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映画 「福田村事件」を観て

初めに

関東大震災から100年の節目に、ずっと闇に葬られ続けた事件が映画化された。

日本政府は未だに関東大震災時に朝鮮人・中国人・共産主義者大虐殺があったことを認めていない。
ただ、私もこの目で見た訳では無いので事実か否かについて言及するのは不可能だ。

ただ、本当にそんな事実が無いのであれば、ここまで具体的な話が出来るだろうか。既にあるものを否定する事は簡単だが、0から作り出したにしては現実味がありすぎる。証言も多く残っている。その点において、私個人として大虐殺事件は本当にあったと考える。


映画から

この映画から、集団心理の怖さを痛感した。関東大震災という大混乱の中で、人々の内にある不安や恐怖といった精神的な落ち着きどころを何かのせいにすることで探しているのではないかと感じた。
数年前、"昔の人々は雨が降る原理、風が吹く原理が分からないが為に自然の神を創り出し、それらのせいにする事で心の平穏を保っていた"と何かの本で読んだ。まさにこれは、それを体現した出来事なのではないだろうか。

また、冷静に対話する事の重要性も感じた。(そんな事実は無いにも関わらず)"毒を盛る"と言われている朝鮮人が身の回りに危険が迫っているかもしれないと思い、冷静になれない村人たちは皆、感情的になり人の言う事に聞く耳を持たなかった。結果、それが福田村事件という事件を引き起こすことになってしまった。

映画の中での、

朝鮮人なら殺してええんか

という言葉が凄く心に響いた。
"○○人は□□□だ"と民族を一括りにして決めつける人がいる。血統をかなり重要視する日本社会において民族意識が根付いていることは分かる。ただ、それを武器に多民族を侮辱したり蔑んだりすることは許されない。民族という属性で見るのではなく、互いに同じ地球社会に生きる「人」として先入観を無くして認め合えるようになれるようになれば差別も無くなるのだろうか、と考えてみたり。


最後に

そして最後に。
映画の中に、「お国のために死ぬ」と言う若者がいた。国家ぐるみで戦争を乗り越えなければならなかった日本国のリーダーは、戦況が如何なるものであっても国民を奮起させなければならなかったはずだ。そんな人に指揮される日本国は、それだけ命を賭けられる程の価値のある、活気のある国だったのか、とふと思った。

今の日本はどうだろうか。

私は今の日本に、死ねるほどの価値は、見いだせない。

自国を誇りに思える昔の若者を少し羨ましくも思った。

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