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【歌詞考察】「上海蟹食べたい」は犯罪教唆のメッセージだった!?『琥珀色の街、上海蟹の朝』

この世の中には、「それはぶっとんだ解釈だなあ」と思いつつも、実際そうだと思って歌詞を見ると、そうとしか考えられなくなる歌詞解釈というものが存在する。

有名どころを挙げると、スピッツの「スパイダー」は少女誘拐の歌説や、同じくスピッツの「青い車」は心中の歌説、髭男の「pretender」は同性愛の歌説、などである。

そんな「ぶっとび解釈」を僕も提唱してみたい。

というわけで今回ご紹介するぶっ飛び解釈は、
くるりの名曲、『琥珀色の街、上海蟹の朝』は犯罪教唆の歌説である。

一番の根拠は大サビ

僕の説を裏付ける最大の論拠はサビの歌詞である。

※この曲の構成区分が僕にはよく分からないのでサビはあくまで個人的解釈

上海蟹食べたい あなたと食べたいよ

皆さんは上海蟹を食べると聞いて思い浮かぶ食べ方はどんなものだろう。
塩ゆで?ケジャン?
どちらにせよ、共通点がある。
そう、手が汚れるということだ。
殻を剥いて食べる必要のある上海蟹は、食べようとするととにかく手が汚れるのだ。

そして、手を汚すことは、悪事を働くことを意味する慣用句でもある。
つまり、一緒に上海蟹を食べたい→一緒に手を汚したい→一緒に犯罪をしよう、という犯罪教唆のメッセージなのだ!

この歌は(おそらく)友人を犯罪に誘う歌だった!
そう捉えるとこの後の歌詞の解釈も変わってくる。

上手に割れたら 心離れない 1分でも離れないよ

この歌では「上海蟹を食べる=犯罪を犯す」という関係が成り立っているので、上手に割るというのは犯罪を起こすことを表している。
つまり友人が殺人を決行したら、そこから首謀者は1分たりとも友人から心を離さない、つまり「お前の逃亡は常にサポートしてやるから安心して悪事に励め」と言っている。
こいつ、自分の手は汚さず相棒にやらせるつもりだ。

上手に食べなよ こぼしても いいからさ

やっぱりだ!こいつ、相棒に殺させた!
多少痕跡が残ってもいいからと心理的安全性を確保しつつ、実行犯は相棒に仕立て上げるつもりだ!
何たる外道!


(ここで出オチではないのでもう少しお付き合いください。)


不穏な空気は歌い出しから

実は上述の「上海蟹食べたい」のくだりは曲ではかなり後半に出てくる。
つまり、曲の前半ではいざ犯罪に誘うまでのいろいろな心境の変化が語られているはずだ。

まず歌い出しから見ていこう。

※この曲はどこで区切ったらいいか分からないので〇メロはあくまで個人的区切り

beautiful city さよならさ マンダリンの楼上
isn't it a pity beautiful city

美しい街にさよならを告げている。

この後起こす自らの悪行によって逃亡生活を余儀なくされ、もうこの美しい街に戻ってくることも難しくなるだろう。
戻ってこれたとしても、美しい街並みを見て美しいと感じるほどの心の余裕はないかもしれない。

これから起こる悲劇を暗示させる不穏な歌い出しである。

Aメロはいきなり犯行時の風景描写

Aメロでは不穏な気配が漂っていたが、Bメロではいきなり犯行を匂わせる描写がある。
犯罪教唆のサビはどうやら前日譚だったようだ。

目を閉じれば そこかしこに広がる
無音の世界 不穏な未来

ハニートラップでも仕掛けたのだろうか。
ターゲットの人物に睡眠薬を飲ませて眠らせ、その横に立って犯行に及ぼうとしている。
後程分かるが時間は夜明け前の5時だ。

ターゲットが無防備にも眠りこけている無音の空間で、これから犯行を起こして逃亡する未来を不穏だと感じている。

耳鳴り 時計の秒針止めて

犯行前の緊張感からか、時計の秒針の音すらも耳鳴りに感じている。
もしくはこの程度の微かな音ですらも、ターゲットが目を覚ます要因にならないかという不安で耳障りに感じているのだろう。

