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おこらない人は人間を知っている賢人

積極性の4は、決して怒らないことだが、当然これは積極性のリストに並べた、いつも朗らかなこと、他人に笑顔を絶やさないこと、にも関連する。しかし、朗らかでも笑顔でも、君子豹変すはダメだ。感情の起伏が激しい人は、一番嫌われる。

さて、日本人は怒る人が多い。すぐ部下を怒鳴りつける、小言を言う。ご飯が不味いと言ってちゃぶ台をひっくり返す人はまだいる。いつも機嫌が悪い人も怒っているのと同じだ。なぜやさしくできないのだろうか。

ラケット破壊する不愉快

怒ることほど、人を嫌な気持ちにする行為はない。テニスで負けて怒りのあまり、ラケットを破壊する、どれだけ見る人を不快にさせる行為だろう。

なぜテニス協会はそのような行為をした選手を次回出場停止にするような毅然とした処置をしないのか。人気選手だから、怒りを恥ずかしげもなくぶちまけるマナーの悪さも大目に見よう、協会にカネをもたらしてくれるんだから、そういう思惑が透けて見える。スポンサーもなんで黙っているかねえ。

よくワイドショーなんかで、夫や妻がパートナーに怒りをぶちまけている。DVなんかはもってのほかだが、愛し合って結婚したんだろう、愛があれば怒りは消えるはずだろう、愛って思いやりのことじゃないの?と結婚したことがないくせに、愛なんて知らないくせに僕は思ってしまう。

怒る前に聞け

とにかく、怒る人はなにか人間的に幼稚に見えるね。腹が立ってもそれを飲み込んで、笑顔で感情をコントロールし、必要なら議論して、相手の気持ちを配慮しながらたしなめる。こういうおおらか、かつ大人の態度を身につけているのは、個人的な感想だが、圧倒的に欧米人が多い。

思うに、彼ら彼女らは、まず相手の言い分を聞くという姿勢を身につけているからだと思う。議論のトレーニングをしているからだ。

議論とはまず相手の言い分を聞くことから始まる。そして、それを確認して反論する。そして意見の交換、矛盾点の指摘、白熱のやりとり、となり、第三者が判定、評価となる。高校で議論のクラスがない日本人はまず相手の言い分を聞く、という姿勢がない。論理も身についていない、だからおこるのか。

おこられるから常識の範囲内でしか言わない、やらない

第二に日本人は「これはこうであるべきだ」という固定観念に縛られている。少しでも「常識」に外れた行為は叱責の対象になる。

エレベーターのない駅で階段の前で乳母車を持ち上げていた若い母親に手を貸して、通勤特急に乗り遅れ遅刻しても、「時間を守るのがビジネスのルールだろう」という正論で怒られてしまう。人を助けるスピリットのほうが現代ビジネスでは大事なのに。

これと反対なのが英語圏の住民だ、議論のルールの一つに「悪魔の提言 devil’s adovovate」というのがあって、非常識なことでも、空気を読まない発言でも意見として言うことが奨励される。

日本はまず周りの空気を読んで、自分の意見を合わせる。恐る恐るでも忖度を無視した大胆なそもそも論、異論は言えないよね。

高校の進学コースの数学の授業で手を上げて、「先生そもそもなんで数学の勉強しなきゃいけないんですか」、なんて言えない。

第三に日本人は多様性という概念がない。多様性。英語のダイバーシティ(diversity)のほうが今は通りがいいかも知れない。

多様性は欧米というかアメリカの概念だが、今や世界のビジネス用語でもある。職場を含めたあらゆる機会で女性、外国人、性的マイノリティ(少数派)の参加、登用を増やし、平等に扱い、彼ら彼女らの持っている独自性を発揮させるべし、という主張だ。

個性すら拒否する日本人には頭が痛い、やっかいな考え方だよね。多様性のない日本では、つまり色物は排除され、怒鳴りつけられちゃうんだ。

遅刻が怒られるわけ

もちろん怒るべきときは怒るべきだ。僕は期末試験に息せき切って走ってきて「クルマ飛ばしてきて間に合いました」っていう学生を怒鳴ったことがある。「試験と命とどっちが大切なんだ!たがが試験に走ってきて転んで大怪我したらどうするんだ。ましてや車を飛ばしてくるなんて論外だよ。単位なんて俺に相談すればいいじゃないか(笑)!」と諭した。

時間に遅れると怒る人は多いよね。でもこれは日本の交通機関が、時間通りに運行するという特殊事情もあるんじゃないかなあ。かつてアメリカでディズニーランドで通訳の仕事を請け負った時、渋滞に巻き込まれて30分遅刻したけれど、ぼくの雇い主はit happens(よくあることさ)で済ませてくれたけれどね。車社会では渋滞は人間のコントロール外だからだろう。

僕はまず高校時代に議論をさせることをすれば、おこりんぼは少なくなると考えるのだが、どうだろう。

さっきも言ったけれど、その理由は議論はまず相手の言い分を聞くことから始まるからだ。怒る前にまず聞くという習慣ができる。なにかミスをした、なにか相手が腹の立つようなことをしたら、まず相手の言い分を聞く。それにより人間というものを深く知ることができる。

怒鳴る経営者が失うものの大きさ

乳母車をあげるのを助けて遅れたのかも知れない、寝不足だったのかも知れない。残業で疲れて起きられなかったのかも知れない。心身の問題で遅刻したり、ミスしたことがわかった場合、それは組織の問題だ。一人ひとりの心身をもっとケアすべきだし、組織の体制も整えるべきだ。怒りですませていると、こうした隠れた問題に組織が気づかない。特にメンタルヘルスは世界的な問題だ。

経営学とは何か、それは聞くことなんだ。

なぜ遅刻したのか、なぜミスしたのかを聞く。経営者がどう判断したのか、なぜその企業はその方向に動いたのか、なぜ失敗したのかを聞く。そのことでより深く人間ひいてはその集団である組織について深く考えることができる。

怒る前に聞く習慣がつけば、人間をより深く知ることができる。

リーダーとは人間を知るひとのことだ。

今日も読んでくれてありがとう。

また明日ね。

野呂一郎

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