恋愛感情の発現と発見・自覚

横線

※本記事は性的少数者について学ぶための入門書的な位置づけであると同時に、私の脳内整理を兼ねています。

「その人を恋愛的に好きなのかどうかってどうやって判別するんですか?」
この質問に対して、とある先輩はこう答えた。
「(異性として)いけるかいけないかを考えれば自ずと答えは出るんじゃね?」

「身近な『愛』として、恋愛以外に友愛もあると思うんですけど、友愛と恋愛の違い、説明できますか?」
この質問に対して、交際相手がいる専門学生は間髪入れずにこう答えた。
「うん、説明できるよ」

多くの人が当たり前のように恋愛感情を抱く。異性に惹かれる人が圧倒的多数だが、中には同性に惹かれる人や同性異性のどちらにも惹かれる人もいる。ただ、これらの人々は「誰かに対して恋愛感情を抱く」という観点では恐らく一致している。
また、出会ってから数ヶ月で交際に入るなど短期間のうちに恋愛感情が発現する人もよく見られる。

多くの人は自身が恋愛感情を持っていることを自覚し、自身の中で恋愛感情がどのようなものなのか、かなりはっきり定義されている。だが、この「多くの人」に含まれない少数者の中には、恋愛感情の概念が曖昧であったり簡単には恋愛感情が発現しない人、そもそも恋愛感情が存在しない人などがいる。本記事では「恋愛感情の概念が曖昧な人」、「簡単には恋愛感情が発現しない人」、「恋愛感情が存在しない人」について解説をしていこうと思う。

ちなみに、上記の少数者を表す表現として次の言葉がある。恋愛感情の概念が曖昧な人(=友愛など他の愛の形と恋愛感情の違いがわからない人)をクォイロマンティック、簡単には恋愛感情が発現しない人(=情緒的で深いつながりが構築されて初めて恋愛感情が湧く人)をデミロマンティック、恋愛感情が存在しない人(=他者に恋愛感情を抱かない、又は恋愛感情が薄い人)をアロマンティックと呼ぶ。
これらの用語はレズビアン(女性の同性愛者)、トランスジェンダー(心と身体の性別が一致しない人)などと同じくセクシャルマイノリティの分類表現である。

友愛と恋愛を分けて考える人 性的多数者

恋愛 マジョリティ

図1 性的多数者の心の中における友愛と恋愛の関係(推測)

まずは、性的多数者、即ち世の中の多くの人が持つ恋愛観について考えてみよう。恐らく多くの人の中では上の図のように、恋愛感情と友愛感情には明確な境界線がある。また、2つの感情には重なり合う部分(恋愛感情∩友愛感情)があるものと推測できる。その根拠は以下の通りだ。

最初に友愛と恋愛の違いを説明できるか問われた専門学生が「できる」と即答したエピソードを紹介した。
また、私の周囲でこんなエピソードを聞いたことがある。

Aさんは大学時代、よさこいサークルに所属していたのだという。そのサークルはあるお祭りでのステージ発表が引退前最後の発表の場になっていた。そのステージ発表が終わり、いよいよ引退という時にAさんは同期のBさんから告白を受けたのだという。AさんとBさんはサークル内では班長のポジションにおり、性別こそ違うもののお互いに支え合うという良好な関係だったそうだ。「友達」としてのAさんとBさんの関係は成立したが、「恋人」としてのAさんとBさんは成立しなかった。AさんはBさんのことを同じサークルに所属してきた「友達」として見ることしかできなかった。結局Bさんを「恋人」として見ることができなかったAさんはBさんからの告白を断ったという。

以上から恐らく、多くの人の中では「恋愛感情」と「友愛感情」は別々の独立した感情として認識されていると推測される。
また、「元々は友愛感情しか無かったが、ある特定のエピソードを以ってその感情が恋愛感情に変化した」という話が恋愛作品などではよく描かれている。
このことから恋愛感情と友愛感情は独立した概念ながらも重なっている部分があるものと推測できる。(人によって又は場合によっては、恋愛感情と友愛感情は重なることなく完全に切り離されたものとして存在するかもしれない)

恋愛感情と他の感情の違いがわからない人 クォイロマンティック

多くの人は恋愛感情と友愛感情の違いをその人なりに理解している。しかしながら、中には恋愛感情と友愛感情の違いを見出せない(見出さない)人もいる。そのような人たちのことをクォイロマンティックという。

