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#トロッコ問題 について。トロッコ行くよ。どこまでも~ #下書き

 私の名前は心 理(ココロ コトワリ)。心診士(シンシンシ・自称)をやっている者です。心診士は読んで字のごとく心を診ることを生業とし、心の問題に対して数々の思考実験を繰り返して理解を深め、皆様と共に世間に広めることを目的に活動しています。

※タイトルに #下書き と書かれている記事は後日編集する予定です。読みにくかったり誤字がある場合がございます。
※心理カウンセリング(以下心理職と略)

 皆様は一昔前に流行ったトロッコ問題というのはご存じでしょうか?私もこの問題には関心があって、Twitter(X)等でいろいろな回答を見て回るのですが、なかなか面白い回答や考えさせられる回答もあって、自分も取り扱ってみたいと思いましたので、記事を書いてみようと思います。

 まずトロッコ問題とは二股に分かれた線路があり、その切り替え器の前にあなたがいます。そこに暴走したトロッコ、トロッコと言っても一両の電車みたいなもので、それが分岐点に迫っていました。二股の先には一方のAのレールは5人作業していて、もう一方のBのレールには1人が作業をしています。切り替え器を使わなければ5人が犠牲に。切り替え器を使えば1人が犠牲になります。
 さてあなたは迫る暴走列車に対して切り替え器を使いますか?使いませんか?
 こんな感じの問題になります。(また作業中ではなく、ロープで線路に縛られている設定なのもありましたが、この場合は縛ったやつの責任が大きくなるので除外します)

 Twitter上では1人を犠牲にすることは自分が切り替え器を切り替える選択をするため、責任を負うことになります。ここがこの問題のミソになりますので、切り替えないという人もいましたし、一番最適解だと思ったのが、トロッコの前輪がAのレールに侵入した後にすぐに線路を切り替えてBのレールに後輪だけを侵入させる。すると前輪と後輪が違う方向に進もうとして結果的にトロッコを止められるという選択。まぁそう上手くいくか難しいと思いますが、なるほどと思わされました。もしくはAとBのレールの中間で切り替えを終わらせて、トロッコを脱線させてしまうというのも手ですね。
 ただトロッコに運転手がいた場合は脱線時に怪我や死亡事故に繋がるかもしれませんね。運転手がいるかどうかや二股に分かれる線路に障害物などないか?とか条件付けがあれば問題の意味も変わってきますよね。この辺りはこれ以上の条件が提示されてませんので、自由に発想しても良いと思います。何なら超人的なパワーで自分で止めてしまうというのもアリかと思います。現実的ではありませんがそれも一つの回答ですね。

 で、私の回答はというと、まず舞台が何も遮るものがないなら「Aのレールにいる5人に向かって大声で注意を促す」でしょうか。5人のうちの誰かが暴走列車が迫っていることに気付けば避難できるはずです。それでなくても切り替え器の前にいる自分が気付けるような状態なので5人もいれば一人ぐらいは異変に気付くと思われます。なのでレールの切り替えはしないが回答になりますね。
 そもそも一従業員だと思われる自分に責任の持ち方を考えるなら、責任逃れが重要かなと思います。人命軽視か!と思われるかもしれませんが、人命を重んじなければならないのは会社のほうなので。もし人命第一で会社が全責任を負うという契約なら、やはり脱線させて強制停止させることも考えますが、それで列車の損害を自分に押し付けられても困りますしね。そもそも5人の作業員が確実に事故にあうという保証もありませんし。(そこで5人がロープに縛られてという条件付けが出来上がったと思いますが、その状況は不自然なんですよね)

 例えばここで絶対条件を付け加えましょう。
・自分が出来ることは線路をAorBのレールのどちらかに切り替えることのみです。
・作業員5人と1人(以下作業員全員)や運転手とは連絡が付かないものとし、また暴走列車にも気付かないこととする。作業現場周辺には自分、作業員、運転手以外にいません。
・列車がいかなる方法でも停まることなく、どちらかの作業現場を通過し、通過後に自然に停まることとします。
・自分は作業員全員とは等しく良好な関係を持ち、労働力としてほぼ差異はないものとします。
・自分には妻や子など守らなければならない存在や社会的地位があります。
・現場には監視カメラ等の事故の瞬間を記録するものはないとします。

 ここまで条件を絞るとどうでしょう?こうなると何を一番大切に思っているか?みたいな心理テストのような感じになりますね。社会的地位を守るか、家族を守るか、仲間を守るか。ただ1人以上は死に、自分の社会的地位に変化が起こるのは確実でしょう。
 合理的に考えると一番被害の少ない損切りを意識するのではないでしょうか。被害をいかに最小限に抑えて、作業復帰できる期間や社会的地位の回復などが絡み合ってきますよね。

 まずAのレールに列車を進ませ、作業員5人が無くなる場合は5人の死者を出したという事実は大きいもので、会社としての信用や作業存続は無理でしょうね。列車側としても運転手の責任や事故車両として列車自体も処分されそうですね。そして自分自身も監視を怠ったという責任はあれど、社会的地位の損失は少ないかもしれません。ただメンタル的に事故を予見できたのに5人を見殺しにした事実を受け入れられるか。
 次にBのレールに線路を切り替えた場合は1人の作業員が亡くなります。もちろん死者を出したこともありますが、列車に何らかのトラブルはあったにせよ、自分が故意に切り替え器を使って犠牲にした事実は揺らぎません。ただ亡くなった作業員は1人なので作業自体の復帰は早いでしょう。

 そういえばサイコパス診断なら5人犠牲にするほうを選ぶかもしれませんね。1人で亡くなるなんて寂しく可哀そうだからという理由で。ちょっと余談でした。

 まぁこの条件下でも私の行動は暴走をどうやって停めるかに尽力すると思います。よって線路の切り替えは行わない。例えいかなる方法がないと断言されても奇跡を信じて行動します。諦めたらそこで試合は終了なのです。

 そもそも一番の原因とは列車が暴走したことなのです。線路の切り替えとか関係なく、いかに列車が暴走しないさせない方法を考えるべきかなと思います。
 ちなみにこういう考え方って〇〇依存の解決にも似てますね。例えばアルコール依存症の方がいたとして、アルコールを減らすことを考える人は多いと思いますが、実際にはアルコールに依存してしまう根本的な原因から探らなければならないのと同じですね。それは仕事や人間関係のストレスだったりしますから。

 いかがだったでしょうか?トロッコ問題は以前から考察したかった課題でもありましたので、自分自身かなり楽しめました。ちなみに私自身が作業員の一人になって犠牲になる分にはきっと線路切り替えの選択者を恨むようなことはしないでしょうね。そういう立場になったら分かりますから。

 さて次回は「正常異常って何?どの境界線で決まるの?」について考えてみようと思います。これも自分が心理職の勉強中に先生から聞いた言葉です。とても大事なことだと思いますので、記事にしていきたいなと思ってます。

 出来るだけ月曜日に更新したいと思っていますので、皆様よろしくお願いいたします。

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