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今日の気になる言葉123

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ぴったり123文字で、できる限り毎日更新を基本に当社WEBサイトで(前世紀末の11月より)継続中です。http://www.present-inc.com/           … もっと読む
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#とは

自分がつかまる杭を打ちたい。
思いと共に暗い地元の夜の灯にと、鎌倉から南相馬市に移住した柳美里氏は「本屋フルハウス」を設立した(先日の『あさイチ』)。「人と人、本と本をつなぐ場所」と定め、80の質問を行い適した本を選んで届ける選書サービスも開始。新たな書店の可能性を創出した。

「たちのいいストーカー。」
とトミヤマユキコ氏は夫のオカモト"MOBY”タクヤ氏を表した(先日の『GOLD RUSH』)。「どこでもついてきて気づくと女子会にもいる」のが理由だが、私も12歳下の妻の専門学校同期の飲み会に行き、妻とお客様との女子会に顔を出す。夫婦に定型はない。

自分がこの世にいていいかどうか
を確かめに55歳で測量に出た伊能忠敬(先日の『yes!~明日への便り』)。母を失い父に裏切られ11歳で放浪に出た彼は僧に数学を習い、才を買われ17歳で伊能家の養子となり地元の明主となる。それでなお還暦前からの17年で日本地図を作り上げた魂に敬服。

「ステイケーション。」
を「近所や身近な所でゆったり過ごす」と定義した井上・OZmagazine編集長(先日の『LOVE CONNECTION』)。STAYとVACATIONを合わせた米国の造語だが、予算と時間の制約で我家は殆どこれだ。この夏は電車で1時間46分の河口湖。

アドレスホッピング。
とは1拠点に留まらず移動する生活を指すが、先駆者の市橋正太郎氏は「住む地のコミュニティに関わって多様な価値観を知り、いま苦しんでいるなら移動するだけでラクになれる」と効能を述べた(本日の『MOTIVE!!』)。可能か否かは別に、誰もが憧れるはず。

行くよ。

お皿一つに抒情性や美意識がある。
と和食の皿を称賛した美輪明宏氏(『文藝春秋』9月号)。洋食器の種類の少なさに比して和食器は刺身・焼き物・ご飯茶碗にお椀、もずく用もあるほど用途で分けられた小皿があり、デザインにも工夫がある、と説明。確かに濃やかな意匠に「ふふ」と微笑むことがある。

「地元産ホップ100%。」 を目指す北海道の忽布古丹(ホップコタン)醸造(『JAPAN BEER TIMES』SUMMER)。約400あるクラフトブルワリーには地元産を使う所もあるが、100%は例がない。(苦みと香りを出す)ホップに大麦・小麦まで地の物、これこそ真の地ビールだ。

108~海馬五郎 の復讐と冒険

監督・脚本・主演の松尾スズキ氏が中山美穂氏と初めて食事し本作の話をした1か月後、パリ在住の女友達がパリに住む中山氏と友達になり、本作を「面白い」と語る中山氏の感想を知って台本を送り妻役になったとか(『GINZA』11月号)。偶然を引き寄せる力だ。

「田中みな実。」

と言えばTBS局アナ当時は嫌いな女子アナ常連だったが私は素直さとアナウンス技術を支持していた。「週刊文春」(11.21号)で林真理子氏は「綺麗で素敵」と褒めつつ「ちゃんと自分の脚で立ち直った」と記述。美容全般の情熱はときに可笑しくもあるが不変だ。

「氏神一番。」

の名を大槻ケンヂ著「リンダリンダラバーソール」で見る。89年に「イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)」なるオーディション番組で沢田研二「TOKIO」の替え歌「OEDO」を歌い20万枚のヒットを記録した。いまYouTubeという巨大なイカ天が蠢く。

「本から入る趣味入門。」

というコーナーを設けた東京・中井の「伊野尾書店」(『ブルータス』11/1号)。実用書ばかりか小説やエッセイ・漫画を織り交ぜ書棚を編集した。ネットでも可能だがリアルな店頭ではより目を引く。見知らぬ時間と出合う契機を提供する書店の可能性はまだ広がる。

周りにうまい人がいるおかげ。

と謙遜したヨシタケシンスケ氏と梅佳代氏(先日の『SWITCHインタビュー 達人達(たち)』)。順に「だから珍しい枠として見てもらえる」「うまいのはうまい人にどうぞ」と口を揃えるが、王道ではない作法に個性を見出したからこその存在価値。それこそ憧れだ。

形になっていない『普通』がある

という信念で「どこにでもあるデザイン」という批判を浴びながらも「一番の普通」づくりを貫いた深澤直人氏(昨日の『日本経済新聞』朝刊)。牛乳瓶やスーパーのかごなど、使いやすく長く愛されてきた「普通」の新たな形を目指す。装飾のための装飾は確かに不要だ。

「作品は全て未完成。」 とするアルベルト・ジャコメッティの姿勢を紹介した岸谷五郎氏(先日の『TRUME TIME AND TIDE』)。「完成は、その先にある可能性を自分で放棄する」行為とその理由を説き、演劇も「完成させずストイックに次の日も頑張る」と語った。万物は未完成だ。