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母とのこと

あまり、昔にさかのぼるのはやめておこうとおもってる。10代に言われたこととか、長年もひっかかっていたことは、水に流したつもりでいる。潜在意識でどうなっているのかは、微妙だけど。


27才で東京で発症して故郷に帰ってきた。地元に帰ってくる予定はなかったから、受け入れるのに時間がかかった。そんな失態が許せなくてもがいていた。だから、当然親といっしょに暮らすなんてというおもいがあった。実際のところ、発症した当時入院しないですんだけど、それは両親がそろっていたからできたこと。自宅療養でいきましょう、ということになった。


とても家事なんてやれる状態ではなく、薬の副作用に苦しんでいたり、畳から這い上がれなかった。動き回ろうとする力を、薬で抑えつけられていた。そんなとき、すべてをやってくれていたのは、母だった。ごはんが用意されて、いつも汚れてない服を着て、眠りにつくことができるのは、恵まれていた。世の中そんなに甘くない。大変なおもいをした人たちをたくさん知っている。わたしは父と母のおかげで恵まれていた。


今、父は入院中、もう家には帰ってこれない。そんな中での母との関係が一度壊れたのではないかとおもっている。父のことでの考え方の違いからはじまり、ふたりっきりのごはん。中和してくれていた父の不在。そんなことで、バランスを崩した。


先日から母のことでちょこちょこ記事を書いていたことで、今の状況、これからのこと、もろもろのことを、自然に考えが変わったように感じてる。母の傷みとわたしの傷みが違うことにもっと配慮しようとなった。お互い譲れなくてつい言い合いになるけれど、同じ家族でも立場の違いがある。それから、母は高齢だということ。ものすごくパワフルな人だけど、もう後期高齢者よ。が、口ぐせになっている。体力落ちてる、何よりも父が心配で弱ってる。


自分のことでは、部屋の模様替えであまりに部屋の状態がよくなり、自然に掃除の頻度があがり、家の家事に対しても前より気を配れるようになったので、驚いている。やはり、住環境から精神面への影響を目の当たりにしている最中。心がやわらかくなってきたのがわかる。


母をいたわろう。できることをふやしていけるように、無理しないようにやっていこう。きっと、もっとやさしい気持ちになれる。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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