見出し画像

心に伝わるということ・・さいはてに生きる

能登に生きる人たち、彼らには特徴があります。人との繋がりを大切にしていて、情に厚い。そこから生まれる信頼関係は並大抵のものではなく、おそらく簡単に裏切ることが出来ないものに感じます。

さいはての谷内のおとうふ

石川県輪島市町野町にて、昭和35年から親子3代にわたり営んでいる豆腐店「エステフーズ谷内」。昔ながらの製法と原材料にこだわると共に、祖父の代からの行商の精神を今に受け継ぎ今でも移動販売を行っています。

現在は3代目の谷内孝行(やち たかゆき)さんが、地元のお客様たちにさらに必要とされる豆腐屋を目指して、日々ご家族とともに頑張っておられます。この3代目孝行さんにお話をお伺いしたことをこのnoteに綴りたいと思います。

谷内孝行氏 中学校卒業後少年工科学校(自衛隊の学校)に入学。15歳で親元を離れ21歳で退職し実家に戻ってこられ、3年ほど前に代表を交代し現在代表取締役として経営されている。

孝行氏が見てきた父母の背中

孝行さんが幼い頃は土日に一緒に出掛けることもなく、一緒にいる時間が短かったせいか父である誠孝(せいこう)さんに怒られた記憶はないそうです。仕事が終わった夕方、補助輪を取るために自転車を押してもらったり、キャッチボールをしたり、豆パンの豆だけくれたり‥そんな何気ない些細な日常だけが脳裏をよぎるといいます。

実家に戻ってきて事業を引き継ぐための修業を行ううちに少しずつ見えてきた両親の事がありました。3時過ぎからいつも仕事をはじめ、お昼休憩を2時間程とり、17時の仕事終わりまで働いていた両親の姿。お母様である雅子(まさこ)さんも、誠孝さんが仕事をするかたわら、週2回は20時頃まで仕事をしていました。

製造がお休みの日でも移動販売、配達、休み明けの準備をしており、ゆっくりできる時間などはありません。10月頃から冬にかけては水に手を入れるのがしんどくて、足も長靴で冷たいばかりか工場には冷暖房設備がないのです。(空気を喚起するため常に換気扇が回っているから)

中腰の姿勢が多く、重いお豆腐を持つことが日課で、孝行さんからしたら何もかもが辛い仕事としか印象がなかったそうです。

職人気質の誠孝さんだったため、あまり孝行さん本人の意見を言わないまま数年我慢していましたが、少しずつ豆腐の事を勉強していくうちに、自分なりのやり方を見出していき誠孝さんに話すようになりました。

しかし一筋縄ではいかず誠孝さんはやり方を変えようとはしません。考えた結果、孝行さんは周りから変えていきました。そして孝行さんがいた方が仕事が捗るという状況になった時に初めて誠孝さんに対して仕事の提案をし、聞いてもらえるようになったのです。

それには13年かかり、誠孝さんが亡くなる半年ほど前の話です。今現在の立場になって初めて父と同じ目線で自分を見られるようになり、当時の自分の頼りなさなどを実感している孝行さん。一人で工場で作業している時に色々思い出すそうです。

変わっていく体と変わらない職人気質

2020年秋ごろから誠孝さんは原因不明の眩暈、吐き気、頭痛、難聴などが体に出てきました。まともに歩くことも困難になるほどでした。亡くなる3週間前まで行商に行っていたある日、行商から帰って鞄を放り投げ床に崩れ落ちるように座った誠孝さんに孝行さんは「なんで休んでないん?」と聞きました。そうしたら、「お客さんに休むって言っていないから」と言われ言葉が出なかったそうです。

それが孝行さんが見た仕事から帰る父の最後の姿でした。翌朝、スマートフォンに誠孝さんから電話があり、頭痛で起きられないと言われ、そこから仕事をすることが出来ず……2020年10月21日に入院し、その後7日後に息を引き取りました。

このメーターの写真は退職金で誠孝さんが購入し、乗っておられた車のものです。亡くなられた後1年点検で戻ってきた車の走行距離は1308㎞でほぼ病院への通院だけだったということが伺えます。孝行さんはこれを見た瞬間涙が止まらなかったそうです。

亡くなってから気づくことも多く、先代の頃から毎週豆腐を買い続けてくれる人から話を聞くと、自分の知らない姿が聞けたりそのお客様たちが孝行氏を可愛がってくれるのもご先祖様の生き方、働き方がお客様の心に残っていて、姿はないけれど形を変えて見守ってくれているんだなと実感するそうです。

今心に思うこと

孝行さんの成長を待ったあと、居なくなった誠孝さんを想うと自分のために生きてくれたような感覚だと孝行さんは語ります。誠孝さんの生き方から学ぶことはとても多く、亡くなってからその存在はより大きくなっているとのこと。

誠孝さんが亡くなったあと、孝行さんが久しぶりに父のスマートフォンの電源を入れると、もういない父の誕生日を一緒に祝ってくれている方からのメッセージが届いていました。その方はいつも誠孝さんが立ち寄る時間になるとコーヒーを淹れなくちゃと思われるそうです。こうして人の心に残るということはそれまでの生き方が本当にまっすぐで素晴らしいからこそだと思います。

昨年のお正月に働きっぱなしの両親を孝行さんがグアムに連れて行った時の写真です。厳しかったという誠孝さんからは想像できない柔らかいお顔ですね。孝行さんが愛されていたことが伝わり、それゆえの厳しさもあったのだと思います。ふと見せる顔にその愛情が滲み出ています。

それが今になって孝行さんに伝わり、それが仕事に生かされています。最高の親子関係ではないでしょうか。反発しなければ生まれない感情もあると思います。この親子は真剣にぶつかり分かち合えた関係だと思います。このお話を聞いて思ったことは能登半島のどこにも根付く「心に伝わる」ということです。私たちも、大切にしていきたいですね。

記事を書くにあたり沢山のお話を聞かせて下さった孝行さん、ありがとうございました。
写真掲載も快く受けて下さり感謝致します。

執筆者:能登デスク
校正協力:上田聡子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?