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今日の気になる言葉123

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2020年6月の記事一覧

自分すらろくに励ませなかった。

事を忘れないと、ここ数か月を綴ったイタリアの作家、P・ジョルダーノ(先日の『日本経済新聞』朝刊)。「誰かを元気にするどころか」と書き励ます力も失せる衝撃を語るが、私は今だからではなく感染前から自分を励ましたくなるほど世界は常軌を逸していたと思う。

「悪かったね。」

井筒和幸監督が深作欣二氏に「仁義なき戦い」の舞台挨拶を見て監督になった旨を伝えた際に氏から返ってきた言葉(先日の『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』)。「君をこの業界に引きずり込んで」という照れが混じるが、監督も後輩に同じ言葉を返すとか。

「残念。」

は「心残り、悔しい」という本来の意味が変化してきたと先日の「日本経済新聞」朝刊。「意欲が空回りする」意味で「残念コーデ」を挙げた。特にメールで使うと相手と比べて自らを正当化でき優位に立てる力をもつため失礼なので、私は相手の言葉や行為には使わない。

オレと同じ意見なら要らない。

自分と意見が合わない部下が「話が合わないので辞めます」と言うと、ソニー創業者の盛田昭夫は「話が合わないからいいんだ」と言った後でこう断言した(先日の『日本経済新聞』朝刊)。トップは柔軟であるべき、という見本だ。孫、三木谷両創業社長の姿勢はいかに。

人生は地獄より地獄的である。

という芥川龍之介の言葉を「文藝春秋」(六月号)で知る。悪行を行った者が責め苦を受ける地獄よりもこの世の苦しみの深さを言ったは、神経を病んだ芥川の宿命か。「苦しきことのみ多かりき」と詠んだ林芙美子。それでもなお、人生の達人たちは「笑いこそ」と尊ぶ。

「炎(かぎろひ)。」

とは日の出前の東の空を赤く射し染める光(12年の『サライ』10月号)。同じ頃の西の空を「かへり見すれば月傾きぬ」と詠んだ柿本人麻呂は、沈む月に父の死を重ねた。私が生まれてすぐ曾祖母が亡くなったと聞かされてきたが、容赦なく移ろう人の世の儚さを思う。

目で見た物しか信用できない。 とカンニング竹山氏(先日の『TOKYO SPEAKEASY』)。返す刀で占い不信を論じたが、私は自分の目は信用できないし一部の占いは実に有意義と信じる。「地獄に落ちるわよ」の人は嫌いだが、人の頭脳が長年分析し見出した手相や道理は上手く活かせるのだ。

強気とはったりが人を動かす。

とオブラートにも包まない皮肉で小池都知事を評した林真理子氏(『週刊文春』6.11号)。未だ謎として残る「カイロ大学首席卒業」の経歴も気になるが、押しの強さだけで政治家への批判の矛先が鈍り、矛盾が矛盾のまま放置されるのは国内外を問わず納得いかない。

もう頑張る必要ないんだ。

それが東京五輪出場を手中にしていた彼女が白血病を発症した際の偽らざる気持ちだった(先日の『ふり向かずに前へ 池江璃花子 19歳』)。毎回、新記録を期待されるストレスに苛まれたトップアスリートならではの胸中。栄光と苦悩の裏表はリアルに入れ替わっていた。

「つくろうものが何もない。」

とアバター同士でVRデートしたバービー氏(先日の『ヘウレーカ!』)。相手は東大博士課程の宮本道人氏だが「リアルとの差異に戸惑う」とは又吉直樹氏。VRで相性を確かめリアルなデートに進む文化は芽生えるか、何をしようと相性は結婚後によくするしかないが。

「小説家になろう。」

という小説投稿サイトの人気作分析を行って小説を書いた津田彷徨氏はビュー数が伸び悩むと怠惰系タイトルの流行を真似て「やる気なし英雄伝説」に改題し1か月後に書籍化へ(本日の『日本経済新聞』朝刊)。ユニクロもデータ起点を宣言したが、新たな視点はどこに?

明日の朝昼晩、何を食おうか。

と考える内に眠ると発酵学者の小泉武夫氏(先週の『日本経済新聞』朝刊)。「食べることが仕事であり我が人生」と語る通り公私が“食”に凝縮された生き方は見事の一言。少年時代、野山で捕った兎や山鳥、蛇に蛙を食べて旬も知ったというから奇跡の如き徹底ぶりだ。

「ヌード。」

とは裸の方ではなく化粧品や服飾品で肌色系の色を指す(日曜の『日本経済新聞』朝刊/春秋)。当初、米国の辞書は「白人の肌の色」と記していたが「身に付ける人の肌の色に合う(淡いべージュや黄褐色等の)色」に見直されたとか。なぜ差別をしてきたかと問いたい。

「自分と神をつなぐ。」 思いが箸にあると銀座「夏野」主人(本日の『GOOD NEIGHBORS』)。「は」が両端を「し」がつなぐ行為を意味するらしい。世界の1/3の人々が箸を使うが自分の箸を持つのは日本人のみと聞く。料理を作りし人への感謝を忘れず濃やかに用いてこそ食事だ。