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茗荷谷へ愛を込めて

引越をした。

住んでいた街が嫌いだったからじゃない。
むしろ好きだった。すごく。
生活のなかで段々好きになった街と路線。

茗荷谷、ほんとうに良いところ。
茗荷谷は渋谷の観点でいうと何も無い(と思っていた)けれど、そこには人生の一場面があったのだ。映画みたいな一瞬一瞬が。

春は桜並木が綺麗で、通り沿いのカフェやレストランのテラスでお茶すると気持ちいい。
植物園もすぐ行ける。
深夜に散歩しても怖い思いをしたことがなかった。
時に音楽を、時に揺れる葉の音を聴きながら、眼鏡を外して電飾を眺めるのも、その光で透ける枝葉にみとれるのも好きだった。

神楽坂にも歩いて行けて、友だちに教えてもらった好きなうつわのお店や本屋やレストランがあって、好きな先輩が働いていて、よく飲んでよく遊んだ。
ゆっくり流れる穏やかな時間。

丸ノ内線も良い。
電車もそこまで混まない。
新幹線もすぐ乗れる。
東京からも銀座からも、上野からも歩いて帰れる。
高円寺や下北沢でも、蔵前でも根津でもあそべる。
乗換1つで大抵の場所にアクセスできる。

後楽園を通れば、秋は美しい黄色の銀杏並木が朝の光できらきらしているし、夜は遊園地のネオンが可愛くてずっと見ていられる。
ジェットコースターが轟音で飛び回る下の方で、赤い電車がするりホームに滑り込む瞬間を見るのが好きだった。

御茶ノ水を過ぎる時見える聖橋がかわいくて好き。リズムがあって構造体としての強度を持っていて、寡黙ですきだった。

銀座は日用品を買ったりカメラの現像をしたり、ビアホールに行ったり、
表参道にはお洒落しないと行けないけれど、銀座にはパジャマでも行ける気がしてくるくらい、日常のまちだった。

そう好きだった、
あんなに何もないなと思っていた街には何でもあって、そこから色んな場所に歩いていって、
日々がすごく好きになったのだ。これは愛。

私は結局のところ少ししか住まなかった。
住んでいる間も隅々まで歩いた訳ではなく、きっと勿論、私の知らない魅力がまだ沢山ある。
でもそれを見つけるのは私ではないみたいだ。

私は新しい部屋と街に少しの不安と不満を抱きながら、たぶんまた好きになっていくのだと思う。
映画を見つけていくのだと思う。

でも慣れるまではもう少し、
段ボールが全て片付くまではもう少し、
好きだったなあと言いながら暮らすのでしょうね。

茗荷谷へと書きながらいろんな街への愛を綴り、なんか浮気者の失恋みたいな文になった。
Auf Wiedersehen.

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