心のトカレフに想い込めてぶっ放す

ここが明確な犯行シーンの描写となっている。

トカレフとは銃の名前だ。
実物のトカレフだけでなく心のトカレフにも想いを込めてぶっ放す。
極度の緊張状態である。
銃の引き金を引くには相当な覚悟、思い切りが必要なはずだ。
そういう意味での「想いを込めて」だろう。

窓ガラスに入ったヒビ
砕け散る過去の闇雲な日々

そして、ヒビの入った窓ガラスが砕け散ると同時に、過去の日々とも決別ができている。

これはターゲットによって過去に辛い目にあわされていて、殺すことでそのような過去の日々から決別したとも取れるし、
無罪だった今までの日々から一転、犯罪者としてこれから生きていくことになったという意味とも取れる。

Bメロは首謀者から実行犯への注意喚起

吸うも吐くも自由 それだけで有り難い

外の空気を吸うも吐くも自由という状況がありがたいと歌っている。
つまり、自分が今生きていることへの感謝、生きれているのは普通じゃないという感情が読み取れる。

人を殺しておいて何を言ってるんだと思うかもしれないが、命を奪ったからこそ気付いた命の大切さ、生きていることの有難さを感じているのだろう。


実を言うと この街の奴らは義理堅い
ただガタイの良さには 騙されるんじゃない
お前と一緒で皆弱っている

その理由はひとそれぞれ

この歌詞から、この歌の登場人物はマフィア社会に属しているのではないかと思えてくる。

首謀者はマフィアのメンバーで、(後述するが)実行犯はもともとは一般人だがこれを機にマフィアの世界に足を踏み入れることになったのだろう。

犯行を機に警察から追われる羽目になるのだが、逃亡はマフィアの仲間がサポートしてくれるはずである。
ただし、マフィアの構成員は見た目に反して苦しい生活を強いられているので、もろもろの利害関係によっては裏切るヤツもいるかもしれないから気を付けろ。

そんなメッセージにも見えてくる。

この街はとうに終わりが見えるけど
俺は君の味方だ

身内すらも信じられず、追われる身になってしまいこの街に長くいることはできないけど、俺(首謀者)は君(実行犯)のことは見捨てずずっとサポートするから大丈夫だよ。
というメッセージだろう。

beautiful city さよならさ マンダリンの楼上
isn't it a pity beautiful city

ここで冒頭と同じ歌詞の、美しい街にさよならを告げる場面が再び登場する。
冒頭と同じ歌詞ではあるが、今までの展開を踏まえると冒頭とは違った悲しみのようなものが感じられる。

2番Aメロは逃亡中の心情を歌っている

何はともあれ この街を去った
未来ではなく 過去を漁った
明後日ばっかり見てた君
それはそれで誰よりも輝いてた

ずっと泣いてた 君はプレデター
決死の思いで起こしたクーデター
もういいよ そういうの
君はもうひとりじゃないから

犯行を起こして美しい街(=おそらく東京)から逃亡した実行犯一行。
未来のことを考える余裕などなく、過去に自分たちの起こした行動を思い返して不安になったり、痕跡を消すことに躍起になっている。

「君」は実行犯のことだが、おそらくまだこの世界に入って歴が浅く、1番Aメロの描写からも犯罪に手を染めるのは今回が初めてだろう。
なので、犯罪を起こした後に自分たちが何をすべきなのか、そしてこの後どんな未来が待っているかについて、あまり理解できていない。

だからこそ、実行犯は明後日を見ていた、つまり的外れな希望的観測とも取れる甘い考えを持っていた。
その甘さが首謀者からは却って魅力的に見えたのだろう。

そんなシャバからの新参者をここではプレデターと表現しているし、決死の思いで起こした初めての犯罪のあと、ショックで「君」はずっと泣いていた。

そんな不安定な心境の中、お互い支え合いながら逃げる二人の心境がここから感じ取れる。

そして大サビ。違った意味も?

