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【旅日記】実は悲哀に満ちた湘南の浜辺(1) ―プロローグ―

湘南っていずこ?

私は湘南が好き。悲しい歴史の記憶が、美しい風景とともに息づいているから――。

とまあ、少しばかりカッコよく書いてみましたが、筆者が神奈川県の湘南エリアに移住してきたのは、今からほんの5年前のこと。正真正銘のフェイク地元民です(苦笑)

ひとくちに湘南といっても、該当する地域はかなり広範囲にわたります。

相模湾に面した「湘南」と呼ばれる一帯

「湘南で有名なのは何?」と聞かれたら……そうですね。サーフィンの聖地? サザンオールスターズのお膝元? 確かに、『勝手にシンドバッド』の歌詞には「茅ヶ崎」も「江ノ島」も出てきますね。ちなみにサザンの桑田佳祐さんの出身地は、神奈川県茅ヶ崎市。紛れもない湘南ボーイです。というかサザンのメンバーの中で、湘南エリア出身なのは桑田だけじゃないか!

あと、『海街diary』や『SLAM DUNK』など数多くの漫画やアニメ、映画が湘南を舞台としています。一度でも現地を訪れてみれば、「ああっ、ここ行ったことある!」とテンション爆上がりすること間違いなし。

江ノ電沿いには名所がいっぱい!

この湘南エリアの一部を取り囲むように走るのが、ローカル線の江ノ島電鉄、通称「江ノ電(えのでん)」です。走行距離は比較的短いながら、始発・終点である藤沢駅と鎌倉駅の間を停車する駅には、そうそうたる名称が並びます。

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江ノ電始発の藤沢駅

全国的にも知られている名所を、主な駅ごとにリストアップしてみましょう。

◆江ノ島駅:飛鳥時代から霊験あらたかな参詣の対象となり、浮世絵にも多数描かれている江の島がある。

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腰越海岸から見た江の島

◆腰越駅:源義経が兄・頼朝の逆鱗に触れて鎌倉入りを許されずに、留まったのが腰越の地。無実を晴らすために、義経が口述して弁慶がしたためたと伝わる「腰越状」が、満福寺に保管されている。

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義経ファンなら聖地巡礼ルートとして欠かせない満福寺

◆七里ヶ浜駅:1910(明治43)年に七里ヶ浜沖で12人の男子生徒が命を落とした海難事故を追悼し、鎮魂歌「真白き富士の根(七里ヶ浜の哀歌)」が歌われた。

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「日本の渚百選」にも選ばれている七里ヶ浜海岸

◆稲村ヶ崎駅:鎌倉幕府を倒すために足利尊氏に与した新田義貞が、鎌倉攻めの際に干潮を狙って陸路を渡った稲村ヶ崎の岬で知られる。

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潮が満ちている状態の稲村ヶ崎
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「史蹟 稲村ヶ崎新田義貞徒渉伝説地」の石碑

◆長谷駅:「鎌倉大仏」こと国宝・阿弥陀如来坐像で有名な高徳院や、木彫の仏像として日本最大級を誇る十一面観世音菩薩像を本尊とする長谷寺の最寄り駅。

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野外で風雨にさらされても負けぬ鎌倉大仏

◆由比ヶ浜駅:八洲秀章が亡き恋人を偲んで詠んだ自身の短歌をもとに作曲し、戦後の歌謡曲としてヒットした「さくら貝の歌」の石碑が立つ。

石碑に刻まれた「さくら貝の歌」の譜面
噂によると、若かりしミッチー(上皇后陛下美智子様の方)もこの歌をこよなく愛したという

駅よりも山手へ行くと、レトロで重厚な雰囲気を醸し出す登録有形文化財の洋館で、明治以降の鎌倉にゆかりのある文学者300人以上を紹介する鎌倉文学館がある。

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かつて前田侯爵家の別邸だった洋館を今に残す鎌倉文学館

◆鎌倉駅:言わずと知れた古都・鎌倉。源氏ゆかりの氏神を祀る鶴岡八幡宮では、静御前が舞った舞殿(まいでん/まいどの)、第三代征夷大将軍の源実朝が暗殺された石段や「隠れ大銀杏」などを観ることができる。

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源実朝が甥・公暁によって暗殺された現場の石段
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2010年3月10日未明、長年の風雨のために倒伏した樹齢千年余の「隠れ大銀杏」

以上、どのくらい知っていましたか? ご年配の方なら、文部省唱歌「鎌倉」をご存じかもしれませんが、あの歌詞は観光協会のご当地ソングよろしく、もろに「湘南の名所を見たってや~♪」みたいな内容ですからね。

「鎌倉」
作詞:芳賀矢一/作曲:不詳

七里が濱のいそ傳ひ、
稻村崎、名將の
劔投ぜし古戰場。

極樂寺坂越え行けば、
長谷觀音の堂近く、
露坐の大佛おはします。

由比の濱邊を右に見て、
雪の下村過ぎ行けば、
八幡宮の御社。

上るや石のきざはしの、
左に高きいてふ、
問はばや、遠き世世の跡。

若宮堂の舞の袖、
しずのをだまきくりかへし
かへしし人をしのびつつ。

鎌倉宮にまうでては、
盡きせぬ親王のみうらみに、
悲憤の涙わきぬべし。

歴史は長し七百年、
興亡すべてゆめに似て、
英雄墓はこけむしぬ。

建長・圓覚古寺の
山門高き松風に、
昔の音やこもるらん。

新訂「尋常小學唱歌」第六學年用-二〇 所収(昭和8年2月15日発行)

おもしろうて、やがて悲しき湘南の浜辺

いや実は私、移住する前から知っていたんです。湘南の海岸が、ホラーな逸話の宝庫だってことを……。そう、鎌倉が古都であるということは、奈良や京都と同じく、幾度も歴史の業火に見舞われてきたわけです。つまり、死屍累々の歴史。

「実は悲哀に満ちた湘南の浜辺」と題して、これから3回シリーズにわたってお送りするのは、七里ヶ浜、由比ヶ浜、腰越の三つの地で繰り広げられた凄まじく悲しい史実のエピソードです。

どうぞ乞うご期待!

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コロナのご時世に、静御前もマスク姿⁉(鎌倉市・小町通り)

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