なにわ男子「マジック」―ありったけのフィクションと少しのリアル

なにわ男子2ndアルバム「POPMALL」シリーズ
前回記事は↓こちら

最重要曲を見つけてしまった

前回記事で、「次回は『ねぇ』について書く」と言っていました。
しかし、気づいてしまった。
この曲の重要性に。
「ねぇ」は後回しだ。今回は「マジック」だ。
皆に伝えたい、「マジック」はとんでもない名曲であると。

今回は本当に「ほざき」無し。ほざいている暇は無い。
込み入った話になるが、どうにかついてきてほしい。

こんな曲で、これからこんな話をするよ!

↓↓↓試聴↓↓↓

↓↓↓歌詞↓↓↓

曲調としては、明るくポップな、王道ジャニーズ、ザ・エンターテイメント、的な。
詞は、退屈な日常の応援歌。
これってアイドルソングに結構あるパッケージ。
例)Not yet「週末Not yet」
  SMAP「がんばりましょう」
  NEWS「weeeek」
など。
※Not yet…大島優子・指原莉乃・北原里英・横山由依の派生ユニット。

今回は、「週末Not yet」「がんばりましょう」 
とともに考察していく。
とはいえ上記2曲は、話の展開上必要な部分だけ抜き出すので歌詞リンクは張るけど必ず読んで!というほどではない。
なおNEWSの「weeeek」は、とある理由で除外、のちに説明します。

今回「マジック」の詞について考えるにあたり、
1.それぞれの曲の人称
2.「僕ら」とは誰か
3.メタ構造の中での意思表示
を軸に展開する。

うわ、仕事っぽい。

1.それぞれの曲の人称 ― 誰から誰へ?

人称は、1人称(I、WE、僕、私)とか2人称(YOU、あなた)など。
では曲ごとに確認していこう。

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「週末Not yet」

1人称:僕
2人称:君
AKBG曲には、僕=ファンである曲が少なくない。
しかしこの曲はその余地を挟ませない、明確な「キスをしようぜ」というフレーズがある。
そして僕=彼氏と、君=彼女しか存在しない、完全に恋人同士のクローズドな世界での話。
僕から君へ、そして歌詞中に
  ”僕は自分にも言い聞かせたい”
とあるということで、たまには自分へ向ける応援歌、といったところ。

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「がんばりましょう」

1人称:僕ら
2人称:なし
3人称:Girl、Boy

1人称「僕ら」は1度しか登場せず、しかも
  “空は青い 僕らはみんな生きている”
という、ほぼ人類全体に近い使い方だ。
3人称の「Girl」「Boy」にしても、すべての女と男を指していると解釈して差し支えないだろう。
つまり、人類全体に対する(広すぎるので多少限定し、日本のみんなへの)応援歌といえる。

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「マジック」
1人称:僕ら
2人称:キミ
ストレートに考えると、僕らからキミへの応援歌、ということになる。
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なお前述の「weeeek」については、人称は「僕たち」「俺たち」のみで、2人称・3人称が存在しない。そのため今回の例から除外した。

2.「マジック」における「僕ら」とは誰なのか

ここで、「マジック」の一人称、「僕ら」について考えていく。
なお、「僕ら」は曲中で1度しか登場しない。

  “いつも誰かがウワサ ハクション 
  気にしてちゃ損だねノンノン
  どうせいつかは僕らヒーロー”

ここだ。
このフレーズの中に、隠れ3人称「(ウワサする)誰か」が登場する。
ウワサする誰かがいる以上、対比としてウワサされる側の「僕ら」が存在している。
この時点で、「がんばりましょう」における、人類全体としての「僕ら」とは全く意味合いが異なる、特定の人たちであることが分かるだろう。

「僕ら」が1回しか登場しないので、「僕ら」の正体は「キミ」との関係性から推測するしかない。
まず、人数という観点から見ていく。なお、複数形なので最少人数は2人とする。

  “キミに対して今興味ない フリはもう飽きたし”

「興味ないフリはもう飽きた」という感情が明確にある、つまり数百人単位の大人数ではない。
感情を共有できる範囲として、2人~10人程度とする。

  “目指せ「5日」でキミのヒーロー”

ヒーローということで、映画・アニメ等のヒーローものから推測する。
「ふたりはプリキュア」が最小の2人
「スーパー戦隊シリーズ」は基本5人
「セーラームーン(無印)」は5人
「アベンジャーズ」は7人
(シリーズ毎に変遷するが、7人ver.にさせてくれ頼む)
まとめると2~7人。

