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73回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第3回)。サンフランシスコにある病院のベッドで振り返るニューヨークでの苦労の日々。


1. その意味がなかなか取れなかった2か所。主観的に読み過ぎで原文が読めてないのでしょうか? 不安が残ります。

[原文 1a] This lonely effort had stripped her of her affectations. Of course, on the other hand, the authority with which this effort had invested her caused many to insist that her affectations had all been disastrously confirmed, and constituted, furthermore, her entire dramatic arsenal.
[和訳 1a] 孤独な努力によって彼女は自身の演技から大げさな見せかけ的要素を消し去りました。その結果、当然のことながら多くの人をして、彼女のこの努力の成果であった権威・人々の称賛がそれまでの彼女の大げさな演技が無用なものであったと(disastrously confirmed)、更には、彼女の大げさな演技の全てが過去のもの(博物館に収納された、彼女が想像した全ての劇場用演技)になってしまった(her affectations (had all been) constituted her entire dramatic arsenal)と判断させたのでした。

Lines between line 23 and line 27 on page 80, "Tell Me How Long
the Train's Been Gone", a paperback of Penguin Modern Classics

[原文 1b] She seemed to listen to life as though life were the most cunning and charming of confidence men:
[和訳 1b] 彼女は常に生きる行為に聞き耳をたてるように見えました。 彼女にとって、生きる行為は信用を利用して詐欺を働く男たちの餌食のごとく、巧妙で、好奇心を呼び起こす相手・餌食であったのです。

Lines between line 28 and line 29 on page 80, "Tell Me How Long
the Train's Been Gone", a paperback of Penguin Modern Classics

上に取り上げた文章は、見出しに示した通りその理解に苦労した箇所です。ところで Baldwin は、小説において以上に評論文・エッセイにおいてより広い範囲の人々から高く評価されています(いくつか拾い読みした彼に対する批評記事による)。この種の文章である 'Fire Next Time'、'Notes of a Native son' に頻出する彼の議論・論理に共通する体臭のようなものを私はここに取り上げた文章に感じ取ったのです。
このようなこともあって、ここにこれら二か所の部分を取り上げました。


2. ニューヨーク市の公園でのデモ集会、その舞台から轟いた幼い黒人少女聖歌隊の歌声が人々を圧倒します。

黒人少女たちの聖歌隊、そのリーダーの歌声が次の通り表現されます。

[原文 2] There was a little black girl on the platform, she was part of a junior choir from a Brooklyn church. They were singing. I knew that when the choir finished singing, I would be on, and this is usually a very difficult moment for me, but the little girl's voice pushed my stage fright far to the side of my mind. They were singing a song about deliverance; she had a heavy, black, huge voice. She was the leader of the song, and her voice, in all that open air, rang against the sky and the trees and the stone walls of office buildings and the faces of the open-mouthed people and the closed faces of the cops, as though she were singing in a cave.
[和訳 2] その舞台には黒人の少女がいました。ブルックリンの教会のジュニア聖歌隊の一員です。彼女たちはここで歌うのです。この聖歌隊が歌い終わると次は私の順番だと解っていました。このような時に私はいつもドキドキして苦しむのでした。しかし少女たちの声のすばらしさに私のドキドキはどこかに隠れてしまいました。彼女たちは「解放・デリバランス」を歌いました。彼女は太い、黒人らしさに溢れた、ボリュームある声の持ち主でした。彼女はリード・ボーカルを務めたのですが、その声は会場の仕切りの無い空間に轟き、空に、周囲の立ち木に、事務所建物の石作りの壁に反響しました。そして口を開き大声をあげている参加者に、更には口を閉じ切っている警官たちにも届きました。まるで洞窟の中で歌っているようでした。

Lines between line 9 and line 18 on page 86, "Tell Me How Long
the Train's Been Gone", a paperback of Penguin Modern Classics

25 才のシモーヌ・ヴェイユ Simone Weil がポルトガル旅行中に遭遇した小村の漁師の女達の歌声にまつわるエピソード(「神を待ちのぞむ <シモーヌ・ヴェイユ>田辺保・杉山毅訳、勁草書房)と響き合います。その一節は次の通りです。

シモーヌ・ヴェイユがキリスト教との接触を深めつつも洗礼を受けないでいようと心を固めていることをお世話になっている神父に丁寧に説明する手紙の一節です。

[翻訳本の文章] このような精神状態と悲惨な肉体的状況にあった私が、ああ、これもまた極めて悲惨な状態にあったこのポルトガルの小村に、ただ一人、満月の下を、氏神様のお祭りのその日に、はいっていったのでした。この村は海辺にありました。漁師の女たちは、ろうそくを持ち、列をなして小舟の周りを廻っていました。そして、定めし非常に古い聖歌を、胸を引き裂かんばかり悲しげに歌っておりました。何が歌われていたのかはわかりまん。ヴォルガの船人達の歌を除けば、あれほど胸にしみとおるものを聞いたことはありませんでした。この時、突然私は、キリスト教とは、すぐれて奴隷達の宗教であることを、そして奴隷達は、とりわけ私は、それに身を寄せないではおれないのだという確信を得たのでありました。

《投稿者である私の注》
この文章末近くの『とりわけ私は』の部分では、この句が『奴隷たちは』なる主語の後に挿入されているに過ぎないこと、そして筆者である Weil にとって、「私がこの奴隷たちの一人である」との確たる考えの下に発した文章であることを忘れずにこの文章を読み捉えることが重要です(蛇足ながら)。

「神を待ちのぞむ:シモーヌ・ヴェイユ」勁草書房、39 頁 第 8 - 15 行

更には、私の投稿、61 回目「Midnight's Children を読む(第13 回)」で話題にした次の二つのエピソードが思い出されます。

  • *「サリームの妹、ジャミラが歌い出すシーン」と

  • *「浮浪者に落ちぶれたバイオリニストが突如ニューヨークの地下鉄のプラット・フォームで奏でた音楽がドブネズミまで感動させるシーン」


3. Study Notes の無償公開

今回で全 98 頁でなるこの小説の Book 1 を読み終えます。原本 62 - 98 ページに相当する私の Study Notes を無償公開します。A-5 サイズの紙に両面印刷し、左側をステープラーで止めると冊子ができるように調製しています。特定のページのみを印刷することもできるかと存じます。

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