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53回目"Midnight's Children" を読む(第7回)。この小説に不可欠の仕掛けがこれだろうか? これと決めたラシュディ氏、筆のスピードは一気に上がったことだろうと思えます。

この回(第7回)の読書対象は Alpha and Omega と題された章です。ラシュディ氏は章 (Chapter) とは言わず Episode と呼んでいることに気が付いたので今回以降はエピソードと呼びます。16 番目のエピソード(原書 Pages 309 - 329)です。

今回のエピソードではこの小説の「中心をなす出来事」、「仕掛けの開示」があります。しかしこれに触れると小説の種明かしそのものなので、それを避け、それ以外の側面において私が楽しんだことを話題にします。

1. 「マジック・リアリズム」なるカテゴリーにこの小説を入れて良いのか疑問が頭をよぎります。

魔術の使い手が現れて現実にはあり得ない展開を取り込む。そうすることで物語におもしろい展開を実現する。マジック・リアリズムの小説ってこの程度の事か、それ以上の何かがあるのか、これがこの小説を読む私の動機だったのです。しかしこの段落に接して、私が抱いたこの動機、疑問は肩透かしを食らった感じです。こんなのマジックと言えるものではない。よくある現実ではないかと感じました。

[原文 1-1] I should explain that as my mental facility increased, I found that it was possible not only to pick up the children's transmissions; not only to broadcast my own messages; but also (since I seem to be stuck with this radio metaphor) to act as a sort of national network, so that by opening my transformed mind to all the children I could turn it into a kind of forum in which they could talk to one another, through me. So, in the early days of 1958, the five hundred and eighty-one children would assemble, for one hour, between midnight and one a.m., in the lok sabha, or parliament of my brain.
[和訳 1-1] 私の脳の内部の設備が高機能化したのだと傲慢ながら判断します。その結果いつの間にか私の脳内設備は、子供同士の会話伝達をサポートするとか、私自身の意見・お話を放送によって子供たちに伝えるとかに止まらず、国中のネットワークとして働けることになっていました(このような言葉使いで(比喩表現で)お伝えするのは、私が、今のところラジオ放送の用語に取りつかれているからにすぎません)。したがってこの高機能化した脳の内部を全ての子供たちに解放するだけで、私の脳の内部(mind)を交流のための会議場のようなものに変えることができたのです。この仕組みを利用することで子供たちはお互いに私を媒体にして会話できる様になったのです。1958 年の春の頃には何度にも渡って、彼ら 581 人の子供たちがこの場所、私の脳の内部という会議場に寄り集まって来て、真夜中の 0 時から 1 時までの1時間を過ごしたのでした。

Lines between line 21 and line 30 on page 314,
"Midnight's Children", Vintage Classics, 40th Anniversary Edition

[原文 1-2] We were as motley, as raucous, as undisciplined as any bunch of five hundred and eighty-one ten year olds; and on top of our natural exuberance, there was the excitement of our discovery of each other. After one hour of top-volume yelling jabbing arguing giggling, I would fall exhausted into a sleep too deep for nightmares, and still wake up with a headache; but I didn't mind. Awake I was obliged to face the multiple miseries of maternal perfidy and paternal decline, of the fickleness of friendship and the varied tyrannies of school; asleep, I was at the centre of the most exciting world any child had ever discovered. Despite Shiva, it was nicer to be asleep.
[和訳 1-2]私たちグループの各々はバラバラで粗野で行儀の悪いメンバーばかりで 、どこにでもいるような 10 才の子供たち 851 人の集まりそのものでした。そんな子供たちとあれば当然の元気さに加え、誰もが互いに知り合いが出来たことで高揚していました。それ以上ないまでの大声で騒ぎ立て、言い争い、相手を侮蔑する笑い声をあげて一時間を過ごしました。そんな時間が終わった私には夢を見る元気もないほど疲れ果てているのがいつものことでした。そんな眠りからも頭が痛くて目を覚ますことも常だったのですが、特に悩まされた訳ではありません。起きている間には、幾つもの嫌なことに対峙を迫られました。母の不貞、父はというと嘗ての活力を失くしていました。近所の子供たちの気まぐれにも腹が立ちました。学校にいるとあれやこれや先生たちの命令に縛られたのです。一方睡眠中には、子供たちに考え出せる限りでは最高に楽しいと言える世界があって、その中心にいるのが私でした。シーバの存在が悩ましいとは言え、起きている間よりも睡眠中の方が好ましかったのです。

