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礼拝説教について その1

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旧約時代の礼拝における「神の言」

 旧約聖書時代において「礼拝=祭儀(祭りと儀式)」であった。祭儀の大きな特徴は動物の「犠牲」である。「拝する」「(主の)名を呼ぶ」など犠牲の祭儀を伴わない礼拝も存在するが(創世記24:26、出エジプト34:8等)、中心は主に犠牲の捧げ物による祭儀であった。

 旧約聖書は神とイスラエルの民との歩みを記している。

 信仰の父アブラハムを父祖とするイスラエルの民は、モーセを指導者としてエジプトの奴隷状態から脱出するという決定的な神の救済の出来事(出エジプト)を経験し、十戒を授与され(出エジプト記20章)、神と契約を結んだ(出エジプト記24章、34章)。それゆえ、彼らは自らが神から受けた恵みに応え、その契約関係を保持するため、礼拝において、必ず穀物や動物の「犠牲」を捧げるようになった。後に、それは出エジプトに起源する過越祭(出エジプト記12章)とも結びつき、イスラエルの祭となった。

 祭儀礼拝は、レビ記における複雑な規定に従って実施された。主エジプトから約束の地カナンに定住するまでは、移動式の幕屋(テントのようなもの、出エジプト記25-30章)を立て祭儀が行われていた。移動の際にはモーセの甥のアロンの家系の祭司たちが解体し、レビ族が運搬を担っていた(民数記 4章)。イスラエル王国のソロモン王の時代にエルサレム神殿が建設されて以降は、幕屋の役割は神殿に移されていく。

 しかし、ソロモン王以降、イスラエル王国は、王国の分裂、バビロン捕囚を経験する。

 バビロンによって、神殿が壊され、イスラエルの民は祭儀の場を失うことになる。神殿崩壊によって犠牲祭儀の執行ができないという悲惨な状態に陥るが、そこから犠牲奉献に取って代わる新しい形態の祭儀が生まれていった。それが「言葉による祭儀」である。礼拝はシナゴーグと呼ばれる会堂で行われるようになり、そこでは律法が朗読され、信仰の告白と祈りを唱えることで人々は神を賛美し、神を拝んだ。

 神殿崩壊という悲劇は、同時に、礼拝の内実を問う契機にもなった。この時代の預言者は、犠牲による礼拝の形式化を批判し、言葉による祭儀の重要性を説いている(イザヤ書1、57章、エレミヤ書6:20、ホセア書6:6、アモス書5:21、ミカ書6:7、マラキ書1:10)。こうして、神殿崩壊はイスラエルの人々に、真心—心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして(申命記6:5)—をもってなされない礼拝は、まことの礼拝ではないという自覚を生じさせていくこととなった。 

 キリスト教の礼拝の伝統においては、旧約時代の祭儀礼拝の伝統が聖餐(主の晩餐の礼拝)に、シナゴーグ礼拝の伝統が説教(御言葉の礼拝)にというのが定説となっている。

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