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脱アジャイルを考えていた。エンジニアリングとアートを行き来して。

---ソフトウェアエンジニア。アジャイル大好き。認定スクラムマスター。LeSSもやってる。そして、ここ数年アートを学んできて思ったことがあったので雑メモ。

要約

ウォーターフォールは組織で成果を出そうとしました。
アジャイルはチームで目標を達成することを大事にします。
今後は個人の想いの方がもっともっと大事になるかも?
と思いました。

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背景(物語)

アジャイルのムーブメントが生まれた時代って、プログラムはまだちょっとだけ趣味の延長でサブカルでオタクの世界の名残がありました。みんなモノづくりに情熱がありました。

ソフトウェアがビジネスの中心になり始めてウォーターフォールというあまり個人を尊重しない官僚的なプロセスが流行って閉塞感が広がります。

アジャイルムーブメントによってプログラマーは解放されました。堅苦しいウォーターフォールに嫌気がさしていた人たちは喜んで受け入れました。やっと自分たちの情熱が向けられる。

アジャイルがメインストリームになります。どこからかうじゃうじゃとアジャイルのプロが現れます。アジャイルはこうあるべきだ、とアジャイルを仕事にする人まであらわれます。わが社はアジャイルでやっていきますと会社命令もでます。
(……あれ?なんかアジャイルも堅苦しくなってきました)

そして今の時代の多くは職業プログラマーです。サブカル的な熱量はありません。生まれたときからアジャイルがあってプログラマーが職業の1つである世代にとってアジャイルはただの暑苦しいプロセスです。「自律的チームで熱意を持ってプロダクトを作ろう!常に改善を目指してくれ!」と言われても「何熱くなってるんですか?そもそも仕事ですよね?言われたことだけやりませんか?なんで全部チーム任せなんですか」という感じです。

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そしてアートの時代です。
アートの根っこは個人の想いを形にすることだと思います。
ビジネス(会社のビジョン)に共感した個人が、自分の想いを実現していく中でビジネスに貢献できる。
別に会社のために働いているわけではない。
そんなプロセスが必要になってくる時代なんだと思います。←というプロセス?を今考えてます……

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