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北半球の桜の思い出

定期を更新しながら思う。私は半年後もこの会社に元気に勤めていることを信じてこれを買うのだと。

また半年、太らず病気にもならず、友人や家族を失わず、この足で立って生きていられるだろうか。この眼はひらかれていて、耳は多分にきこえているだろうか。要らないことも居ることも、在ることも無いことも全部。

今年の桜はきっと、今週がベストで唯一だろうなと誰も言わずとも分かっていて、だから昼も夜も会社の先輩たちとお花見をした。明日も行く。皆も私も浮かれている。

だってどんなに忙しくても、桜は今しか咲かないのだから、行かなくてはいけないのだ。幸せは美味しいご飯とお酒と桜と、見知った人々のかたちをしている。!

そういえば数年前の春、私はイギリスのセントキャサリンズカレッジの図書館(設計: アルネ・ヤコブセン)にいた。

外に伸びる桜(桜ではないかもしれない)の枝が曇り空の光を受けて、窓際の机上とセブンチェアを柔らかく照らしていたちょうどその日、日本で先輩や友人が修了式を迎えていた。北半球のあちこちに春は来て、花は咲くのだなあとしみじみした。

光を柔らかく、本を読む人の手元に届けるその窓や足音のしないふかふかの絨毯や、人の気配が見え隠れする本棚の連なりが優しいと思った。

私が見たヤコブセンの空間はどれも優しかった。重厚で軽やかで上品で、乳白色みたいに曖昧な受容力があって、リズムの連なりが空間に規律をもたらす。そういう一面が好きだ。

そういう訳でその席は、イギリスの曇天と薄桃色の花がぴったりの場所だった。桜を見るとよく思い出す。

本当は桜は散っている途中が一番うつくしいと思っているのだが、それはもう少し先なので、焦らず待たずに今一瞬の桜に浮かれる春。

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