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ぼっち在宅介護 今を一回満足してみる。そして、「こっから」だ!

やっと、父の昼夜逆転がうまく運行しはじめましたー。
ここ最近のしんどさは、睡眠時間が12時間入れ替わるためにあったようで…
長い時間眠りすぎて、睡眠の質がさがったり、ドリンクを飲む時間が遅くなったり、量が減ること、暑さと湿度なんかで、呼吸器官もシフトチェンジせざるおえなかったみたいです。だからしんどかったようです。

土曜日から、すこん!と日中に10時間以上、しっかり眠れるようになり、夜中に時代劇チャンネルで時間をつぶしてくれています。
朝、私の顔を見て、朝のお下ケアをし、朝食をたべると、すやすやスヤスヤ。最近は、イビキもかかなくなり、無呼吸症候群かなぁ?という疑いも晴れてしまいました。


これまでは、昼夜逆転になったら…あたふた。
戻ったら戻ったで「頑張れ頑張れ」と言っていた気がします。


まるで…
海で藁を掴み、
森で藪につかまってるような、
感じがします。


私も父も目の前の現象や状態ばかりに気がいってしまい、なぜそうなるか?こっから何ができるか?をあまり考える余裕がありませんでした。

介護される老人と介護する家族、突然現れた状況変化についていくのがやっとだったというのが正直なところで、現状を維持するのが精一杯だったんです。


昼夜逆転も、たまになるもんだ!と思うと、すっと元に戻り、あれ?という感じで…

で、またなるだろうね?と思っていたら、なって…あ、やっぱりねぇ〜という感じです。

今回の通常運行は、在宅介護中、最長の運行ができていました。出来すぎで、死んじゃうんじゃないか?と皆思ったくらいです。
いつもなら、半月ぐらいで、昼夜逆転に移行してました。その際の移行時間は数日くらいでした。
が、今回は、一ヶ月くらい朝から夕方まで起きていられた気がします。
で、移行期間に一週間くらいのしんどい時間(睡眠不足や睡眠質の低下)が流れました。

比率で言えば順当かなぁという感じですよね。
過ぎてみれば。でも、過ぎてる最中は、わからないことばかりなんで、本人も私も、不安と睨めっこしかありませんから、ドタバタともがいてしまうんですけれども…



よくよく落ち着いて考えてみましたら、現状で、すごく不幸とか残念なことは、その家々であるわけですけれども…

ま、変えようのないことだけを冷静に受け止めてみますと、意外と捨てたもんじゃないことも理解することができたりします。

家々でもちろん諸事情違うと思うので、不快に感じる方がいらっしゃったら申し訳ないんですけども。


ウチの場合は、家族がバラバラでございます。お金もなくなり、父は保険も解約されていましたから、死んでもまとまったお金が入りませんので、葬儀代とかお墓代といった所は最低限貯金しておかねば、私ら子供の代に支払わせることになります。

が、今日明日の食うには困りません。雨漏りはたまにしますし、冬は寒く、梅雨はジメジメ暑い家、シロアリもコロナ禍にでましたが、通常の雨風は凌げます。

父の介護は、大変は大変です。
ウチは、家族のことや経緯がいろいろありますが、ま、父には私がついていますし、私の暮らしや田畑のことには主人が助力してくれています。

我々夫婦にしても、子や孫はいませんけれど、受験や結婚、出産ということに協力しなければならないわけではありません。

逆に、お子さんがいらっしゃっる方々には、協力しなければならないかもですが、ゆくゆくに相談したいことがあれば相談に乗ってくださるかもしれないわけで。


全部が全部、残念で不幸でどうしようもない闇にいるかというと、ちょっと明るい部分もあると思うのです。


まずもって、一回、今を満足してみるとしましょう。

父ならば…
転倒した。足を悪くして寝たきりになった。が、上半身はまだいろいろ頑張れる。
頭も回転は悪くなった。が、娘となら、なんとかコミュニケーションとれてるかな。
ご飯は、咽せるが、食べれている。
病院が嫌だが、先生はきてくれるし、家にいれている。
家族はバラバラだけど、まだいる。
金はないけど、食うには困らん。


