何をすれば良さそうか検討して実行する。これが結果的に良かったのだと思います。

具体的に、実際に

キャリアも育児も「キャッチフレーズ」に溢れています。それらは多くの人に課題をぱっと理解してもらうには便利ですが、実際の問題解決においては邪魔になることが多いです。我々は「キャリア」や「育児」という抽象概念を生きているわけではなく、それは、すべては目の前にある小さく、具体的な課題や活動の連続なんですよね。

さらに怖いなと思うのは、概念は感情や気分を「作り出してしまう」ことです。例えば「小1の壁」という概念について考え込んだ時に往々にして生まれてくるのはネガティブな感情です。「こんなんじゃ育児と仕事の両立なんて無理だ。本当に疲れる」みたいに。私も育児をし始めた頃はこういう思いに囚われることが多く、その「負のサイクル」で気分が悪化することに悩んでいました。

さらに悩ましいのは、こうした気分の悪化が、実際に起きていることを見誤る原因にもなったりすることです。私の長女の例だと、彼女の日々の様子を丁寧に観察して問題点を探るのでなく、「小1の壁」に関連するネット情報を漁りながら悩み続けていたかもしれません。私自身が概念好きなこともあって、こういう罠にはまりがちなので、最近はここにもすごく気をつけています。

もちろん「小1の壁」という概念整理が必要なアクションへの示唆を与えてくれることもあります。数年前の匿名ブログの叫びが国家的な保育園問題への取り組みを促したように。ただ、今の私としては、そうした概念整理よりも、子どもの日々の様子や言動を「具体的に」よく観察して、その子の性格や特性も考慮にいれながら、いろいろと「実際に」試行錯誤する方がいいだろうな、とこの7年の経験を踏まえて感じています。

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