見出し画像

「芸術空間の系譜」(高階秀爾)に基づいて〜ピカソはなんであんな変な絵を描いたのか【最近読んだもの】

タイトル 「芸術空間の系譜」
著者 高階秀爾
昭和42年9月20日、鹿島出版会

たまたまタダで手に入ったので読んでみたら、結構面白かった。芸術とその背後のものの見方を、原始時代から現代の抽象画までたどっている。

全9章あるが、第8章「キュビズムの空間意識」をクローズアップして紹介しようと思います。なぜならそうすることで、

「ピカソはなんであんな変な絵を描いたのか」

という問いに、一応の回答を出せそうだからです。

(タイトルの「〜」以下は僕が勝手に付け足したもので、このコラムのサブタイトル的なものです。ピカソの絵が良いか悪いか、好きかどうかはともかく、「なんであんな変な絵を描いたのか」とは多くの人が思うんじゃないだろうか。

1.「ピカソの変な絵」とは

ここでいうピカソの「変な絵」とはもちろん、「アヴィニョンの娘たち」、「貯水槽」、「ゲルニカ」などのキュビズムの絵のことだ。余談ながら、ピカソはキュビズム以外の絵も多く残しており、「初聖体拝領」のように普通に「きれいな」絵も描ける。

一言で言うと、歴史の流れの中でピカソだけでなくピカソの周りも含めて俯瞰すると、その理由の一端がわかるようだ。

2.ピカソはセザンヌの影響を受けている

第8章の主題は、ピカソやブラックらキュビズムの画家と、その一つ前の世代であるセザンヌとの間の「つながり」を追いながらも、同時にその「断絶」を解き明かすことにある。

「キュビズムの歴史を扱ったどのような本を見ても、セザンヌの名前と、『自然を円錐と、円筒と、球体によって扱うこと』という彼の有名な一句が必ずと言ってよいほど登場してくる。この言葉は、故郷エクス・アン・プロヴァンスに引きこもってしまった晩年のセザンヌが、若い友人エミール・ベルナールに宛てた手紙のなかに見出されるものである」
同書 第8章 キュビズムの空間意識 p181

ピカソは1881年生まれ、セザンヌは1839年生まれ。つまりピカソが20代の頃、セザンヌはすでに65才の老巨匠であった。キュビズムの絵画に登場する人や物は、たしかに円錐、円筒、球体に還元されているように見える。

ピカソの「変な絵」にたどり着くには、まずセザンヌの足跡を少し追わねばならならない。


3.セザンヌの絵

セザンヌは「印象派」に分類されるが、より細かくは「ポスト印象派」、もしくは「後期印象派」に分類される。モネやピサロの後の世代だ。次の一節が端的に大事なことを言っている。

「対象のもつ説明的、逸話的な面を切り捨てて、もっぱらその造形性に注目するということは、すでに印象派の仲間たちがやっていたということである。(中略)ロマン派から印象派に至る十九世紀絵画の流れのなかで、最も大きな変化のひとつは、ある意味内容を持った『主題』が大きく後退して、『モティーフ』がクローズアップされてことである。」
同第8章 p185

人、物、風景などの描かれる対象が持つ意味が排除されて、その造形性のみを重要視する=モティーフをクローズアップする、という考え方は、印象派で(たぶん)初めて出てきたものであり、それはポスト印象派にも、その後のキュビズムにも共有されているということだ。

よし、だんだん「変な絵」に近づいてきた。

セザンヌは、この印象派の理念を受け継ぎながらも、反発も感じていたのである。

「彼はモネやピサロの色彩世界があまりに感覚的であって、『堅固なもの』に欠けていることにはっきりと不満を感じていたのである。(中略)三次元世界の基本的な形態を確保することによって、すべてが光と色の微妙な交錯のなかに溶け込んでしまった印象派の世界に古典的造形世界を恢復したいという意図からにほかならなかった。」
同第8章 p186

「堅固なものを作りたい」という表現が、エミール・ベルナール宛ての手紙(前掲)に出てくるそうだ。

しかしながら、セザンヌは印象派の表現技法がしっかり身についている。彼はこれを前提として、印象派の絵が失ってしまった確固たる立体感を、取り戻そうとしていたのである。たいへんだ。そこで出てきたのが次の言葉だったわけである。

「自然を円錐と、円筒と、球体によって扱うこと」

これと、「空気を感じさせるための青みがかった色彩」とで、セザンヌは三次元の奥行きを表現しようと悪戦苦闘していた。「サント・ヴィクトワール山」がその実例だ(たぶん)。

ようやくここでピカソに目を向けられる。

4.ピカソ

ピカソは、モティーフの重視という点ではセザンヌと同じである。しかし、印象派への反発がないという点で、セザンヌと決定的に違っている。絵画に奥行きを取り戻そうという発想がそもそも無い。モティーフの重視を、自由自在に追求することができた。

キュビズムの特色の一つとして、「視点の移動」、「視点の複数化」がしばしば挙げられるが、かねがね僕は納得できなかった。それだけで「アヴィニョンの娘たち」のような絵ができるはずが無いと思ったからである。高階はその辺を実に的確に説明してくれている。

「複数の視点ということよりも、対象との正常な距離関係を喪失したというそのことにいっそう意味があったのであり、そこにこそキュビズムの新しさがあったのである。」
同第8章 p192

ここで結論を要約することができる。

ピカソがあんな変な絵を描いた理由は、次の3つである(もしかしたらもう一つか二つくらいあるかもしれない)。

① モティーフを重視した(意味を排除した)、

② 視点の移動と複数化

③ 距離感の喪失(3次元にこだわりがなかった)

高階の本は結構古い。というか50年以上前の本だが、キュビズムの説明は今読んでも新しさがあるように感じられる。

5.未解決の論点

さてここで、1個未解決の論点がある。「視点の移動」、「視点の複数化」はどこから出てきたか?ということである。これはセザンヌには全くなかったもので、印象派からの流れでは説明できなそうである。(たぶん何か他の本には書いてありそうな気はする)

高階は次のように指摘するだけに留まっている。

「キュビストたちのこのような視覚世界は、人間中心的な次元からはるかに拡大された空間世界をもたらした。(中略)キュビズムの登場とほぼ時を同じくして、近代的な都市のイメージが登場してきたことはけっして偶然ではない。都会風景というものは、(中略)その対象はあまりにも巨大であり、多様であって、個人中心的な統一的視覚世界をもたらしにくい。」
同第8章 p196〜199

キュビズムの視点をずらすという方法が、秩序立っていない近代都市のイメージから生み出されたのかもしれない、と主張しているように読み取れる。しかしここはちょっと、ここまでの高階の冴え渡るような洞察に比べると、踏み込みが浅いように思われる。視点をずらすという方法を説明するために、取ってつけたように近代都市を登場させている。

おそらくは宗教の相対的な価値の低下、価値観の多様化など、統一的な視点の成立を難しくする世相がまずあって、そこからキュビズムや近代都市のイメージが発生したということじゃないだろうか。このあたりも含めて論じられていたら良かったと思う。

ある芸術作品がその時代に受容されるのは、多くの同時代人の共感を得るからであり、それがとりも直さず、芸術が時代の意識を反映しているということだからだ。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が面白い、役に立った、と思った方はサポートをお願いします。