エディプスちゃん

そうだ、ここにお墓を建てよう。

エディプスちゃん

そうだ、ここにお墓を建てよう。

マガジン

  • 『シャボテン日記』

    同居サボテン《シーシュポスの岩》との対話でつづる日記。かれは緋牡丹というちいさな種類で、よく読書や書きものをしている。き刊誌(き刊誌のきはきまぐれのき)

最近の記事

乾あまぐつ「バード・ストライク」

「おい、正気か?」と友人が言う。 「懐かしいな。昔よくここで練習したっけ」  僕は持参した金属バットを握りしめ、何度か素振りをしてみる。彼とファミレスで別れてから一週間後、僕らは河川敷のグラウンドにいた。百均の安っぽいピクニック・シートを広げて、おにぎりとか、サンドイッチとか、ポテチの大袋とか、コンビニで手あたり次第に買い込んだ大量の食べものを並べる。友人は腹を鳴らすが手は出さない。鳥に怯えきってしまっているから。 「でも、ちょっと鳥が可哀想じゃない?」 「いいから早く食えっ

    • 躁鬱的にして伸びしろがあるという意味でサボテンはぼくとよく似ている(メトロンの記録・前編)

      一昨日の晩にサボテンの花が咲いた。とても綺麗だった。 鬼面角という種類の柱サボテンで、メトロンという名前を付けている。ふだんは仏頂面というのか、そもそも生き死にもわからないぐらい寡黙なやつなのだが、急に花を咲かせたりするから吃驚する。記録をみると昨年もやはり同じ9月の初旬に花を一輪でっかく咲かせていて、何も考えていないような癖して、アタマが良いのだなと思う。ぴったり1年くらいの周期だ。ちなみに、メトロンという名前の由来はウルトラ怪獣のメトロン星人に似ているから。metron

      • 映画レヴュー:アニアーラに救いはあるか?

        今夜はどうしても滅入った気分になりたいだって? だったらうってつけの映画があるぜ。 ※以下、ネタバレあり 救いのない鬱映画?  結論からいうとみんな死ぬ。そこに救いはない。追い詰められた人たちの不安と困惑とぬか喜びと失意の果てに、598万1407年という途方のない歳月の果てに、乗客はことごとく死に絶え、最期には乾いた土埃のようなものしか残らない。他の宇宙漂流もの、たとえば「ゼロ・グラビティ」(2013)、「オデッセイ」(2015)や「パッセンジャー」(2016)などは主

        • じぶんに手紙を書く(3月ぶん)

          3月は年度末の多忙さから身も心も死にきっており、そもそも何かを書こうという気持ちがほとんど起きなかった。それでも、ときどきカードに文章を書いて本棚に私設したポストに投函することはできたらしい。開封してみると中には12枚ほど。1枚いちまい読んでみると、もう書いたことをあまり覚えていない。《じぶんに手紙を書く》というコンセプトでやっているが、3月のじぶんはもう謎めいた他者になっていた。以下、気に入ったもの5撰。 ✂--------------- アップルパイの午後 午後には地

        乾あまぐつ「バード・ストライク」

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        • 『シャボテン日記』
          4本

        記事

          じぶんに手紙を書く(2月ぶん)

          相変わらず1日1枚をめやすに文章を書いては私設したポストに投函するという怪しげなことをしている。マイクロノベルの試みである。月末なので開封すると、2月は20枚ほど書いていた。内容的には、不出来なものが多く、まあ精神的にはくるしい一ヶ月であったよなと振り返る。以下、5枚ほど気に入ったものを抜粋しておく。 ✂--------------- すべてがPになる いつの間にか近所のファミレスが駐車場になっていた。まただ。この頃、どこもかしこも気づくと駐車場になっている。喫茶店も、レ

          じぶんに手紙を書く(2月ぶん)

          じぶんに手紙を書く(1月ぶん)

          何故そんなことを始めたのかはもう忘れたが、年明けにちいさな私設ポスト(※写真を参考のこと)を本棚に置き、1日1枚をめやすに文章を書いては投函していた。月末になったので箱を開封してみると、中には20枚くらい入っている。ぼくはとにかく忘れっぽい人間なので、書いた内容はだいたい忘れていて、読み返してみるとまあまあ愉快であった。まるで他人から手紙が届いたよう。せっかくなので1月に投函されたものから気に入ったものを5つ選びここに記録しておく。楽しいので、みんなも部屋にじぶんのポストを置

          じぶんに手紙を書く(1月ぶん)

          エッセイ:スペース・マウンテンと悟り(あるいは、恋の教訓について)

          季節は秋のはじめ。残暑も終り、涼しくなったデート日和のこと。当時、ぼくは大学二年生であった。 付き合いだしたばかりの彼女がディズニーランド(以下、TDL)へ行きたいと言うから、前日から夜行バスに乗り込み、われわれは東京に向かったのだった。 まず、ぼくの失敗は準備不足にあった。 彼女のほうはTDL本を丹念に読み込み、付箋まで貼り、デートの当日までにしっかりと旅行の準備を整えていたのであるが(ちなみに、旅券も宿もすべて彼女が手配していた)ぼくときたら浮かれていただけで、ほとんど旅

          エッセイ:スペース・マウンテンと悟り(あるいは、恋の教訓について)

          エッセイ:野菜の教育的効果について

          昔はよく父親から折檻を受けていた。10コ年の離れた妹が生まれてからというもの父はすっかり角がとれたが、それまでは度々に激昂して怒鳴り、叩かれたり殴られたり投げとばされたり引き摺りまわされたりしたものだ。見かねた母が止めに入るまで容赦なく折檻はつづき、許してもらえるまで私は泣きつづけなければいけなかった。理不尽に怒られることも多々あった。大人になって思うに、あの頃は、父も余裕がなかったのだろう。当時は、今のように自営でなく工場に雇われの身で、そのストレスもあったにちがいない。ま