「僕ら」についての情報をもっと付け加えると、
”今が旬かどうかはわからない”し、”いつも誰かがウワサ”している。
これは一般人ではない。一般人は己の旬など意識しないし、いつも噂されるほどの注目の的にはならない。
突っ込んで言おう、芸能人だ。
もう何がいいたいかは、ほぼほぼわかるだろう。

なにわ男子の曲中に登場する、2~7人の、ヒーローになりたい、芸能人の「僕ら」
…十中八九、なにわ男子本人と思って差し支えないだろう。

なぜこの周りくどい特定をしたのか。
なにわ男子の曲だし、なにわ男子が主役なのも普通にありえるだろ、と思うかもしれない。

しかし、この後展開するが、おそらくこの曲は恣意的にメタ構造――フィクションでありながら、現実の要素が介入する作りになってる。

そうなると「僕ら」が、なにわ男子という実在する人物=現実の象徴であるという、絶対的な共通認識がないと進まない。

なお、メタ構造「でない」曲の例は、前回取り上げた完全フィクションのボーイミーツガール曲「I know」だ。というか大体の曲がそう。

3.メタ構造におけるなにわ男子からの意思表示

メタ構造を成立させるために、「フィクションである」という前提を確かなものにする必要がある。
そのためか、曲中にはズバリ
「フィクション」「ドラマチック」「大気圏突破」
といったファンタジー的表現が多用されている。
何より、タイトルが「マジック」である。

ファンタジー感が最も強いのが1番Bメロ

  “だけど「いつか」じゃ遅いアクション
  巻き起こす今日からフィクション
  目指せ「5日」でキミのヒーロー
  リズムに乗って大気圏突破 フィルムに収めて“

この部分だ。
退屈な日常に対して、今日からフィクションと言ってのける。これはほぼ現実逃避だ。
応援歌では、退屈な日常への対処はほんの少し彩りを添えるとか、週末に向けてやり過ごすとかがよくある落とし所だ。
それを、退屈だからフィクションに変えちゃえ!と言うのはかなり突飛であり、この曲が単に応援歌では無いぞ?という気配を感じさせる。
なお大気圏突破に至っては宇宙に行っちゃっている。

そしてサビ “起こせマジック”“ドラマチック”。
退屈な日常という現実を、ことさらに非現実化しようと詞が展開されていく。
どんどんファンタジックになっていっている、ということだ。曲調も相まって、サーカスのような華やかな非現実性をしっかり感じるだろう。

1番はメタ構造の「フィクション」部分をこれでもかと強調した。

ところが、2番では、非常に現実的かつ印象的なパンチラインが登場する。
2番Bメロ、つまり曲中最もファンタジー感の強い、先程の1番Bメロと同じメロディーラインでこう歌うのだ。

  “いつも誰かがウワサ ハクション
  気にしてちゃ損だねノンノン
  どうせいつかは僕らヒーロー
  手のひら返し大歓迎さ 一緒に進もうよ“

このフレーズ。
あまりにも印象的なので、これが確実に「なにわ男子のもの」であると断定したいがために、前セクションでしつこく「僕ら」の特定をしたのだ。
これまで積み上げたフィクションの中に突然、現実のなにわ男子の状況と意思が介入してくる。
これを「メタ」と私は表現したかったのだ。

現役アイドルが発するメッセージとしては、あまりにもセンセーショナルだろう。
まず、ウワサされていることに自覚的であり、手のひら返しを受けることも厭わない。
手のひら返しということは、「今時点でよく思われていない」ことが前提にある。
そうすると先に述べた「ウワサ」も、ネガティブ寄りであることがわかる。

アイドルが、しかもかわいくPOPでピンク色に包まれデビューしたなにわ男子が、世間のネガティブな意見に自覚的であることを、王道アイドルソングの中で明言する。
しかも、ファンタジックな世界観を恣意的に作り上げたあとで唐突に。

さらにその後続くサビで、
“良いことも悪いことも全部 思い出になるから”
とも歌っている。

ここまでの流れをまとめると、
フィクションとファンタジーに向かって曲が展開される中、「キミ」を応援し続けるなにわ男子が、突然にアイドルの苦悩を吐露し、苦も楽も受け止めて胸を張って進む、
そうい文脈になる。

人称のくだりで、この曲は「僕ら」から「キミ」への応援歌と書いた。
しかし、これはもう、私の推測と願望に過ぎないのだが、おそらく「キミ」だけでなく、なにわ男子自身への応援歌でもあるのだろう。

フィルムに収めるもの

ここまではネタバレを避けるためナンバリングして3軸で語るテイにしたが、もうすべて明かしたので、考察点を1つ追加する。
これまで述べたとおり、この歌はなにわ男子を主人公としたものという前提で話を進める。

