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【映画日記】いつまでもカッコイイ、でいいのか『勝手にしやがれ』

2024年4月11日

相変わらず映画熱が上がらない。

こんな時はサウナでいうところのアウフグースのように、人さまに熱波を浴びせてもらうというのはどうだろう。ま、サウナに行ったことはないけれど。

人さまの映画レビューを読む

「そうそう!この映画ってココが面白い」と共感することもあれば、「はて?そうじゃろか?」とか「え、そんなに感動する?」ということもある。

ストーリーのそこそこ長文での要約、制作や撮影の裏話、入魂の考察、
「どこが面白いかわかりませんでした」「途中で離脱」など、レビューは十人十色。

その中から「この人はほかにどんな映画を見てるんだろう」となって、そこから見たい映画が見つかることがある。基本、見る前にはレビューは読まないし評点も気にならないので、別におすすめされていなくてもいいわけで、リストそのものが興味深い。

映画評論家の批評本を読む

SNSではチョイチョイ物議を醸し「不要論」まである映画評論家。
サウナでいうところの熱波師だろうか。いや、サウナに行ったことはないけれど。

映画評論家の中でも大御所と言われる御仁の本には当然古い映画、名画が登場する。

『市民ケーン』(1941年)など、エポックメイキングとなった映画は多くの批評家が批評を書いている。それらを読んでは「どれどれ、そうなのか?」と思って映画を見直してみるのだけれど、正直よくわからないことも多い。

これらの映画に影響を受け、同じような手法で作られた映画は今ではたくさんあって、もはや新鮮でも何でもない、普通のことに思えてしまう。これは後の世に生まれた性というもんだ。そういうことにしておこう。

いつまでもカッコイイ、でいいのか 『勝手にしやがれ』

ちょっと前(2016年)のこの本。一昨年亡くなった佐藤忠男さんによる映画監督批評。トリュフォー、ゴダール、ワイダ、アントニオーニと、一応齧ってはみたものの……、という監督たちとその作品について書かれている。NHKラジオのガイド本なのでかなり読みやすい。

で、ここにも登場する『勝手にしやがれ』(1960年)

苦手なゴダール、だったら見なきゃいいじゃんなゴダール、でも見なきゃいけないような気がするゴダール。

この映画の脚本はもともとはトリュフォーが書いたもの。

何しろこれはヘンな映画でした。もとのシナリオを読んでいるわけではないので推測するしかありませんが、これはもとのシナリオを映画にしたというよりむしろ、そのシナリオを映像で批評したものといったほうがいいように思います。そんなことが可能なのかどうか分からないのですが、シナリオで書かれていることを演出でいちいち茶化すとこうなるのではないかと思います。

「映画監督が書いた現代 世界の巨匠13人の闘い」より

それまでの映画の常識を覆すだけでなく、なんでこんなもの(それまでの映画)に夢中になってきたのか、そんな自嘲的な映画だと佐藤氏は評する。

どれどれ、と思って数年ぶり数回目の視聴。
ストーリーもカメラワークも既知のことなので新鮮味はない。ジャン=ポール・ベルモンドはあの苦み走った(←死語)感じがその後どんどん苦手になっていくので、その原点を再確認した気がする。

ってな感想なのに、やっぱりカッコイイと思ってしまうこの映画。なんなんだこの映画の持つカッコよさは。いつまでもカッコイイでいいんだろうか。そもそもカッコイイってなんだろ?

全然、整わない。もちろんサウナには行ったこともないけれど。


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