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天丼


先日、家族での夕食中に、「天丼」の話になった。
先に食べ終えた夫が、牛乳を買いに行ってくれると言って、「ほかに何かある?」と聞いてきた。私は、パンと、チーズと、ごみ袋と…と答える。
すると、子供たちが口々に
「牛乳は?」
「チーズは?」と聞いてきた。
私はそれにいちいち
「パンは」「それ言った。」
「チーズは?」「それも言ったね。」
「牛乳」「そもそもそれ買いに行くから。」
「玉ねぎ!」「言ってないけどあったら嬉しい!」
と突っ込んでいった。

そう、これが天丼(多分)。
同じくだりを繰り返し、笑いを誘う技法。
「これさ、『天丼』って言ってさ。こうやって繰り返すのが面白いんだよ。これ、大人の笑いだよ。」
こいつらもここまで来たか、と感慨深い。
しかし、そこは所詮おこちゃま。
いつまでも「パーン!」「チーズぅ!」と繰り返して来るので、
「いや、天丼って限度あるんだよ。やりすぎるとつまんなくなるから。
やるなら10分後ぐらいに、みんなが忘れたころにやんな。」
と、応用技を教えてやった。
「じゃ、忘れて!みーはもう忘れたから!!
はい、パーン!!」
記憶消去はもっと高度な技なんだよ。


思い返すと、人間の初期の笑いは「天丼」なんじゃないだろうか。
赤ちゃん向けの絵本には、「いないいないばぁ!」や「ぴょーん!」など、同じ語句を繰り返すものが多い。同じ流れが続くことに、安心感があるのか。
実際、幼児は覚えた言葉や面白を何度も繰り返す。聞いててたまに「だーーッ!!」ってなる。天丼を自ら作るようになる、というのは結構高度だと思うけど。

その次が、天丼の予定調和をひっくり返す笑い。例えば、神妙な顔していたお父さんが、いきなり大きな笑い声を上げながらこちょこちょしてくる。
幼児に人気の絵本「パンどろぼう」シリーズなんかは、めちゃくちゃ「フリ落ち」が効い
ている。

予定調和をぶち壊す、言ったら「緊張と緩和」みたいなもの。
そして、この「緊張」であったり、「フリ」が成立するためには、受け手である子供が、精神的な「待て」ができなければならない。軽い緊張感に堪えて待つこと、あるいは平熱のフリの時間に堪えること。
その先に、盛大に「オチ」が待っているという、他者との了解のもと成り立つ笑いだと思う。

天丼、そして緊張と緩和、かくして幼児期の笑いは徐々にランクアップしていくのだが、ここにとんでもない破壊神が投入される。

圧倒的「う〇こち〇こ期」の到来である。

天丼だとか緊張と緩和だとかフリ落ちだとか、そういう論理を全てぶち壊す、う〇こち〇こ。
そして、う〇こち〇こ期の最も恐ろしいところは、多くの人にとっては一生続くということだ。

あなたは、M-1 2023 敗者復活戦の、スタミナパンのネタをご覧になっただろうか。
観たことないという方は、一度ご覧いただきたい。
出来れば、電車の中とかは避けた方がいい。


どうでしょうか。
M-1敗者復活戦を観覧する、笑いに厳しい(であろう)目の肥えたたくさんの大人たちが、
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
で、会場を揺らす大爆笑である。
私も、10 回観て 10 回笑ってしまう。

M-1 という、漫才師が人生を掛けてぶつかり合う、そして、決勝ラウンドに進めるラストチャンスの舞台。
その場での
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」

一応、敗者復活戦という状況においての「緊張と緩和」ではあるが、そんなものどうでもないくらいのう〇ち。
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
で、ネタ一本やり切る。う〇ちの限りない可能性、そしてどんだけ高尚ぶっても人はう〇ちの前に無力である事実を悟った。


なお、M-1 はちゃんとした漫才の大会なので、どれだけ爆笑をかっさらっても
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
一本のネタで勝ち上がることはなかった。


う〇ちがすべての人を笑顔にする。う〇ちの水平展開の力を感じたが、一方で、う〇ちは垂直、時間軸での力も持っている。

新生児期、初めて「背中漏れ」という現象に直面し、新米両親を翻弄し絶望させたう〇ち。
離乳食後期、たんぱく質を摂取したとたん本性を現し、小さいながら大人並みの臭さを放って、驚愕させたう〇ち。
トイトレ期、子が恐怖を乗り越え、初めてトイレで排便し、両親を感涙させたう〇ち。

う〇ちは、全ての感情を内包している。
う〇ちは、人生とともに歩んでいるのである。


スタミナパンの
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
は絶対に幼児に布教するべきと考え、家族全員で YouTube を観た。
はやる心を抑え、運命の瞬間を待つ。そして、その時はやって来た。
ボケの麻婆(まーぼー)の、渾身の一撃が放たれる。
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」

夫と私、爆笑。
娘たちよ、これが令和の笑いだ。
ドヤ顔で見やった彼女たちは、ピクリともしていなかった。
その後も繰り出される
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
引き続き、夫と私しか笑っていない。

どういうことだ。お前はすでに圧倒的「う〇こち〇こ期」に肩まで浸かっているではないか。
悔しすぎるので、
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
の面白さについて、言葉で説明するという屈辱を味わった。
こんな宝、絶対に保育園で流行るべき。よその親御さんには申し訳ないが、現在(いま)を生きる人間として、
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
の感動を共有したい。


その後数日に渡って日常生活の中で使い続け、正しいポーズも指南した結果、
「なんか親が笑ってるしやってあげる。」という妥協のもと、
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
をやってくれるようになった。
略称「ほんちー!」もやってくれた。

そう、やってくれる。
夫と私の、圧倒的「う○こち〇こ期」に、娘たちが付き合ってくれている。
話が違う。う〇ちは全てを内包し、全ての人間を笑顔にさせるのではなかったか。


ちなみに娘たちは、同じく敗者復活戦の、トム・ブラウンのネタでは爆笑する。私もトム・ブラウンのネタは爆笑する
けど、幼児にしちゃあなかなか渋いというか。
と思っていたら、トム・ブラウンは意外と幼児人気が高いらしい。何故。


とりあえず私は、ちゃんと園で流行るまで
「ぶり、ぶり、ほーんとにう〇ちしてまーす!」
を続けていく。もう、最近はまた真顔で見つめる期に突入しかけているけど、止めない。
娘たちよ、これが大人の、いや君たちの母の笑いだ。

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