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現代化した味気のないキーマカレーの話


今日は先日気になってランチをしに行ったカフェのことを書いてみようと思う。

そこは地元にある、保育園や施設をいくつか経営しているようなアットホームなカフェで前から気になっていたので友達とランチに行こうということで行ってみた。

暖かい春はもうすぐそこだと感じさせる太陽の日差し

いい天気の日は、単純に、なんでも嬉しくなって気分がいい。


成人式以来に会った友達との会話から大人になったことを感じさせられる。そして、お店に到着。外観は古民家を改装したような和風なつくりで、外には子供達の遊び場、遊具、キッズスペースなどが備わっていて子連れのママさん達には最高の憩いの場だろう。

中へ入り、検温。どこに行ってもまずは、検温。ニューノーマル。

15分経過、そして20分。。いつまで経っても店員さんらしき人が店内に見えない。店内は壁で仕切られていて見えずらかったせいか、不思議なくらい人影がまるでない。あたりを見回してみると、「食券をお買い求めください」の貼紙が。  そう、自分で食券を買い求め、引換するというシステムだった。

これもコロナ化における現象なのか。優柔不断な私は、注文を取りに来るお姉さん(多分、アルバイトの学生さん)におすすめを聞いて、「じゃあ、それで😊」というシンプルだけどあたたかい会話が好きなのに。運んできた食事の説明をすご〜く丁寧にしてくれる、あの瞬間を含めてがカフェに行く醍醐味なのに。

どんな理由で、目的でそのシステムを導入していたかは?だけれど、カフェや飲食店までもがテクノロジー化してユ◯クロのようにセルフレジ化されてしまっては、なんだか寂しい。ただでさえ、人と会うことが困難になってしまった今、人と触れ合える貴重な機会自体を機械化されてしまう世の中には反対だ。と感じながら食べた”地元の採れたてオーガニック野菜”を使ったキーマカレーは、どこか味気なかった。


つい最近、オールデンバーグの【サードプレイス】という本を読んだ。


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サードプレイスとは••• 自宅(ファーストプレイス)でもない、学校でも職場(sプレイス)でもない、カフェやバー、本屋、美容院などの誰もが居心地の良い第三の場所、つまりサードプレイスとは何かを理解するために、1932年生まれのアメリカの都市社会学者レイ・オルデンバーグが1989年に刊行した本。

私にとってカフェや本屋はとびきりのサードプレイスで、静かに集中して本を読むならここ、人と話したい時はここ、という風に目的別で場所を決めている。でも、たまに新規開拓をしてみたくなる時があって、そんな時はSNSで見つけたところに期待を込めて訪れるのだけれど、なんだか今回の出来事のように最近は、満足度の中に少しのがっかり感が残ってしまった感じ(あの、ずっと欲しかったプレゼントをもらったけど色が間違っていた時の)がして、結局、裏切りのない安定の地を求めてしまう傾向にある。


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食のファーストフード化から人々までもが時間や効率化を求めて、ファースト化している気がする。コロナ化で 人<AI に移行していく世の中に、「便利になった」なんて言ってるのは未来を神格化している人に過ぎないと感じる。忘れてほしくないのは、人からしか感じられない人間らしさという温もり、心地よさで。    なんでもかんでも早ければいいとは限らないし、忙しい日常に身を置いているからこそ、休日はスローな時間を過ごせる場を好む。

気が付けば3月のスタート。陽気な春の訪れとともに、そんな、スローな温もりを楽しむ場が増えて欲しいと願う。


END



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