曲中、「フィルム」という単語が2回登場する。
「フィルム」もまた、「僕ら」=なにわ男子、を成立させる要素のひとつだが、これが全く対照的な意味合いで使われている。
1番Bメロ

  ”目指せ「5日」でキミのヒーロー
  リズムに乗って大気圏突破 フィルムに収めて”

ここでいう大気圏突破は本当に種子島から発射するやつではなく、アイドルとしての飛躍という意味の比喩だろう。
それをフィルムに収めてーメディアのみなさん、どうぞ僕らを映して。ということかと。
細かい話になるが、「収め - て」の終助詞“て”が、ここでは軽い命令の用法になっている。
対してCメロ。

  “一生に一度の かけがえのない「今」だから
  忘れないように 心のフィルムに収めて
  ずっと抱きしめて”

終助詞“て”は、先程と違い手段の用法になっている。抱きしめるために、心のフィルムに収める、ということだ。
ずっと抱きしめられる、心のフィルム。
要は、思い出だ。
「メディア露出」と、自分だけのものである「思い出」と、対極にある。

「フィルム」が、カラフルな衣装を纏ったなにわ男子と、ステージを下りた1個人とを対比させる小道具となっているのだ。

ヒーローを目指し、メディアに晒される事を生業とするなにわ男子が、いじらしくひっそりと胸に抱えるのが、自分だけの心のフィルム。

そして落ちサビ、
”終わらない退屈な今日に 今こそBang!  起こせマジック”(大橋和也)
”なんて簡単にゃいかないか でも出来なくないさ”(西畑大吾)

前半、バラエティタレントとしての地位を確立しつつある大橋和也が、テレビでの「大橋くん」のまま少年みたっぷりに歌う。
対して、西畑大吾は少しの憂いとウェットさで歌い上げる。
アイコニックな存在「なにわ男子」の強がりと、カラフルなコスチュームの中に隠した密やかな弱音の二面性を歌っているように聴こえる。

「ウワサ」「手のひら返し」を受けても

私は基本的に平和主義のオタクなので、推しに関するネガティブな情報は極力耳に入らないようミュートなりブロックなりしている。
しかし、この1年なにわ男子の待遇やキャラクター性について、揶揄する声を目にしたことは1回や2回ではなかった。
本人たちはそんな状況を、肌で感じているだろう。

その中で今回、「ウワサ」を気にしてちゃ損と笑い飛ばし、
「手のひら返し大歓迎さ」そしてそんな人たちにも「一緒に進もうよ」と呼びかける。
ついでに、これらのフレーズを大西流星・長尾謙杜・道枝駿佑の年下3人組に可愛らしく歌わせることも、なにわ男子らしくポジティブであろう、とする姿勢を強調している。
どんな状況もいつかドラマチックになるさ、と胸を張り、進み続けると自分たちを鼓舞する。
ファンとしては、胸が苦しくなるようないじらしさを感じずにはいられない。
でもこれが、おそらく彼らが届けたいメッセージなのだ。

「マジック」は、なにわ男子の秘めた強さと覚悟の象徴である。
今作中でもメッセージ性の強い重要曲と言えるだろう。
個人的に「ねぇ」と双璧をなす、最重要曲だと思っている。


余談

この、応援歌で突然アイドルの悲哀に言及される構造。
実はSMAPの「がんばりましょう」も同様なのだ。

  ”うしろ指さすのなんてさ好きな人も多いでしょ
  ツキは天下のまわりもの めぐりめぐる代物
  すごいリッパになって すげーいい服着ても
  モロにころべば痛い そんなもんだよね”

うしろ指さされ、ツキに左右され。
ウワサされ「今が旬か」と悩むなにわ男子に通じるものがある。
曲を聴くと分かるが、「がんばりましょう」はアイドルソングで応援歌でありながら、なんだかタルい雰囲気で哀愁が見え隠れする。それはアーティスト性によるところもあるが、時代の影響もあるだろう。
「がんばりましょう」発売の前年93年はバブル崩壊の余波で、下落し続けた景気が底を打った年だった。
応援歌する対象が人類全体(とくに日本)なのは、そういう理由なのかもしれない。

ちなみに、「がんばりましょう」は
  ”かっこいいゴールなんてさ あッとゆーまにおしまい”
に始まり、
  ”かっこわるい毎日をがんばりましょう”
で終わる。
かっこいいとかっこわるい。こういう対比表現を、最初と最後に配置するというおしゃれさ、大好きだ。

遊びなしで約5,000字読み切ったあなたは最高です。
この拙文を理解してくださった人は、ツイッタ―…じゃなくてXに🐙とリプしてくれると私が泣いて喜びます。