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人間関係も選べるはず!

 褒めてくれる人といじってくる人どっちがいいですか?

 今の私は前者が好きだ。実際、人は2択には分類できないだろうけど、学生時代の友人と会って思うことがあったので共有させてもらう。(結論だけ見たい人は☆から読んでください)

 高校時代の友人と久しぶりに会ったのだが、お前は真面目だよって全員に言われた。私は、真面目って言われるのが、生きるの下手感やあなたと違って私は器用に生きてますよ〜感を相手に感じてしまって正直嫌だ。「じゃあ、あなたは真面目じゃないんですか?って思うけどな」って言ってくれた人や、「あさりは真面目って言われるの嫌だって言うけど、私はあさりの真面目は優等生って意味の真面目じゃなくて人と真摯に向き合えるって意味の真面目だと思ってる」って言ってくれた友達がいて。

 周囲の言葉を徐々に受け入れたり流せるようになってきた自分だけど、久しぶりに高校時代の友人に会ったことで改めて思ったのは、人はコミュニティによって扱われ方も振る舞い方も変わるということだ。もちろん、昔からお互いを知っていてその頃の自分を受けて入れてくれたのはその人たちでだからこそかけてもらえる言葉や関係性があって感謝しているし大切なのは変わらない。

 しかし、そこでの立場が嫌ならコミュニティを変えるのも一つの手段として許されてもいいはずだ。いま、私は社会人になり、服装は比較的自由な職場なのだが、おしゃれだよねって言ってもらえることが多くなった。「わたしのセンスわかんないなんて〜って思っとけばいいよ」と言ってくれる方までいて、いまセクハラは見た目について言えないことになってるので普段仕事以外の話は全くしないし言いにくい部分もあったのかもしれないけどわたしは単純に年上の人にも私の選ぶものが素敵だね!って思ってもらえてしかも声をかけてもらえたのが嬉しすぎた。大学の時はおしゃれって言ってもらえるのが嬉しかったけどお世辞かな?とか思うこともあったりして。社会人になってからは普段は言われなくて最後の最後に言ってもらった感じだったので本音なんだなと思いさらに嬉しかった。

 高校時代までの人たち、特に異性は格好をいじってくる人が多い。それは私をおしゃれな人物ではなく、逆にちょっとおしゃれな格好をしているといじるべき人物と捉えているということだ。前まではそれを当たり前だと思っていたため、大学に入り異性からも(服が)かわいいと思ったと言われた時驚いたが、置かれた環境によって周囲の人自体も変わるわけだから、相手の対応が当たり前だと思っていることにさえも気づかないかもしれない。

 ⭐︎そして何より置かれた環境で1番変わるのは自分で、いじられてやめたほうがいいかな、、ってなるんじゃなくて褒められてえー、嬉しい!〇〇さんの服はどちらで買われてるんですか?とか話が広がったり相手のことを知れたり自分のセンスを深めようと思える方が幸せだ。

 多少苦しくても面白い方がいいとか、ちょっときつい言葉言われてもこの人が好きだとか刺激を求める時期もあるだろうけど、だんだん年を重ねるにつれて人間関係広くなって逆に狭くなって残る人、逆に繋がりたいと思う人が本物かも。今までの経験も無駄じゃないしこれ以上は深くならない、大人数で会うってだけでそれはそれでいいんじゃないでしょうか。社会人になると自分が1番若い方っていうのもあるだろうけど、私のセンスを受け入れてくれる人と一緒にいたい、人も選んで人生過ごしていきたいと思う24歳の気づきでした。
 
 もちろん転勤とか選べない選択もあるし、人間関係も仕事が中心になるとすればそこでの人間関係や取引先は選べない。でも、すごく仲良くなる人とか、特に私みたいに話しかけて仲良くなるタイプの人は自分から選べば(なんだか言い方悪いかもしれないけど)変わることもあると思う。周りを素敵な人で固めていけば自分も素敵な人になれる。逆はもちろん、自分が素敵な人になれば周りにも集まってくるはず。そう思って24年はアラサー突入します!

※写真は、「着飾る恋には理由があって」の写真です。関係ないようですが、社会人になってからの人間関係、特には異性関係ですがシェアハウスでのつながりや仕事に邁進しながら遠距離になったり、お互いを思っていてもすれ違ったりタイミングが合わなかったり…2度目見て真柴ちゃんは言葉で示すけど、藤野さんは行動で示すなとか発見があって面白かったです。最終回のはじめ真面目に泣きました笑

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