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【雑記】居場所が「ビジネス」にしか行き着かない話

(Instagramより転載)

ありがたいことに、ここ最近は同世代あるいは自分より歳下の人と話す機会が増えてきた。

みんないろんな苦悩を抱えていたり、世代感が見えてきたりするもんで、それを摂取することで、書きたい文章のネタの種になる。

せっかくなので、最近話した中で印象に残った話をシェアしようと思う。

福岡から出て、東京で本格的に中高生相手にいろいろやり始めて早7年が経った。

「意識高い名前」で「意識高い」高校生たちの中のそうじゃないところを発掘するようなワークショップばかりをやっていたけれども、何故彼ら彼女らは「意識高い」ところにいることが多かったのだろうかと。

それは広告力のあるところが「意識高い」ところばかりになってしまうからだと考えた。

これは居場所づくりのジレンマの一つだが、そもそも居場所作りは「居場所を作る」が目的なので、スタンダードからズレた子たちがそれを求めている。

だけど、居場所の維持にはどうしても金がかかるし、そのお金を集めるためには世間的に「評価」される必要がある。

で、その評価を得ようとすればするほど、世間のスタンダードに近づいてしまうために表に出てくるのは「教育」とか「起業」とか「社会課題」とかどうにもこうにも当たり障りのないものになってしまう。

そして、その価値観は非常にわかりやすいために、多くの人に支持され、多くの人に評価されてしまう。

結果、何かを飛び出したいってときに最初に掴む「藁」がそういう今あるものとは別のスタンダードになってしまう。

その藁を掴む人の中には本気な人とそうでもない人がいて、そうでない人たちは本気な人が次々と結果を出していくことに対して「自分ももっとなにかしなきゃ」とか「今の自分のままじゃだめだ」とさらにプレッシャーを抱えてしまう。

現在、どんなに自分の価値観が世間とズレていようとも、若者たちは「世間的に評価されているもの」から自分の居場所を選ぶことしかできず、そういう居場所に飽き飽きした人たちがトー横(昨日初体験)に集まり始めているのだろうと。

個人的にトー横は池袋ウエストゲートパークの延長だと思った。トー横は都心の中のみんなで集まりやすいただの土地であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。

僕らが大学生のときに遊んでいた池袋ウエストゲートパークのように、そういった都心の中の誰でもいていい場が消滅してしまったばかりに、全部トー横に集まっているんだと理解した。

つまるところ、別に何がしたいわけじゃなくて、集まれる場所がほしいんだなと。

偉そうなことばかりの場所だとドンドン自分に嘘ついちゃうね。

5年前に僕がやってた住み開きの場はそういうのがなかったから、みんな大人しく就職し始めたのかなぁと思った。

この前の前橋の妄想文化祭でも出展したが、ライフワークは「実家づくり」だと思っているので、無理のない範囲で続けていければと思う。

#リバディ
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#トー横
#居場所づくり
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#住み開き
#意識高い系

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