私なら…
更年期だけど、ホルモン療法でマシになった。
在宅介護だけど、オヤジは割と気が合うほう。
お金は貯めねばならんが、父のお金は父のために使いながらで、頑張ろう。
私と主人は遠距離夫婦になっているが、ややこしい時期にいい距離感でいられている気がする。
コロナ禍に二拠点生活になり、自由を奪われているが、実際、私は父の介護のおかげで田舎に避難ができていて、感染せずに日常が送れた。


と、
「ま、いいんじゃない?」
と、一回今の自分を受け入れてみました。
まんざら、悪いことばかりでないことに気づくんですよねー、書き出してみると。


なんでも不自由なくいられてる時は、気づかなかったいいことにも気付けます。


いい時期から、急転直下しますと、
もういろんなこと(体力、健康、時間、お金、気持ち、物、イベント、楽しいアゲアゲな状況など)が、
ただただ奪われていく〜!
と不安に押しつぶされて…
「この先、どうなるんだろう?」
とモヤモヤしてしまうことあります。

が、一回、モヤモヤしきってしまうんです。
海底にタッチして、苦しくなったら、自然と浮き上がってきて呼吸します。
意外と、普通に呼吸してたりします。
(できない方いらしたら、ごめんなさい🙇‍♀️)


できなくなった自分とか、足りなくなった状況とか、そんなんこんなんひっくるめて、今の自分を受け止めて、見つめ直す、諦める、明らかにするんです。(なんかで読んだ)


あと、自分には、まだ何が残っていて、何ができるのか?
何ができて、何ができないのか?
それは、地球の中で一番不幸な状態か?

きっとねぇ…いろいろ大変な方いっぱいあると思うんです。つらくてつらくてたまらない方。けど、ほんまに、呼吸できひんとか、水も喉を通らない方とかもあると思うんですけど、病院でプロの方に見てもらえてたり、、、
一人で苦しいけど自由だとか、、、
いい側面もなんかしらあって…たぶんそこから出来ることってあると思うんです。

だから一回、今の自分を愛しなおしてあげるというか、「ま、いいんじゃない?」「最悪でないよね。」と受け入れてみてから、、、できることを探してみたら、かなりいい感じに何かができていたりします。


今朝、また、
父のベッドの洗濯ばさみが外されていました。

ベッド柵の鉄パイプが冷たいので、フリースの布をかけて止めてるんですが、たまに取れていたり、向きが変わっているんです。

それを、私はずーっと、父がせん妄気味になっていて、布団や布をこちょこちょ触ってると思っていました。
向きが違っていた時は、認知力の低下と思っていました。



「また外したん?」

と聞いたら、

慌てて洗濯ばさみを持って、はめるために体をよじりはじめました。
筋力的に、苦手方向、起ききれない方です。
ちょっとだけ手を貸して背中を支えると、洗濯ばさみを慌ててにぎってつけようとします。
が、ハサミの中心をもってるせいで、洗濯ばさみが開きません。

「もっと、こっち持ったら、開くんちゃう?」

と持たせ直したら、なんとか開いて、柵に突き刺さすことができました。


しんどい向き直りをやめて、はぁぁと上向きになって落ち着いた父を見て…

「ん?もしかして、洗濯ばさみ、トレーニングに使ってたわけ?」

父はうなづきました。


苦手な方向への体起こし、体調の確認とトレーニングに、洗濯ばさみを刺したり抜いたりできるかを目標にやっていたんですねぇ…


はぁぁぁぁぁ、はよ言えよ。
もっと応援したのに…

でも
父は、父のペースで父に残った力でやることに意味があると思っていたので、いう必要もないし、「あ、今日はできたな!」と自分で満足できればよいので、これに関しては私の応援なんかいらないのです。


たまに布団の中に隠したようにあった洗濯ばさみは、トレーニング中に落としてしまい、戻せなかった日ということでしょう。

「また、外してー!」と怒ってたかもしれない…けど、ま、本人はそこが問題ではないので良いのです。


そっかそっか、すげ〜やん。


「これまで」は「これまで」
だけど、
こんなジジイにも「こっから」がある。

私にもある。「こっから」


まだまだ「こっから」だねぇ。
どこまでいけるか、楽しみだねぇ。

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