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69回目 "The Wash Tub" (モームの短編集 Cosmopolitans から)を読む。今回は、読書対象の話の世界を「重苦しい日常」からお金を気にしない人たちの「気楽な日常」に変更です。

Rushdie の長編を読み終えたので読書対象を気楽なものに今回は変更します。といっても英語はきびきびしていて一語一語から香り出す中身は読者の知恵の巡り具合に競争を挑むかのようです。

"The Washing Tub" by W S Maugham はここに無償で公開されています。

同じ景色を文章で表すにしても、モームの技にかかるとその景色の見事さの格が一味も二味も高まるようです。 これはリアリティを装飾で幻想のものに変えてしまう力だとも思えます。 リアリティこそ最重要だという哲学に生きる私としては、警戒心を高めて読むぞ、騙されないぞと心を引き締めて取りかかることになります。


1. Maugham が休暇で訪れる町、Positano ですが、Wikipedia の Positano 紹介記事には何と次のような情報があります。

[原文 1] Positano was a relatively poor fishing village during the first half of the twentieth century. It began to attract large number of tourists in the 1950s, especially after John Steinbeck published his essay about Positano in Harper's Bazaar in May, 1953: "Positano bites deep", Steinbeck wrote. "It is a dream place that isn't quite real when you are there and becomes beckoningly real after you have gone."
[和訳 1]
20 世紀後半が始まった頃には、ポジターノの村は比較的に言って貧しい漁村という位置づけに留まっていました。この村が大勢の旅行者を引き寄せるようになったのは 1950 年代のことでした。特にジョン・スタインペックが 1953 年 5 月にハーパー社発行 Bazaar 誌 にポジターノに関するエッセイを書いたことがきっかけになりました。そのエッセイでスタインペックは「ポジターノはそこを訪れる人に深くかぶりつき傷を残す。ここは夢の場所である。すなわち、訪問者たちにとって、そこに居る間はその村が現実の場所とはとても思えないのです。ところがその村を離れた後になってこの離れた人々はこの村が現実であったと気づき、再訪したくてたまらなくなります。」と書きました。

Wikipedia, 'Positano' の記事より引用

この文章にあっては、書き手が意識して平坦な文章、飾りをつけすぎたり、書き手の好き嫌いを表に出したりしないようにしていることが解ります。加えて、その結果もたらされる記事全体の単調さ・退屈さを克服するために、有名人の言葉、ここではスタインベックの言葉を引用することで個人的な・感情的な表現を持ち込んでいます(というのが私の見解)。


2. この Positano がモームによって描き出されます。Wikipedia に見つけた文章[原文 1]と比べるのは一興です。

ここに引用するのはこの短編 "The Wash Tub" の冒頭に置かれて、読み始める読者をこの短編の世界に引き込む役目を担っている文章です。

[原文 2a] POSITANO stands on the side of a steep hill, a disarray of huddled white houses, their tiled roofs washed pale by the suns of a hundred years; but unlike many of these Italian towns perched out of harm's way on a rocky eminence it does not offer you at one delightful glance all it has to give. It has quaint streets that zigzag up the hill and battered, painted houses in the baroque style, but very late, in which Neapolitan noblemen led for a season lives of penurious grandeur.
[和訳 2a] ポジターノの集落は山の急峻な斜面に造られています。互いに寄り集まるように建てられた白い建物の一群ですが、建物の並びは不揃いです。屋根は瓦葺ですが、その瓦は百年もの間、太陽に曝されただけあって色は褪せています。しかし、岩ばかりでできた高台(eminence)に外敵からの攻撃に備えて造営されたイタリアには良くあるこの種の集落・町とは異なり、この集落はそれが有する素晴らしい特質の全てを、それを一目見るだけの人々には開示しません。この集落には古ぼけた何本もの通りがあります。通りは急な登り坂で細かく折れ曲がるのですが、そこに立つ家々はバロック様式のもので汚れて傷んではいてもペンキで塗り上げられています。傷んではいるのですが、最近になってナボリに住まいしている貴族の人たちがやって来て一シーズンを’ここで暮らすのです。あえて「不便な生活の贅沢さ」を味わいます。
[原文 2b] It is indeed almost excessively picturesque and in winter its two or three modest hotels are crowded with painters, male and female, who in their different ways acknowledge by their daily labours the emotion it has excited in them. Some take infinite pains to place on canvas every window and every tile their peering eyes can discover and doubtless achieve the satisfaction that rewards honest industry. "At all events it's sincere," they say modestly when they show you their work.
[和訳 2b] 集落は殆ど類を見ないまでに絵画的な美しさを持っています。2・3軒ですがそれなりに質の高いホテルがあり、冬になると画家たちで込み合うのです。男性も女性もいますが、画家たちはそれぞれに異なる手法を駆使して来る日も来る日も絵を描き、この集落が彼らの心を興奮させる、その興奮とはこれなのだとそれぞれに表現します。これらの画家たちの何人かはキャンバスの上に一つひとつの窓を、瓦を描き上げるために苦しい努力をいつ果てるともなく続ける画家たちです。彼ら彼女らの好奇心に満ちた眼が見出すことのできる窓、瓦が見せる姿を、それら姿の中から必ずや自身のコツコツと積み上げる努力によってこそ報われることになると思える窓、瓦を描き上げるのです。このタイプの画家たちは、決まって控えめに「何と言おうとこの集落は嘘をつかないのです。」と主張しながら自らの作品を人々に見せてくれます。

Lines between line 1 and line 20 on page 359,
"Cosmopolitans" by M S Maugham, found in archive. org


3. モームの文章、作品を読んで楽しい、おもしろいと思うのですが、何故に読者のそのような気持ちが、そのような評価が生まれるのかを考えてみました。

私の考察ノートのページをここに貼り付けます。

(以上は文章構造の分析 前半です)
(以上は文章構造の分析 後半です)


4. Study Notes の無償公開

Study Notes を無償公開します。A-4 の用紙に両面コピーすると A-5 サイズの冊子ができるように調製しています。裏表併せて全部で 11 ページです。

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