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自己紹介③ - 母のこと

※最後の方の表が反映されていなくてわけわかんない羅列みたいになってましたね(汗。読みにくくて申し訳ない。修正しました!(2023/10/06)

私の母は、一言で言うと「強運・強直観を持つ芯の強いマイペースお嬢様」といった感じ。
生まれは神奈川県横須賀市。小中高を香川県で過ごし、大学は上京して川崎市、最初の就職先は渋谷で、ちょうどバブル時代の渋谷で踊りまくっていたらしい。
大学を出るまで横浜で育ち、後大学進学で北海道に行った父とは、そういう意味では真逆といえる。人間性の根幹がシティボーイのおぼっちゃん(本人は絶対認めないけど)である父と反対に、母の人間性の根幹には香川の水溜の景色(とはいえ坂出や丸亀なのでそこまで田舎じゃないと思うけど)があるように思う。そして、都会に憧れて上京し、若いときに都会を満喫したという経緯からか、いい意味で都会に慣れている。かつ、都会とほどよい距離感を保てている。父は、都会っ子だからこそ、都市をどこか嫌っていて、距離をとっていて、「都会がわからない田舎者である自分」にある種のアイデンティティをもっているように見える。しかしそれは、都会の人の発想に他ならないと思う。本当の田舎者であれば、都会をなんとも思わないか、純粋に憧れるかするだろう。

そんな感じで、高校までを香川で、大学からは川崎・横浜~東京で育った母だが、もう一つの父との違いは、親との距離感だと思う。
母は大学進学と同時に上京してきたが、それを追うように(実際は、母の母=私の祖母が香川暮らしを嫌がって横須賀に戻りたがったことが理由らしいが)母の父たちも横須賀に戻ってきて、寮で暮らしていた母もそこに合流し、また家族で住むようになる。
そしてその頃から、母と母の父(私の祖母)は大変仲が悪かったらしい。本人曰く「遅く来た反抗期。反抗期は遅く来るほど激しい」だそうだが、そんな犬猿の仲のまま大学~社会人を過ごし、家には帰るものの夜は渋谷で遊び、遅くに帰って朝早く出社する生活で家族と話すことも少なく、そんな中で私の父と出会い、結婚してしまったので、結婚したときも仲は改善されておらず、そのまま家を出るような形だったらしい。
結局その家を出るという行為がいい方向に動いたのか、お互い適度な距離(年に2回会うぐらい)で関わるようになり、孫の存在などもあって段々仲は改善し、母の母(私の祖母)が病気になり母も看病に行くようになったあたりで過去のわだかまりも溶けて、ここ20年ぐらいは非常に良好な関係になっていた。
この、「一度しっかり親から離れた」という経験、「親と家でも喧嘩はするし、絶対的な物ではない」という価値観が、父のパターナリズム的な家族観との違いに繋がっていると思う。
父は、幼いときから母(私の祖母)に心配をかけつづけ、北海道に進学したときも仕送りをもらい、不安にさせ、それをずっと後悔している。マザーコンプレックスとまではいかないが、父の祖母に対する想いはなかなか強い。とても大切にしている。
これもやはり、上の「都会っ子だからこその都会嫌い」と似て、「親に依存しているからこそ親元を離れようとし、それが結局余計に親の大切さを感じさせる」という構造になっているように思う。
父は「子供は親元から離れたほうがいい、早く自立したほうがいい」と言うが、そういう父は、ある面では未だに自立できていないのだと思う。「自分の親を非常に大切に思う」ということでもあるので、悪いことではない。が、こういう矛盾のようなものを抱えているのが父である。
しかし母は、そういった複雑さ・面倒くささみたいなものがない。親といえでも他人、というスタンスが根っこにある。他人だからこそ、程よい距離で仲良く・親切にできている感じ。
家族を特別な関係と捉えると、そこには甘えも生まれるし義務感も生まれる。「家族なんだから」とか「家族なのに」とかいう言葉が生まれる。母にはそれがない。これは本当の意味で自立しているように、私には思える。

