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美味しい料理で心通わせ合って幸せなら、女同士でもイイジャナイ!  「作りたい女と食べたい女」

 私も若いうちは、結構トンデモナイ量を食べていたけれど、今はすでに、そんなにバクバク食べられない。
 もちろん単品だけなら、トロ〜リオムライスも、ローストチキンも、マカロニグラタンも大好きです。炒め物も煮物も蒸し料理もいける。だけど、もしそれが全部眼の前に並んでいたら、さすがに(ん〜、どれをどのくらい食べよう?)と頭の中で計算が始まってしまう。(これ、残しておくとかたくなっちゃう)(温めても二日目はちょっと味が落ちるんだよね。でも、だからといって冷凍か……)。一人暮らしじゃ、テンションが上がりません。

 でもそこに、美味しい物は端から豪快にパクパク食べてくれて、その食事に込めた心づかいをちゃんとわかってくれて、しかも自分なりにきちんと健康も気づかっている(つまり単なる大喰らいではない)人がいたら、そりゃあ嬉しい、頼もしい! 自分で凝った料理が作れる人ならなおさらでしょう。という訳で、「作りたい女と食べたい女」は、私にとって、共感しどころ満載なマンガです(以下ネタバレあり)。

 メインキャラの野本さんは、料理作りが大好きだけど小食で一人暮らしの女性。SNSで料理写真をアップして楽しんではいるものの、デカ盛り・たっぷり系の料理はおいそれと作れず(作るとせっせと保存しなければならず)気分的に不完全燃焼の毎日。ところがある日偶然、同じマンションの一部屋おいたお隣に住む大柄な女性・春日さんが、どえらい量のフライドチキンを一人で食べ切るほどの大食漢と知って〝お近づきになりたい、食べさせたい〟欲が燃え上がり……? というのがストーリーの発端です。

 最初は〈たくさん食べてくれそう〉という1点のみで春日さんに強く心引かれた野本さんでしたが、作った料理をおごりながら交流を進めるうちに、一見無愛想に見える春日さんの細やかな心づかいに気づいてゆきます。例えば野本さんが生理痛でノビてしまった時、春日さんが野本さんのリクエストに応えて作ってくれた味噌焼きおにぎり。さり気ない優しさがこもっていましたよね……。

 そして、野本さんが、自分の〈料理好き〉という特性を第三者からはすぐに〝女子力アピール〟と受けとられることに居心地悪さを感じているのと同様、春日さんも、実家では〝美味しいものを思いきり食べたい、そこは男女の別なく扱って欲しい〟という欲求を抑圧され続けて生きづらさを感じていた人なのだと解って、二人は次第に心通わせるようになります。いわば二人とも、社会や身内などからの〝女はこうあるのが当たり前〟という眼差しによって〈女性性〉に傷を負っている者同士、という設定なのですね。(それが結局、野本さんの場合は気分モヤモヤした時の料理作り過ぎ、そして春日さんの場合は過食という形で現れているわけです。)

 やがて第2巻目では、野本さんがあるきっかけで、自分の中の同性愛傾向を明確に自覚してゆくという流れになるのですが、まぁ、今の段階でそこまでの種明かし的な意味づけ、必要だったかな? でも巻末の後書きで、作者のゆざきさんがそれまでBLジャンルでお仕事をなさっていた方だと知って、そこは何となく納得。

 とは言え、現段階では、二人は美味しいものを心を込めて作り、互いに分かち合うことによって人生を豊かに楽しんでいる親友同士なのだ、と思って読んで何の支障もありません。そのうち、二人は〈家族〉の新しい形を築いてゆくことになるのかも知れませんが、それもまた良いではありませんか? 第2巻15.5話で、メロンソーダ味チューハイとカップアイスでクリームソーダを作り二人で食べている時の野本さんの嬉しげ〜な顔とか、同巻描き下ろしエピソードで互いに味噌汁の作り方をシェアし合った時の春日さんのほのかな微笑みとか(このマンガにおいて春日さんの笑顔は希少!)を見て「あぁいいなあ、この関係、うらやましいなぁ」と思う人たちが何人でもいるのなら、それは、彼女たちの生き方が輝いているからなんですから。

 それにしても、野本さんの作るごく日常的なお料理が、繊細なペンタッチの描画で目にキラキラツヤツヤとその魅力を訴えてくる、そこがやはり、この作品の、ストーリーを超えて一番説得力のある部分かも知れませんね。ああ、こういうたっぷりリッチな食べ物を、いつか、春日さんみたいに豪快にたらふく食べられたらいいな。ついそんな風に妄想してしまう、食いしん坊の方には特にお勧めのマンガです。


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