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相手の言っていること実はよく聞いてない問題

明らかなパワハラなどを除いても、仕事において顧客や上司などから、「厳しい」と感じる指摘を受けることは良くある。その「厳しさ」の難しさは、それを受けた時点では、その価値をよく理解できないことだなと思った。

良く分かってないからこそ指摘を受けるわけだし、自分も分かってないからこそ、何か厳しく言われると焦ったり思い悩んでしまう。いったい何が問題なんだろう、と。 で、いろいろ経験積んで、指摘された課題を克服できた時に、ようやく「ああ、そういうことだったのか」と気づける。

つまり、その厳しさがもたらす本質的な意味は常に遡及的には理解できない。 そんなの当たり前ではあるんだけど、私も10-20代と人から厳しく指摘を受けることが心の底から大嫌いで、いつもその渦中で不安の渦に飲み込まれていたので、この「その渦中では本当の意味を理解できない」問題をどう解くのが良いのかを、同じような相談を若い人から受けながら考えることが最近よくある。

こういったことに関連して、上司が「部下に指示を出してもうまく伝わらない」と嘆く場面は多い。でも、これっていま言った「本当の意味をその時点ではわからない問題」に加えて、部下が上司の言っていることを「聞いていない」問題もある気がする。

で、ここで言う「聞いてない」は、無視してるみたいな態度の問題でなくて、上司の表情や声のトーン、言い方ばかり気になって内容が頭にはいってこない、みたいなこと。その意味で、「聞いていない」より「聞けなくなってしまう」の方がより正確な表現かもですね。

相手の非言語的表現も含めて、話の内容に集中できない要素に引っ張られてしまうケースが、実は多いのではないかということ。 かくいう私がまさにそうで、若い頃は、相手のネガティブなトーンに注意が向いてしまうと、その後はもうぜんぜん話の内容が頭に入ってこなかったんですよね。

だから、はっと我に帰っても、「あれ、何を言われたんだったっけ」みたいに記憶が曖昧だったりした。 こういう特性って最近は発達障害の文脈で語られたりもするけど、より広く、特定の状況や刺激に対しての反応が「学習」されてしまった人は、想像以上に多いのではないだろうかと思ってきている。つまり、聞きたくても聞けないモードに入ってしまうクセを持った人。

私はいま「反すう」の問題にフォーカスしていろいろと勉強しているけれど、こうした論点を「反すう」の文脈で捉えると綺麗に整理できることは多いと感じている。その人の「弱さ」とかでなく、コミュニケーションでうまく相手の真意を掴みきれない、もしくは非言語的コミュニケーションに目がいってしまうタイプの人の課題を反すうというレンズで構造化するところに未来があるような気がしている。

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