恋愛 クォイ

図2 クォイロマンティックな人の心の中における友愛と恋愛の関係
(推測)

クォイロマンティックな人々は恋愛感情と友愛感情の境界がはっきりとしていない。
少し意識して生活してみると日常生活にはたくさんの「好き(愛)」が溢れていることに気がつくだろう。「ペットの犬が好きだ」「友達が好きだ」「異性の佐藤くんが好きだ」などなど。多くの人はこれらの「」を無意識的・意識的に「家族愛」「恋愛」「友愛」などの分類にカテゴライズしている。一方でクォイロマンティックな人の場合、そのようなカテゴリは存在せず、「家族愛」「恋愛」「友愛」などを分類して定義していない(下図参照)

愛の形

図3 多くの人々の愛とクォイロマンティックな人の愛

このように恋愛感情と、他の愛の違いを見出せない・見出さない人のことをクォイロマンティックという。

深い情緒的な付き合いが大切な人々 デミロマンティック

恋愛漫画を読むと、出会って間もない異性に対して恋愛感情を抱くヒロインの様子が描かれることがある。時には相手の姿が目に入った途端に恋心を抱く所謂「一目惚れ」が描かれることがある。出会って間もない異性に恋愛感情を抱くというのは別に恋愛漫画だけの世界ではない。私は出会ってから2ヶ月しか経っていないにも関わらず、交際に発展した男女を知っている。
このように世間では出会ってから短期間で交際を始めたり、時に一目惚れをしたりすることも珍しくはない。しかし、中には普段は恋愛感情をあまり感じないが相手との深い情緒的な付き合いが成立することで初めて恋愛感情を感じる人々もいる。そうした人々をデミロマンティックという。

デミロマ

図4 デミロマンティックな人の心の中における友愛と恋愛の関係(推測)

※図は時間の経過によって相手と深い情緒的な関係が構築されることで、友愛感情の中から恋愛感情が発現していく様を表している

デミロマンティックな外見を見ただけで相手に惹かれるということは無い。デミロマンティックな人にとって重視されるのは相手との「感情的なつながり(心理的な親密度)」だ。
クォイロマンティックは端的に言えば「その感情が恋愛感情なのかその他の感情なのか区別できない・区別しない人」のことである。対してデミロマンティックは自身が抱いているその感情が友愛感情であるのか、恋愛感情であるのか区別をすることができるのが特徴である。
noteで自身がデミロマンティックであることを公表しているデミロマ会議さんは感情的なつながりについて次のように説明している。

「相手とどれだけ親密であるか」は一つの重要な尺度です。そのため、親友のように仲の良い人を次第に恋愛的に好きになる、というケースはよくあります。ほかにも、相手にどれだけ親しみやすさを感じるか、相手のパーソナリティをどれだけよく知っているか、という観点も重要です

『デミロマンティック・デミセクシュアルに関するQ&A〜基本編〜』より引用

デミロマンティックな人々は相手と深い情緒的な関係が構築されることで、初めて恋愛感情が発現する。つまり、デミロマンティックな人々は深い情緒的な関係が構築されることで初めて恋愛のスタートラインに立つ機会が来るのである。よく「デミロマンティックな人は恋愛感情が薄い」と思われてしまうそうである。しかし、実際は「恋愛感情が薄い」のではなく「恋愛感情を感じる(発現する)までのプロセスが長い」というのが正解に近いのではないだろうか。少なくとも私はそう理解している。

ところで、デミロマ会議さんは「デミロマンティックな私に見える世界」というマガジンを公開しており、デミロマンティックについてまとまった情報をみることが可能だ。

もしも、デミロマンティックに興味を持った方がいれば、デミロマ会議さんの作品を観ることをお勧めする。

恋愛感情が無い人々 アロマンティック

恐らくアロマンティックは最もイメージしやすいのではないだろうか。基本的に恋愛感情を抱かない・恋愛感情が薄い人々のことを「アロマンティック」という。

画像6

図5 アロマンティックな人の心の中における友愛と恋愛の関係(推測)

アロマンティックな人は他者に対して基本的に恋愛感情を抱かない。一目惚れをしないという点ではデミロマンティックと同じだ。相手との信頼関係を構築しても恋愛感情を感じることが無いという点がアロマンティックのデミロマンティックとの明確な違いである。

