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今日の気になる言葉123

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2021年2月の記事一覧

「辛い経験も、ギフト。」

エステシシャンとして独立し3店舗まで拡大したが管理が行き届かず1千万円の負債を抱えた経験で自分の限界を知ったと語った女性(先日の『街録』)。完済しマイナスをプラスに転じて1店舗で堅実経営へ。辛さと向き合った経験が私にも成長を授けてくれたと信じる。

「クッキームーン。」
と私が勝手に呼ぶ理由は今頃の月が満月の端を割ったクッキーの食べかけみたいに見えるからなのだが、この感覚は私だけらしく検索で出るのは「ムーンライトクッキー」。秋の季語「更待月(ふけまちづき)」が同じ形で22時頃の夜更けに出るのでこの名が付いたとか。

変革はいつも起きていて日常にある
サッカー選手最高の栄誉である女子バロンドールの栄誉にも輝くミーガン・ラピノー選手の言葉だ(先日の『ファッション通信』)。「抽象的ではなく、床に落ちたゴミを拾う事だってそう」と語る裏に、わずかでも考え方を変える事から変革は始まるという気概を感じた。

シャワーを浴びながら泣いた。

という経験を「サワコの朝」で小川彩佳、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で田中みな実両氏が続けて吐露した。私は仕事で心が沈む事はあっても泣く事はなかったが、いま働く男女で同じ経験をしている数は以前より増えているのかと、この二人の偶然の一致に思った。

元女子高生、パパになる。

の著者・杉山文野氏は、“婚姻の平等”のない現在、友人の精子提供を受け子供を二人もうけながら戸籍は女で「赤の他人の独身シングルマザーと同居」する状態(先週の『CLASSY LIVING』)。先日も「普通」と書いたが、氏の生き方はいつ「普通」になるか。

「心理的安全性が高い。」

とは満足度が高く離職率が低くて改革ができる職場の特長でGoogleの開発とか(先週の『ACROSS THE SKY』)。(1)話しやすく(2)助け合い(3)新しい挑戦ができ(4)新しい考えを歓迎する。これがそんな職場の4要件らしいが、あなたの職場は?

「JOJOスーツ。」 とは紳士服のはるやまによる「ジョジョの奇妙な冒険」をテーマにしたスーツ(先日の『日本経済新聞』朝刊)。今年は岸辺露伴、東方仗助、吉良吉彰の各モデルを予定する。背景に勤務環境の多様化による公私の壁消失がありAOKIも追随、スーツの逆襲に期待したい。

「スマホ脳。」

なる新書が人気とか(先日の『日本経済新聞』朝刊)。情報を求める過程でドーパミンが出るのがSNS等を見続ける理由らしい。20年のスマホ利用は日本が1日平均3.7時間、全世界で4.2時間。歩きスマホは姿勢悪化と耳からの情報減による脳活動の偏りを疑う。

「10年ぶり。」

と聞いたと福山雅治氏の6年8か月ぶりのアルバムにふれた秋元康氏(先日の『TOKYO SPEAKEASY』)。5年以上は10年と言い、去年と思えば2年前で、少し前を5年前と感じるのは老化現象の一つか。一方、楽曲や災害と結び付いた記憶は鮮明に思い出す。

「顔洗うようなもんで。」

目的もなしに毎日1~2編、音楽と動画を組み合わせ編集している行為をそう表現したのは映画監督の中野裕之氏 (先週の『MASAKA』)。音楽クリップの発想に結び付くのかもしれないが、創作を特別視しない考え方に共感。顔洗うような気持ちでいろんな事したい。

物心つく前はアニメで音楽体験

日本の子供達は皆そうだと言ったのはアニメソングの作詞も多く手掛けた森雪之丞氏(先日の『SWITCHインタビュー 達人達(たち)』)。「鉄人28号」などのレコードを見せたが、音楽に特別な思い入れのない私の音楽初体験は母の子守歌かテレビ漫画の主題歌か。

人の数だけ幸せってあるんだな。

と、ぺえ氏(先週の『金曜日のソロたちへ』)。シングルの一人暮らしの夜を本番組で観るとそんな思いを強くする。この日も「NARUTO」に憧れた米国人の忍者アクター、湿度をこまめにチェックするお天気キャスター、エアフルートで音を浮かべる作曲家など色々。

嫌われるようになったら一人前。

という熟練家具デザイナーの言葉に涙した松本まりか氏(先日の『情熱大陸』)。「私は半人前ですね。怖い」と答えていたが、一般市民の殆どは嫌われるのが怖い。超一流の存在には必ずアンチがいるが、そういう方は耐性も超一流なのだ。しかし頬伝った涙が気になる。

まずリセットしましょう。 と「新 成長戦略」をぶちあげた中西宏明・経団連会長(先日の『ワールドビジネスサテライト』)。昨年以降、似た表現が目立つが19年までの姿勢への反省が先ではないのか。「従来の延長線上で考えない」と言うが、ならば「成長」至上主義自体を問うべきではないか。