          エッセイ:野菜の教育的効果について

          エッセイ:パブロフの思い出

          海辺にある田舎の大学に通っていた。必修の科目を除けば一年次は授業もすくなく、まあまあ暇で、歯抜けのように空いた時間が多くあった。私の下宿していたアパートはキャンパスのすぐ下にあり、じっさい歩いて五分くらいの距離で、そんな好立地であったから、空き時間にはよく友だちと連れだって帰り、夏などは茣蓙をひいてみんなで昼寝していた。平和なスクールライフである。 2005年の夏の日のこと。あの日も、一限目が終わり、二限目のドイツ語を選択していなければ次は午後からというのんびりした予定で、第

          エッセイ:パブロフの思い出

          エッセイ:エディプスちゃんのここがすごい!

          仕事中にふと思う。私はなんて立派なのだろう、と。 べつに会社勤めがえらいとは思わない。が、嘗てのじぶん自身を想うと、いまのまじめな生活は奇跡にちかい。大学時代の私といえばダメな人間の筆頭であり、周りから徹底的に甘やかされていたのだった。ひさびさに同級生や先輩たちに会うと、私が生活をし、働いていることに皆が驚愕する。嘘でしょ、あのエディプスちゃんが……? 圧倒的な成長を感じる。あるいは、なにか大切なものを失ってしまったようにも思う。私は、しごく退屈な大人になってしまったのではな

          エッセイ:エディプスちゃんのここがすごい!

          エッセイ:バナナとナスビ、死のやわらかさ

          「豚たちは二度死ぬ。一度めは屠殺場で、二度めはエディプスちゃんちの冷蔵庫のなかで」(ゴンドアの谷の歌) 私は食糧を保存するというのが苦手だ。逆にいえば、食糧をダメにすることに特化した才能がある。買えば肉や魚は腐りはて、野菜・果物の類いは原形を失ってしまう。かくして冷蔵庫はさながら霊安室のよう。その悪癖を自覚しているため、ふだんはその日に食べるぶんしか食糧を買わないようにすることで対策しているのだが、それでも時々は魔が差してあれこれ買い溜めてしまうことがある。私という人間は、

          エッセイ:バナナとナスビ、死のやわらかさ

          エッセイ:2453125

          私はどうも忘れっぽい。思えば子供の頃からそうであった。やったはずの宿題を学習机のうえに忘れ、ランドセルを背負わず登校し、靴を履き替えずシューズのまま帰宅する。昔からそういうお茶目な一面があった。大人になってからも、友だちと遊ぶ約束をすっぽかしたり、恋愛の成就にかかわる重大なメールを後回しにしたまま忘れて気まずい空気になったり(当然、その恋は成就しない)、大学同期の結婚式の時間をまちがえたりもした。あれ、エディプスちゃんいまどこ? まだ家、もうすぐ出るとこ。えっ、もう式はじまる

          エッセイ:2453125

          【掌編】我が家のオリンピック

          「えっ! オリンピックをうちで?」ぼくは驚きを隠せなかった。「まさか、ご冗談でしょう?」  突然かかってきた電話の相手はCIO(国際オリンピック委員会)のえらい人らしかった。えらい人は、さいしょフランス語で話し、途中からは通訳をあいだに挟んでその要件を伝えてきた。  どういった理由なのかは何度きいても理解できなかったが、とにかく我が家でオリンピックを開催するつもりらしい。体育館や運動公園などではなく、うちの敷地で。田舎なので、たしかに都会にくらべればすこしは土地が広いが、それ

          【掌編】我が家のオリンピック

          エッセイ:もはやスマホではない、ただのホだ

          お手上げであった。 LINEを使おうと思ったらアップデートしないと使えないと仰る。やれやれ、めんどうだなあ。と、思いながらLINEのアップデートを試みると、そのためにはi phone のアップデートが必要らしく、仕方なくi phone をやろうとすれば今度は i tunes が、更にはパソコン自体のアップデートが……と次々に連鎖してゆき、現在はi tunes とパソコンの無間アプデ地獄をぐるぐる巡っているような塩梅である。そこに救いはない。 そもそも、ぼくのスマホといえば

          エッセイ:もはやスマホではない、ただのホだ

          シャボテン日記(2019/8/30)

           肌寒いような風が足にふれ、眠っていたぼくはタオルケットのなかで体をまるめた。  クーラーが効きすぎている、のではない。ねぼけ眼であたりを眗(みまわ)すと、荒涼とした夜の沙漠のような場所に一人でいるのだった。どの方位にも見晴るかすかぎり青褪めた土地がつづき、なだらかな丘陵がえんえんと地平線まで連なるそのさまは波のある海とも見紛う。寝ていたベッドはさながら小船か、ぼくはまるで漂流しているみたいだ。奇妙なことに、地面はどこまでも夜のうす暗さに呑まれているくせ、空ばかり真昼のように

          シャボテン日記(2019/8/30)

          【掌編】 悪質なカニ

           自宅に帰ると1ぴきの巨大なカニがいた。その巨大さといったら常識はずれで、体長も、幅も、ぼくの背丈をゆうに超えており、カニは台所にいたが、そもそも出入口をくぐれそうにない大きさ。一体どこから這入りこんだのか。虚をつかれ、ぼくが廊下でもじもじしていると「おう、帰ったんか」等とカニは馴れなれしく声をかけてくるので、いよいよ常識はずれというか、じぶんの正気を疑う。「おかえり」と云って、カニは両のはさみで万歳をする恰好になった。「えっ?」とこちらが思わず声を漏らすと相手も「えっ?」と

          【掌編】 悪質なカニ