あとがき ネットのコメント欄で見られる性的少数者批判

この記事ではクォイロマンティック、デミロマンティック、アロマンティックについて概説した。言うまでも無いことだが、これらの人々は「性的少数者」というだけであって何かの病気というわけではない。只の個性の一つである。
LGBT問題を取り上げているニュース記事のコメント欄を見るとかなりの高確率で
「こんな訳わからん名称をたくさん作ってなんの意味があるんだ」
というコメントを目にする。多くの人々にとってアロマンティックなどの「名称」があることは意味がないことに感じられるかもしれない。しかしながら、当事者の中には自身の状態に名称がついていることに安心感を覚える人も多い。当事者が自身がセクシュアルマイノリティ(性的少数者)であることを自認する時には下記のプロセスが見られる(ことが多いような気がする)。

①周囲と自分との違いに違和感を抱く(例:周囲の人たちはいとも簡単に恋愛感情を抱いている様子であるのに、自分はそうした感情をほとんどもしくは全く抱けない・・・など)。

②自身が周囲と違う理由を見つけるためにネット検索などの情報探索行動を行う

③ネット検索などの情報探索行動の結果、「アセクシュアル」や「デミロマンティック」といった概念を知り、「え、これ私のことじゃん!!」となる。=性的少数者であることを自認すると同時に自身の状態に名前がついていることに安心感を感じる(人も多い)。

上記のプロセスが成立させるには「アセクシュアル」「アロマンティック」といった名称がついていることが必要不可欠である。名称がついていることは大多数の人々にとっては無意味かもしれないが、当事者にとっては大きな意義があるのである。

それでは今回はこの辺で。。。

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更新履歴
2021年5月14日 記事公開
2021年8月10日 修正
2021年9月24日 まとめ部分加筆修正
2022年1月16日     誤字訂正

コメント返し

※アンケート内容の公開を許可した人のコメントから選出しています。全てのコメントにお答えできるわけではありません。また、コメント返しの内容はあくまで私の持論です。ご了承ください。

コメント(要約):実際はアロマンティックなのに、自身を異性愛者だと思い込んでいるように見える人が私の周囲にはいます。
言い寄られて付き合うのにフラレるを繰り返していたり、相手を好きなのかわからないなどとすぐ発言します
いつか好きな人が現れると思っているようですが、そもそも好きになれるの?という疑問があります。
アロマンティックは自覚が難しいのでしょうか。

返し:現状「アロマンティック」といった概念は当人の自認に依存しています。なので、どれだけ周囲の人が「Aさんはアロマンティックに違いない!」と思ったとしてもAさんが「私は異性愛者である」(心から真剣に)思っている以上、「Aさんは『異性愛者』である」と言わざるを得ません。

そもそも交際と破局を繰り返したり、「相手を好きなのかわからない」という発言をしたりすることはアロマンティックに限らず多くの人が経験していることではないかと推測します。なので、それらの言動のみでアロマンティックであると決めてかかることはできないと思います。

アロマンティックを自覚することが難しいのかについて。最近は自身と周囲の違いに悩み、ネットで検索して、「アロマンティック」などを自認する人が多いように感じます。今日では「恋愛感情 ない」などで検索すると性的少数者についてのWEBページが検索上位に表示されます。なので、当人が自身の状態に疑問を抱き、その疑問を解決するために行動すれば比較的簡単にゴールに辿り着ける(自身が性的少数者であることを自認する)かもしれません。
一方、当人が自身と他者の違いに気が付いていない、もしくは気が付いているが特に気にしていない場合では自身の状態に疑問を抱いていない、もしくは疑問を解決する必要性がないわけです。(仮にその人が性的少数者であるとしても)抱いていない疑問はそもそも解決できないし、解決する必要のない疑問であればわざわざ解決する必要がありません。なので、この場合、なかなか自身が少数者であることには気がつかないのではないかと思います。
※『仮にその人が性的少数者であるとしても』と書いたようにこれは「仮」の話です。その人が性的少数者であるか否かの判断材料は本人の自認に依存し、他者が判別できるものではありません。なのでこれはあくまで机上の話です。
長文失礼しました。

2016年頃から廃墟に関心を寄せる。2018年、実際に廃墟へと趣き、廃墟訪問にハマる。現在はその廃墟がかつてどのように使われていたのか、いつ頃廃墟になったのかを特定することに力を注ぐ。 地域・店舗限定のエナジードリンクを見つけることにもハマっている。自他共に認めるエナドリ中毒者。