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『私がオバさんになったよ』 ジェーン・スー 人生、折り返してからのほうが楽しい

脳科学者の中野信子さんが「われわれの世代の阿川佐和子さん」と例えるジェーン・スーさんの『私がオバさんになったよ』

その例えのとおり、都会的で、ウィットに富んで、ちょっと辛口のジェーンさんが、われわれの世代を語ります。

で、われわれの世代とは、いわずもがな「オバさんになった世代」です。
中野さんは1975年生まれ、ジェーンさんは1973年生まれ。このお二人がオバさんというのなら、私(1968年生まれ)も当然オバさんですよ。

私はこのブログで「オバさんではなく中年女性」と言い張り、世間が抱くオバさんのイメージに無駄に抗っていますが、本書『私がオバさんになったよ』に登場する「オバさんになった」面々(注:2名「オジさん」がいます)が放つ数々の言葉には、「そうそう!そういうこと!」と共感したり、「ほほう、そうきたか」と感心したりー。

「ああ、私もオバさんになったな」と、イイ感じに開き直れる1冊です。

意識は他者との関係性の中に生まれる

『私がオバさんになったよ』は、ジェーン・スーさんが「もういちど話をしたかった」という方々との対談連載(『小説幻冬』に掲載)です。

登場するのは前出の中野信子さんほか、光浦靖子さん、酒井順子さんなど計8名のみなさん。いずれもそれぞれの分野で活躍する成功者です。といっても、この本には、若い世代に煙たがられるような「成功者」や「年長者」のポジショントークは一切なく、ちゃんと肩の力が抜けた大人の話ばかりです。

私が特に興味深かったのは中野信子さんとの対談です。女性同士の微妙な話しを皮切りに、社会とどうつながるかー、という話題。

寛容と不寛容、そして多様性。多様性の容認を示す態度は「放置」というのには同意するけど、問題は干渉しないものに対して人が愛着を持てるかだよね。 

『私がオバさんになったよ』より

対談の端々にこうした「問い」的な一文があるんですよ。

「意識」とか「社会性」とか「どう生きるか」というような話を、私たちオバさん(もちろんオジさんも)がすると、「何かの視座を与えます」となりがちですが、本書にはそんな押しつけがましさとか説教臭さはまったくありません。近視眼的になり過ぎず、かつ達観し過ぎないー。

これって、オバさんと言われる世代の「理想的な姿勢」ではないかと思うんですよね。

家族との折り合いの付け方

家族との話題は、エッセイストである酒井順子さんとの対談の中で出てきます。

酒井さんは母親と、ジェーンさんは父親との関係について、けっこう赤裸々に語っています。酒井さんやジェーンさんと同じくオバさんの私も、「家族」、特に「親」との関係のあり方について、あらためて考えることがあります。

私と亡き母とは、今で言う「友達親子」のような関係ではありませんでした。私にとって母は「最大の強敵」「いつもそばにいるラスボス」といった存在だったので、たいへん苦労した記憶があるのですが、この母娘関係が「ベッタリを嫌う」という今の私の人間関係の基盤になっているように思うのです。

ま、それが分かったところでなんなんだ、という話ですが、「親との関係に折り合いを付けていく」「折り合いの付け方とはー」というのは、私たちの世代のひとつの課題なのかもしれませんね。

タイトル『私がオバさんになったよ』には、いろいろな意味がこめられていると思いますが、私は『自分の御し方がわかってきたよ』と訳したい。

そして、人生、折り返してからのほうが楽しいかもしれないは、その通り! と、声を大にして言いたいのです。「人生、折り返してからのほうが楽しい!」をご確認ください。


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