Lines between line 22 on page 314 and line 7 on page 315,
"Midnight's Children", Vintage Classics, 40th Anniversary Edition


2. この小説ではマジックと現実がないまぜになっているのではなく、マジック(?)の作用の下で進行する話と現実の世界で進行する話は文章によって明確に区別されています。

次に示す原文は次に来る挿話の開始直前のものと、その挿話終了直後のものです。(ちなみにこの挿話は、上段で引用した部分を含む、合計4ページ余りの文章でできています。)

[原文 2-1] But before blood has its day, I shall take wing (like the parahamsa gander who can soar out of one element into another) and return, briefly, to the affairs of my inner world; because although the fall of Evie Burns ended my ostracism by the hilltop children, still I found it difficult to forgive; and for a time, holding myself solitary and aloof, I immersed myself in the events inside my head, in the early history of the association of the midnight children.
[和訳 2-1] しかし、血の(血なまぐさい)事件が頻発する話を始める前に、私は翼を働かせます(この行為は地・空・火・水の内の一つの世界から別の世界へ高く舞い上がって移動できるという怪鳥の行為に似ています)。そして、しばらくの間ですが私は私の脳内の世界に展開する事件に引き戻ることにします。 エヴィー・バーンズの敗北で私が自宅のある丘の街区の子供たちから排斥され味わった孤独から解放されたもののその時の屈辱感を拭い去れないでいるのです。それ故にしばらくの間、私は自分の内側に閉じこもって、私の脳内に展開する出来事、すなわち真夜中の子供たちの集まり、私たちが集まったばかりの頃に起こった出来事に埋没することにしました。

Lines between line 3 and line 10 on page 314,
"Midnight's Children", Vintage Classics, 40th Anniversary Edition

[原文 2-2] Even a symbolic gander must come down, at last, to earth; so it isn't nearly enough for me now (as it was then) to confine my story to its miraculous aspect; I must return (as I used to return) to the quotidian; I must permit blood to spill.
[和訳 2-2] 象徴的存在である怪鳥であるとはいっても、いずれかの時点には陸(地上)に舞い降りるほかありません。それと同じことで、私が紡ぐ物語にしても奇跡の世界に終始しているだけで終わっては決して十分でないのです。私は物語を現実の世界の人々に係るものに戻さねばなりません。血を見ることのある世界なのですが、そうする他はありません。

Lines between line 14 and line 18 on page 318,
"Midnight's Children", Vintage Classics, 40th Anniversary Edition



3. ラシュディの生まれ育った町、ボンベイ(ムンバイ)への旅行記が BBC のアーカイブに納められ公開されています。

Amitav Ghosh の小説「The Glass Palace」では、ビルマの王様が、当時の支配国であった英国のつながりでボンベイに幽閉されたのだな、と何年も前に必死になって読んだ小説のシーンを思い出しました。そんなことも含めて、自分自身で見たことのない町・街を想像するに役立つ記事でした。写真ときびきびした英文とが印象的です。ただし旅行記であって、小説 The Midnight's Children をよく読んだ書き手の文章を期待してるとがっかりします。しかしコンサイスな文章は、文章の端々に現れる語句は、その読み手各自がそれまでから記憶にとどめている知識の中から、それらに繋がる記憶の断片を次々と呼び覚ませる力を秘めています。ご参考まで。
"The city of Salman Rushdie's heart" と題された サイトはこちらです。


4. Study Notes の無償公開

16番目のエピソード Alpha and Omega に対応する Study Notes です。A-4 用紙に両面印刷すると二つ折りで A-5 サイズの冊子が印刷できるように調整されています。

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