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宛先のない日記


入り口も出口もない文章をつらつらと書いてます。

日記みたいなものなので、気軽に覗きに来てくれたら嬉しいです。


        


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「もしも1997年の人に手紙を送るのであれば」


二〇二〇年という耳慣れない響きの年がやってきました。

どうしようもない泥濘の中に両足を入れてしまって、軸足を引っ張ってもぐずぐずと這い回ることしかできないような日々を送っています。

そのウイルスの影響で、一九三〇年代に起こった、世界恐慌のような暗い時代がこれからやってくると思います。

日本の首都である東京では四年に一度のオリンピックも開催される予定でしたが、スペイン風邪やMERSと似たような病原菌によってパンデミックが起きています。

オリンピックは元々古代ギリシャの人々が金星の周期の半分である四年を基準として開催を決めたそうですね。

YouTuberといった一般人でも簡単にテレビを作れるような職業が出来るんですよね。そんな職業に就いていた幼なじみに借りたダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』という小説にそう書いてありました。

この手紙を読んでいる人が、研究者や編集者、記者といった職業の方なら「ちゃんとしたエビデンスを載せろ」と言う人がいるかもしれませんね。それと、今の時代では証拠を『エビデンス』と言った方が感触がいいんです。

この時代の人達は、関わる人ごとに「ちょっとはわかってるなって」思わせたいんですよ。きっと。


そんな人の中には、予定や会社に入社することにもカタカナ表記を使い始めるので「やれやれ」と言った具合に過ごしています。

なぜオリンピックの開催年に金星が関わっているのか¿という疑問が湧くと思うのでお答えします。

それは、金星が八年周期で黄道上に五芒星を描く為、金星と五芒星は完璧・美・循環の象徴となったためです。
五芒星は対になる線の全てが黄金比であるため、美や完璧の象徴となったそうです。

僕が在籍していた大学の教授が「暇を潰すために作られたものは生産性がない」という言葉を聞いてからひまな時間があれば読書に勤しむようになりました。

ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』、関口涼子『カタストロフ前夜』、沢木耕太郎『深夜特急』や哲也と呼ばれていた僕の友達が好きだった村上春樹の作品についても読みました。

また、今日みたいな晴れている日には公園で読書が一番です。
僕がよく行く公園には広葉樹が生き生きとしていて、いつも座っているベンチからは小学校と中学校が見えます。

公園の広場には、球蹴りをしている親子や新しくできた遊具で遊ぶ子供。どこか寂しやげであるが凛としているストレッチ用具に凭れかかっているお爺ちゃん。

世間話をしながら散歩するおばあちゃんや、柴犬に繋がれている縄を自転車に括り付けて散歩する人まで、たくさんの方がいます。

散っていく葉桜と共にサッカーボールが転がっていく姿を眺めていると縫い針で心をつぎはぎ通りに縫われているような感覚になります。
 
これから大友克洋『AKIRA』が予言したような世界になってしまうのだろうかと、公園から帰ってきて連日報道される冷たいニュースを見ながら過ごしています。
     
一九九七年を過ごしている方にとってはまだ先の話ですよね。
今度は明るい話を届けられればなと思います。
続きはまた今度、さようなら。

- 2020年4月11日 




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「なんでもない休日」


浄水器に濾過された水が垂れるような音が聴こえて、目が覚めた。

昨夜、テーブルの灰皿を特に意味もなく弄り回していた同居人はもう家を出たのだろう。
ローマのコロッセウムのピンナップが貼られている台所には、重ねてあった食器が洗ってあった。

ステップ式の掛け時計から物静かな秒針音が聴こえてくる。時計の針は13時を指していた。

日光浴をしようと思い、パスパンにスウェット姿でベランダに出た。
二時間に一回しかやってこない、郊外電車が止まる錆びれたプラットホームが見えるベランダから、最近引っ越してきた夫婦の洗濯物が見えた。

仕事できるであろう白のワイシャツが三枚干されていた。
「たった、三日間しか社会人というものを経験していないけれど華金の意味がわかった」と言っていた友人が見たら、ユレユレな襟に親近感を抱くのであろうと思った。

まだ散歩には行く時間ではないので、昨日BOOKOFFで購入した本を読むことにした。


アルファベットの起源 

太古の文字体系は、エジプトのヒエログリフを含め、どれも大変面倒で、覚えるのが難しかった。文字が何千個もあって、その一字一字がひとつの意味、つまり単語を表していたからだ。これを覚えるのには、何年もかかる。実際、エジプト人でもこの複雑な文字体系を読み書きできたのは、ほんの一握りしかいなかった。                                                   
そこで4000年前のエジプト人は、奴隷とコミュニケーションを取るために、ヒエログリフの簡略版を作り、これが今に伝わるアルファベットの期限になったと、言語学者たちは考えている。やがて西洋世界のあちこちで使われることになるアルファベットが生まれたことで、古代人のコミュニケーション方法は様変わりした。 引用: 1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365


古いレコード盤にオーケストラが好きだという同居人が聴いているブラームスの四番のシンフォニーをかけながらウイスキーを飲んだ。

少しだけ賢くなれた気がしたが、こんなことで賢くなれてしまったら本当に賢い人に申し訳ないと思ったりもした。なにかを読んだり、始めたらすぐその気になってしまうのは相変わらず悪い癖だった。

陽が落ちるまで本で読もうと公園に出掛けた。



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「久しぶりに文章を読んで笑った話」


「ドアノブのない扉」というタイトルで文章を書いてみようと思った矢先、「シティーboyになる僕がうんこを漏らした話」タイトルは薄らしか覚えてないけど確かそうだったはずだった。と僕は思う。

ポモロード・テクニックが打てなくて、Googleで「ボロブドゥールテクニック」と検索していた。僕の後ろにもう1人の僕みたいな人がいたら「やれやれ」と囁かれてたかもしれないとおふろあがりのぼくは思った。

そんな胡椒臭い名前のテクニックを使って在宅勤務の休憩がてらたまたま覗いたのが幼き日のすなばさんがウンコを漏らした話だった。
文章を読んで、久しぶりに声を出して笑ったことを思い出しながら、お風呂の温もりを感じた。

すきな作家や好きな書き手の文章を写経してみようと思った。就活をやめて、登山YouTuberになると言った僕の幼なじみがAmazonで1番高いカメラを買って「まずは形から」と言ったのと同じように、僕も万年筆や絶対に失くせないペンを買ってから写経に臨んだほうがいいのかなと僕は思った。

明日の休憩時間は『手放せなくなる一品の万年筆』みたいなページを覗いてみたい。





















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