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今日の気になる言葉123

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#人生

この世で一番強いのは、水です。

中学時代のブルース・リーが不良に殴られた後で入門した香港武術の道場主・イップマンの言葉だ(先日の『yes!?明日への便り?』)。相手に合わせ姿を変えるのが真の武術と諭された。硬直せず拘泥せず柔軟に臨むのを良しとすれば、人生も水の如く、と言えるか。

「人間を実験してるんだな。」

と名前も誕生日も知らず8歳でイランから来日し路上生活も経験したサヘル・ローズ氏(先日の『Sparkle Life』)。「人間ってとても優しいけど、とっても怖い」と感じつつ生きた人生を「実験」と表した。結果が未知数という意味も込めて誰の人生も実験だ。

「死ぬこととは生きること。」

という、ある僧の言葉を倍賞千恵子氏が紹介(先日の『日本経済新聞』朝刊)。そして「死ぬ瞬間まで生きていて生と死は繋がっている」と気づく。なれば死ぬまで歩けて生きていられる健康を保ちたい、と思った。死に様にこそ生き様が出るだろうが不確かなまま生きる。

型どおりにしないといけない。
と考える人が多過ぎると柳川範之・東大教授(先日の『日本経済新聞』)。高校入学せずブラジルに渡り独学で大検に合格した後、慶大通信教育課程で学び、東大でもぐりで聴いた講義で教授に誘われたのを縁に大学院に進み教授へ、という人生を前にしては頷くしかない。

「心の奥の違和感。」
に気づくとき人は主体的に生き始める、と村田沙耶香氏(先日の『日本経済新聞』朝刊)。この違和感こそ眠っている自分の意思であり、そもそも「本性」すら社会に植え付けられた考えだと。人は人生の多くを演技して生きるが、逆にある本性は自分のものだと思いたい。

自分がこの世にいていいかどうか
を確かめに55歳で測量に出た伊能忠敬(先日の『yes!~明日への便り』)。母を失い父に裏切られ11歳で放浪に出た彼は僧に数学を習い、才を買われ17歳で伊能家の養子となり地元の明主となる。それでなお還暦前からの17年で日本地図を作り上げた魂に敬服。

本気で多様性なんか考えていない。 と養老孟司氏(先日の『日本経済新聞』朝刊)。「一元化に向かっているから逆に個性や多様性だのと言う」と語るが、だからと言って多様化を肯定はしない。もちろん商品は多様化しているが、生き方は寄らば大樹の傾向に戻り、考え方は保守に収斂しているように思う。

「村上春樹が唯一先生と呼んだ。」
その人は河合隼雄氏(昨日の『yes!~明日への便り』)。臨床心理学の普及に努めた氏は現代人に「何かをしなければと思い過ぎている」と言い「人間は一人ひとり個性が違うのだから自由に(自分の)物語を作っていい」と説いた。自分らしくを、自分が認める、か。

人として大きな失敗をしてしまった
とMCの堀内貴之氏(先日の『シンクロのシティ』)。番組の流れとは関係なく溢れだしたという感じで告白。大酒を飲んでいたとはいえ「反省しきれない」がそれが何を指すかは分からない。しかし人間誰も「シャワーを浴びる度に思う」後悔があるのだな、と共感した。

人生なんですよね、焚火って。

と、ソロキャンプで人気復活のヒロシ氏(先日の『アナザースカイⅡ』)。最初は手間がかかるが勢いで燃える反抗期を過ぎて20~30代は火も一人立ちし40代はテラテラと赤い火になり、再び手間をかけさせて最後は灰に。このまま人気の火を消さずに進んでほしい。

「旅人の木。」

は葉を東西に広げて育つため旅人が方角を知るのに利用したり切り口から出る樹液で喉を潤したという説がある、とご近所の花屋さんのPOP。花言葉「緑いっぱいトロピカル気分」があまりに陽気。「月日は永遠の旅人」と言ったは芭蕉か。私の人生は今年また振り出し。

「どうにもならないことは。」

どうにもならない、と30代でようやく割りきれるようになった、と諏訪内晶子氏(昨年の『日本経済新聞』朝刊)。バイオリン以外を見ていなかった20代では届かない境地と語った。「そんなままならない気持ちを表現するのが音楽」とも。であればnoteもそうか。

「意味なく生きる。」

を一番大切な言葉に挙げた高田純次氏(先日の『ザ・インタビュー』)。「ただ生きたいということですよね」と言った真意は、悩まず生きる歓びを追求するということか。意味なき言葉を連発する高田氏だが、意味を追って追いつけなかった個人史がその言葉を生んだか。

「我以外皆我師。」 を座右の銘に挙げた河村泰貴・(株)吉野家ホールディングス社長(先週の『日本経済新聞』朝刊)。アルバイトから社員になり3年間で6店舗の店長を務めて従業員との関係にストレスを感じた際にこの言葉で心が楽に。27歳で転職した私も当初は後輩に教えを乞うた。