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『先生』と言われると、、

世の中には『先生』と呼ばれている人がいます。職業でいえば医師、弁護士、政治家、教諭など。他にもまだたくさんあると思います。

私が所属する地区の保護司会では、保護司同士で『〇〇先生』と呼びあっています。
私は最年少ですが、十も年齢の違う元校長先生やご住職などの立派な方に『先生』などと呼ばれると、違和感を覚えるのです。

『先生』というと、真っ先に学校の先生が思い浮かぶのですが、以前、教育長をしていた知人が語っていたことを思い出します。

それは、大学を卒業した20歳過ぎの若い教諭もいつも周りから『〇〇先生』と呼ばれます。ひとまわりも以上も年齢の違う保護者からも『先生』と呼ばれます。
その若い先生の中には自分は偉いのだと勘違いをしてしまう先生がいるそうです。
そういう人格的に問題ありの先生を指導することが増えてきたということを話していました。

それを聞いて教諭に限らず、どの組織でもそういうことは、あるのではないかと思いました。

議員の子息や創業者一族の社長子息などは周りから崇められ、自分は偉いのだと勘違いする人も一定数いると思います。(大半は素晴らしい人だと思いますが。)

また年齢に限らず『先生』『会長』『社長』などと呼ばれている人は、気をつけないといけないと思うのです。

『先生』などと言われ慣れると、稍もすると高慢の心が浸透して、かたくなになり寛容さが失われてしまいます。

また立場が上になればなるほど、周りには叱咤してくれる人がだんだんと減っていきます。

だから立場ある人は、自身を叱咤する厳しさと内観が必要ですね。

社員に「社長!それは違うのではないですか?」などと否定されても、ムッとしてはいけないのです。

相手を見下しているから、腹が立つのでしょう。

しかし『understand』 自分の立ち位置が下にあれば、相手のことを理解できます。

考え方は人それぞれ違いますし、自分だけが正しいなんてことは、そうそうありませんからね。


精神はメタで崇く、態度や心は低くなくてはいけないと思うのです。

実るほど頭を垂れる稲穂かな』ですね。

つまらないことでぶつかり合うことは、同じ精神レベル同士の二次元ということであって、次元が違う崇い人は、三次元的メタ精神なので衝突することはありません。(夫婦間はたまには、本心をぶつけ合うことも大切だと思ってますが。)

子どもに『お父さんだって、スマホばかり見てるじゃん!』とか言われて
『これは勉強をしているんだ!』などといちいち怒っていてはいけないのです。


私は、彼女たちよりも三次元のメタな精神です。

怒ったり衝突することは決してないのです(笑)


−了−


最後までお読み下さり、ありがとうございました🙇

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