満を持してここで大サビ。「上海蟹食べたい」の部分である。
冒頭で解説したように、ここは犯罪に勧誘する際の歌詞だと思われる。

ただ、一緒に犯罪を起こそうというメッセージであれば「蟹食べたい」で済むはずだが、あえて上海蟹にしたのは逃亡先が上海だからだろう。
美しい街である東京にさよならを告げて、一緒に上海に逃げようとここでは持ちかけているのだ。

また、場がしーんと静まったときに繰り出すフットボールアワー後藤の有名なツッコミに「蟹食うてんのか!」というのがあるが、蟹を食べるときは身をむしるのに集中してしまって場が静かになりがちである。
これを踏まえると、もしかすると「上海蟹食べたい」という言葉には「もしどちらかが捕まっても黙秘を貫こう」というメッセージも込められているのかもしれない。

Cメロでまさかの自首!だが信頼関係は切れず

張り詰めた日々を 溶かすのは
朝焼け前の 君のこころ
両手を広げたら 聞こえてくるよ

両手を広げるというのは無抵抗を表すサインで、投降する際などによく用いられる。
つまり、ここでは張り詰めた日々に耐えられなくなり、自首をした。とも取れる。

外輪船の汽笛 嶺上開花
本繻子で こころを包むよ
小籠包じゃ足りない
思い出ひとつじゃ やりきれないだろう

嶺上開花とは麻雀の役の一つで、麻雀でアガることを自首と掛けている。
逃亡中の生活も贅沢ができず、小籠包を食べたのが思い出になっていたが、そんなものではやりきれなくなって出頭したということだろうか。

つまり、自首したのはおそらくは実行犯1名のみだと思われる。
首謀者はこれからも一人で逃げ続けるのだ。


そしてラスサビを迎えるのだが、首謀者側の複雑な感情が読み取れる。

上海蟹食べたい 一杯ずつ食べたいよ
上手に食べても 心ほろ苦い
あなたと食べたいよ 上手に割れたらいいな
長い夜を越えて行くよ
琥珀色の街

サビは終始首謀者側の目線で描かれる。

友人を犯行に勧誘し、実際に事も起こした。
一緒に手を汚した関係である。

でも、友人だけが自首してしまった。

そんな悲しさ、寂しさを感じていながらも、一緒に死線をくぐってきた仲間のことをずっと気に掛けている。
裏切りからの自首ではないとはいえ、自分の情報が洩れるのが不安なのだろう。
犯行についての供述では口を割るかもしれないが、自分のことは言わないでいてほしいという不安と、彼なら上手くやってくれるだろうという信頼が織り交ざった感情が「上手に割れたらいいな」に込められている。

そして「長い夜越えて行くよ」である。
時効が成立して追われる身でなくなったら会いに行くよと言っている。

一緒に命懸けで逃亡してきた仲である。
先に限界が来て自首してしまったとはいえ、お互い落ち着いたらゆっくり語り合おうやという友情の域を超えた信頼関係が感じられる。

犯罪を犯しているとはいえ、異常な経験を通して形成された、友情を超えた信頼関係が感じられてハートフルにも感じられる。


あとがき

ということで歌詞考察をしてみた。
あまりにも長くなりそうだったので途中から駆け足になったが、僕がしたかった「ぶっとんだ新解釈」を提示することはできたのではないか。


歌とは聞き手によって様々な解釈が生まれるものである。

たとえそれが作り手の本来の意図と相違するものであったとしても、解釈というのは聞き手の中で再生産されるものであり、どんな解釈であろうが所有権は聞き手にある。

なので、くるりに詳しい方は「それは作り手の意図とは違うよ!」という感想を持たれるかもしれないが、あくまで「僕の解釈はこうだ!」という内容なので、事実との乖離は問題ではないのだ。

ただ、書いていて自分で「これは無理やりだなあ」と思うところも多かったので、読んでいる途中で嫌気がさしてしまった方もいるかもしれない。

もっと無理のないぶっとび解釈の歌をご存知の方はぜひ教えていただきたい。

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