母の父は、福島の農家の次男坊だった。祖父の実家は割と大きな農家だったらしく、戦時中もあまり飢えた経験はないらしい。やはり畑を持っている人は強い。実家は土地もあって地元では有力な人らしいのだが(実際、私の祖父の兄=母の伯父は警察署長をしている)、次男坊ということで高校を出たら東京に働きに出てきた。高度経済成長期真っただ中である。
川崎だか横須賀だかの石油会社に入り、上記のように一時香川転勤も経験するものの、また神奈川に戻ってきて、そこで家を建てて、堅実に生きた。典型的な「都会に出てきた農家の次男坊」という感じがする。
母の母は、同じく福島の出身で、母の父とは隣村だったらしく、その親同士が知り合ったことから見合い話が持ち上がり、会ったこともないような相手と見合いで結婚したという経緯らしい。当時祖父には恋人がいたものの、親から出された見合い話は断れず、恋人と別れて結婚したらしい。この辺り、恋愛結婚して実家を半ば捨てた私の父方の祖父とは対照的で面白い。父方の祖父は当時からしたら相当なシティボーイ的価値観を持っていたことがわかる。母方の祖父の動きのほうが、当時は一般的だったことだろう。
母の母の一族は、代々福島の町で教師をしてきた家系らしい。実際家系図も残っていて、江戸時代まで遡れるのだが、これが結構面白く、○○師範とか、○○塾塾頭とかの肩書が書かれていた。長刀塾や寺子屋のようなものをしていたらしい。その血は引き継がれていて、母の母の父(私の祖母の父)も、たしか医者だった。頭脳派一族だったらしい。その血を祖母も引いていて、非常に賢かったと祖父は言っていた。祖父はあまり勉強が得意ではなかったタイプなので、そこに憧れや口惜しさがあったのかもしれない。
祖母は典型的な良妻賢母として祖父を支え、私の母と母の父が険悪な時期も、自分の意見を言うことはなく「お父さんの言う通りにしなさい」の一点張りだったらしい。その点、私の母はやはりあまりよく思ってはいなかったようだが、「まあその時代だし仕方がない」と言っていた。

堅実な父母の元で育った母は、お金に困った経験もなければ、(祖母譲りか)頭もよかったので勉強に困ることもなく、そういう意味で優等生だったと言えると思う。フルートやピアノも習っていたらしく、なんとも優等生っぽい感じがする(偏見)。ピアノが弾けたので大学で軽音楽部に入りバンド活動に励み、アルバイトも経験し、次第に「お嬢様の優等生が社会の面白さに気付いていく」といった感じで自分のお金で楽しむことを覚え、渋谷のディスコで踊り、深夜まで帰らず、親と仲が悪くなり、余計帰らなくなる、という流れも、あまり違和感がない。
母には、そういう根っこのところでの優等生っぽさ、お嬢さんっぽさがあるように思う。博愛で気さくで親切だが、自分というものをしっかり持っている。その芯の強さは頑固と表現してもいいレベルで、筋が通らない・理不尽だと思ったことに対してはぶつかっていく。
社会なんてこんなもんだよ、みたいな諦めがない。社会は楽しく美しいものだというのが根底にある気がする。

一方、お金の扱いが雑という短所もあり、この辺もお嬢さんっぽい。父は大学時代、仕送りを断っていた時期に貧乏暮らしを経験しており、お金の計算はしっかりしているのだが、母は剛毅と言うかいい加減と言うか江戸っ子的というか、家計とか小遣いとか関係なく振る舞ってしまうところがある。

あと、家事も苦手で、これもお嬢さんっぽい。
料理は、しなくはないが好きじゃない、という感じで、私が子供の頃は父の方がしていたイメージがある。父が単身赴任になってからは母が作ってくれていたが、お惣菜なども多かった(お高目なデパートのお惣菜が好きで、この辺もなんか高貴)。今一人暮らしをしているが、まだフライパンを段ボールからだしていないらしい。
掃除も苦手で、特に整理整頓が苦手。それを継いだか妹も片付けが苦手なので、父が単身赴任したあとの実家のリビング・ダイニングは、二人の物であふれかえっていた。

その楽観性、正義感、コミュニケーションや気配りの如才なさ、天然っぷり、お金への無頓着さ、家事の苦手さ。総じて、お嬢さんであるというのが私の母に対する評価である。またなぜか運に恵まれているというのも、貴人っぽさを感じる。

なんとなく要素っぽいのをまとめてみた。父のMBTI予想が難しい。

こう見ると、本当に二人の影響を受けまくっていると感じる。
数字に几帳面だったり論理的だったりするところは、父の影響だ。一方で、自分の直観を信じて、最後は直観に頼るところは母の影響だ。
家事は父の姿を真似している。服装の趣味は母譲りだと思う。(でもできるだけ同じものをずっと着ていたいというのは父っぽい。“ずっと同じのを着ていたい”けど“なんでもいいわけじゃない”という、一番面倒な似方をしてしまったと言える)
ありがたいのは、二人の思考・思想が真逆だったおかげで、「では自分はどう考えるか」を考える機会が子供のころから多かったことだろう。
そして、最も身近なところで、「考え方は色々ある。唯一のものはない」と思えたことだろうか。

このように、割と真反対である私の両親なのであるが、一致しているところももちろんある。
大きいのは、
・自分たちが「いい子ちゃんだった」という認識
・「好きなことをするべきだ」という価値観
・自分は自分、他人は他人
・勉強好き
・公平、ニュートラル
・感情的にならない
・大人

また4000字を超えてしまったので、このあたりの共通した価値観については、次回書いてみようと思う。

(4088字)


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