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24歳、癌。(術後)

11/15
朝   起床して手術室へ。
背中に針→全身麻酔→( ˇωˇ )スヤァ
周りに4人くらい人がいて、「じゃあ麻酔入ったら寝ますよー」と言われ「おやすみなさい」と言ったら目の前が真っ暗になった。

昼   地獄の始まり。気がつくと集中治療室のベッドの上だった。起きた瞬間酸素が薄く、呼吸がまともに出来ない。落ち着いて腹式呼吸を繰り返すと少し楽になった。
呼吸がしにくく、体の節々が痛い。

夜   痛み止めで少し楽になった。呼吸も問題無し。ただ、体の痛みはある程度我慢できるくらいであって止んだわけではない。要するに痛い。
集中治療室には男性の看護師が1人と女性の看護師が3~4人程いた気がする。
雑談がうるさい。男性が話の軸だが、来月から別の病院に転職するだの町中華があーだの恋バナがどーだの。
医療従事者には感謝をするべきと心がけているが、この時だけは呪った。ごめんなさい。


11/16
朝   殆ど寝れず、体の節々はずっと痛い。
隣から聞こえてくるラジオを聴いてた。うるさいと思いつつもたまに興味のある話題も聞こえてくるので意識はラジオを向いていた。

昼   一般病棟の個室に移されるらしいので、車椅子で向かうことに。...がしかし、看護師さんに支えられながらベッドから車椅子に座ると、じわじわと目眩、吐き気、痛みが襲ってきた。ここがいちばん辛かったかもしれない。血圧が急激に下がり、ベッドに戻された。
数分後血圧も戻り、車椅子での移動は厳しいので寝たまま一般病棟へ。

夜   痛い。ひたすら体が痛い。深夜に痛み止めの点滴を落としてもらったが、痛みが引いて来たのは4時頃だった。
その後少しだけ寝れたが変な夢ばっかり何度も見た。
特に覚えているのが、グラセフみたいな世界で同級生が指名手配されて逃走を手伝った夢。


11/17
朝   起きて先生から今後の簡単な説明を受ける。手術した部位がじわじわ痛いが、我慢。
リハビリでベッドから車椅子に移動するとのことで昨日の事が不安だったが無事移動できた。

昼   地獄。手術した部位がありえないくらい痛い。本当に痛い。ここが正念場だと思い気合いで乗り切ろうとするが、簡単に諦めさせてくれるぐらいには痛い。
堪らずナースコールを押す。...誰も来ない。
医療従事者には感謝を(略
数分後もう一度ナースコールを押すと女性の看護師が来てくれた。が、「痛み止め出してくれると思うのでちょっと待っててねー」と言い残してその後30分以上何の音沙汰もなく苦しみ続けた。
待った果てに届いたのが錠剤のアセトアミノフェン。逆プラシーボ効果だ。痛みは止まらない。
その後も苦しみ続けて、たまたま様子を見に来た男性の看護師に痛みを伝えると、痛み止めの点滴をだしてくれて、ゆっくりと痛みは消えていった。
辛かった。

夜   痛み止めがしっかり効いてぐっすり眠れた。
あと疲れてたのもありそうな気がする。


11/18
朝   痛みはだいぶ和らいでいる。ほとんど痛くない。一応リハビリ前に痛み止めを出してもらい痛みはほとんど消えた。
リハビリは順調。

昼   会社の上司がお見舞いに来てくれた。
色々動いてくれていたらしい。感謝。
かなり元気が出た。心強かった。

夜  痛みが多少あったが、ぐっすり寝れた。
チソチソに管が通ってたが、抜いた。あの感覚は思い出したくない。


11/19
朝  5:00頃起床。早起き。
改めて自分の腹部を確認したが割とグロかった。

昼  リハビリお姉さんがフレンドリー。
くしゃみをしたらありえないくらい痛かった。

夜  ゲームの世界大会を観戦して就寝。
明日はもっと良くなるといいな


11/20~11/22

この3日間は特に何も無かった。
起きて歩いて寝る。繰り返し。


明日退院する事が決まった。今回かかった費用は想像より安かった。
12/4に再来院。それまで自宅療養で、検査で何も問題なければ社会復帰。いい休暇だった。

腹部の傷は癒えきって無いし、食事制限もあるけど早く家に帰られることに越したことはない。


痛い思いや辛い思いが多かったけど良い経験になりました。健康って大事やね。


橋本

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