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【自己紹介】 noteを始める理由



はじめに

こんばんは、noriyといいます。
度重なる妻へのモラハラ加害により、妻が息子を連れて実家へ別居、離婚が確定しているモラハラ男です。

元妻との電話の内容を反芻し、ネット等で調べることで自身の加害性に気づき、自分がモラハラ加害者であることを自覚しました。モラハラは心の殺人・精神の殺人と評されることもありますが、自分は自身の行為がモラハラであるということに気がついただけであり、自身の加害により、どれだけ元妻の心が殺されたのか、自分は理解できていません。そもそも、自分が殺される側にならないと、加害されることについては真の理解は得られないのではないだろうか?今後、自身の大切なパートナーに自分の心が殺される経験がなければ、自分がどれだけ元妻の心を殺してきたのか一生理解できないままかもしれません。

モラハラは自身の弱さ・傷つきを認めることが出来ない・認めたくないという意識をパートナーに対する怒りや支配といった形で表出することが原因の一つとして挙げられるようです。確かに振り返れば、今まで、自身が感じた負の感情や自分の傷に向き合う事をせず、それを他者に対する怒りに変換して生きてきたこともあり、自分の感情(特に傷つき、悲しみなどの負の感情)を言語化するということが非常に苦手です。

自身の加害者変容に向けて、普段の何気ない出来事に対する自身の感情・思考の分析、そして感情・思考の言語化のためにnoteを始めようと思いました。

profile

・30代男性
・職業:医師
・趣味:飲酒、運転・・・いや、ドライブ、飲酒の順にしましょう。
    なんとかひねり出してこの程度の趣味です。ほぼ無趣味。

現時点での自己分析

自身の傷や負の感情に向き合おうとはしない割に、sensitiveで傷は負いやすい。しかし、対処の仕方が分からず蓄積させ、自身の傷が自分の望む形で癒やされないと不満を蓄積させ、一番大切にしなければならないパートナーに対して加害を繰り返す行動パターン。そもそも、喜びや楽しみにしたって、素面で酒抜きで本当に感情を最後に表出したのがいつかさえ思い出せないくらい自身の感情に向き合えていない。
自分の傷つきはじめ感情への対処に無頓着であるが故なのか、他者の感情(こちらは喜びや楽しみ、悲しみや傷つきを含む全て感情)にはより一層無頓着であり、感情の共有が困難で、共感性が著しく低い。感情を介した、その上で言語化を通じた価値観の共有が出来ない。
人を信じられず、常に言葉の裏を想定し、批判は批判として受け取り、褒めや称賛・労いと言った温かい言葉も裏に批判や嫌味が隠れてないのか、言葉を受け取った後でその意味や裏を吟味する猜疑心に満ちた思考。

今後は・・・

ひとまず、現時点での自分を言語化してみた。酷く生きづらく、扱いづらい人間だった。そもそも、自分で自分を扱いきれてない人間が自分が心地よく感じるように、自分の思う通りにパートナーに扱ってもらうように要求するという無理難題を押し付けるとは・・・自分がどうして欲しいのかも分からないから、キレる・無視するetc.(具体的な加害は後日記載)の行動に出てパートナーを支配しようとする。そしてパートナーの感覚、思考、行動を否定し、人格を破壊し、精神を殺す。
モラハラ男(=自分)は大きな2歳児と聞いたことがあるが、2歳児とは比較にならないほど幼稚性、残虐性、悪質性が高い。

ある程度一気に書いて読み返してみたが、やはり普段から言語化していないからか、文章がチグハグで読みにくい駄文だなあ。何も起こらないところに言動は生じないはず。言動が起こる時は、何かイベントが起こり、それに対して感情・思考が引き起こされる、引き起こされた感情・思考に応答する言動を取るという構造があるのではないか。出来事→感情→言動、まずはこの中で取った言動に着目し、その言動を引き起こした感情を引き出し、分析・言語化してみる。そこに自身の加害的な言動を生み出すパターンや傾向を見出したい。それに対して加害的でない関わりのあり方を分析する。そして、最終的には自身の感情を受容し加害性のない人間関係を築ける人間になることが目標だ。


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