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映画について書いたもの

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映画評や映画文化にまつわる文章。
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2023年に映画館で見た映画ベストテン

図らずも2023年の最後(12月29日)に映画館で見た映画が『ヘル・レイザー』(監督:クライヴ・バーガー/1987年)であったことが何をか暗示しているのかどうか、いまこの段階では考えあぐねているところだけれども、昨年からはじめて1年ほど経ったところでピタリと更新を行っていたnoteをひさしぶりに開く口実に今年もカレンダーに記された記録を遡りながら順不同で10本を選んでみる。 『カード・カウンター』(監督:ポール・シュレイダー) とても地味な作品と言えるだろうが、今年幾度と

PFFアワード2023 初日の短評

自主映画の登竜門として45回を迎えた「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」、昨年は最終日だけ参加してPFFアワード受賞作のみを見ることができたが(その時の短評)、今年は逆に初日だけ参加できたアワードに入選した22作品にうちの8本を見た。これらが何らかの賞をとるのかはわからないが、自分の備忘録と、2回目の上映のときの誰かの参考のために記しておく(アワード作品は会期中2回上映される)。 *PFF2023は9月9日から23日まで、東京の国立映画アーカイブで開催。入選作品は10月

Crimes of the Future(監督:デヴィッド・クローネンバーグ/2022年)

本当に好きなものについて書くのは難しい。クローネンバーグの映画はその類いである。 1980年代半ば、小学生のころにテレビではしばしばホラー映画の特集番組が放送されていた。世の中でそれが流行していたかどうかも知らない、ただただ怖いもの見たさで指の隙間から見ていた子どもだった私の脳裏に強烈に残ったのは、襲いかかってくる殺人鬼やゾンビではなく、裂けた腹部にビデオテープを押し込める様である。夜に見ている悪夢そのままのイメージに吐き気を覚えてうっとりしたのは、思えば自覚する以前に自分

ぼくたちの哲学教室(監督:ナーサ・ニ・キアナン/2021年)

映画の帰り道、「《哲学》と言うからなんだか難しいかなと思ったけど、道徳の授業みたいな感じなのかもね」と一緒に見た中学生の娘に何気なく話しかけると「いや、ぜんぜん違ったよ」と真面目な顔で返してきた。 彼女が受けている道徳の授業は、身近に起きたことが題材になるわけではなく、教科書に書いてある物語、それも「そんな極端なこと普通起きないよ!」と思うような話をもとに行われるため、だいたいみんな同じ答えに行き着くらしい。それに、考えたり話し合ったりする時間があんなにないとのこと。 今ど

TAR (監督:トッド・フィールド/2022年)

見てからしばらく経つのだが、もう一度見なければいけないような、しかし、もう一度見たところでケイト・ブランシェットにまた目が釘付けになって2時間半を終えるだろうと思われるので、とりあえず走り書きのメモを残すことにする。 そう、さまざまな映画評を読んだり、見た知人友人たちの感想を聞いても、誰もがリディア・ター=ケイト・ブランシェットに目が釘付けだったと言う。ターが実在の人物と思った人々がいるというまことしやかな話も納得できるほど、ケイト・ブランシェットの存在は確かなものである。

聖地には蜘蛛が巣を張る (監督:アリ・アッバシ/2022年)

イスラム教と言えば厳しい戒律に律された社会が想像されるが、そんな国でも世界最古の職業である娼婦は存在するらしい。イランで実際にあった娼婦を狙った連続殺人事件をモチーフにした、それも、リベンジポルノでイランからフランスへ亡命を余儀なくされたかつての国民的女優が主演するサスペンス映画。スキャンダラスな実話ものかと構えて見始めたものの、始まって早々に犯人は明らかとなってしまう。それによって、この映画のサスペンスたる所以が殺人鬼の凶行そのものではないことはすぐに分かったのだが、ではど

郊外の鳥たち(監督:チウ・ション/2018年)

中国の地方都市。地盤沈下のため地質調査に訪れた青年は、廃校となった教室に残された日記を手にする。そこでは同じ名前の少年が生き生きと街で暮らしていた。それはかつての青年なのか、それとも単なる偶然なのか、映画はその問いに答えようともしないまま進んでいく。 数年の時を隔てているとはいえ、大まかには二つの物語が語られているだけのはずなのに、そもそも二つの物語は一つのものであったのか判然としないのはなぜだろう。睡眠中に見る夢のような、と言っても良い。夢というものは、起きてから思い出そ

Rocks Off(監督:安井豊作/2014年)(『セントラル劇場でみた一本の映画』より)

これは、『セントラル劇場でみた一本の映画』(2019年)というリトルプレスに寄稿したものである。2018年に閉館した宮城県仙台市の映画館「セントラル劇場(セントラルホール)」にまつわるエッセイを集めた本書は有志二人による企画で、その編集を手伝ったついでに自分も書いた。すでに入手困難なようなのでここに掲載する。 あれは「爆音映画祭 in 仙台2015」の年、2015年6月6日の夜である。爆音映画祭の始祖・boid主宰の樋口泰人氏との友情と個人的な趣味の問題として、当時各地で行

鈍行旅日記(監督:福原悠介/2023年)

10代後半から20代前半まで、わりと好んで一人旅をしていたように思う。とは言え、おおよそまめに旅の計画を立てることもなく、道中に見知らぬ人と交流するほどの社交性もなかったので、最低限の目的地とそこへ到る安価な方法を考えたら出発し、結果、移動時間は飽きるほど長く、目的地に着いたところで時間を持てあまし、喫茶店でコーヒーを飲みながら持参した本を読んでいるといった体たらくが多かった。今にすればそれが最も贅沢な旅の一種だと思えるけれども、当時なぜそんな旅に出るのか自分でもよくわからず

無法の愛(監督:鈴木竜也/2022年)

鈴木竜也監督は、昨年(2022年)のPFFぴあフィルムフェスティバルで『MAHOROBA』を見たときに短評を書いた。同じく2016年のPFFで見た『バット、フロム、トゥモロー』の監督であること、また同郷であることを知り、急に親しみがわいていたのだが、それは必ずしもそうした理由からだけではない。 コロナ禍で時間ができたのでアニメづくりを独学でやってみた、というだけあって「一人でつくったがすごいCGである」などということは一切感じない、むしろこれなら真似できるのではないか?と思

ケイコ 目を澄ませて (監督:三宅唱/2022年)

『コーダ あいのうた』(シアン・ヘダー監督/2021年)や『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督/2021年)がアカデミー賞を取ったこともあり、ろう者を描いた映画、そして、ろう者を演じること、ろう者が演じることについて、多くの人が関心を寄せられるようになった昨今。撮影や編集など映画的な技術だけでなく、福祉、マイノリティーや労働問題などさまざまな視点から批評されるであろう題材をどう撮るのだろうという興味と心配は正直あった。ただ、監督がインタビューで「ボクシング映画は既に数多く撮

七人楽隊(監督:サモ・ハン、アン・ホイ、パトリック・タム、ユエン・ウーピン、ジョニー・トー、リンゴ・ラム、ツイ・ハーク/2021年)

香港は国ではない。中国の一部(特別行政区)である。第2次世界大戦のときには日本軍が占領したこともあるが、近代史から現代史の範囲に到るまでイギリス統治下にあった場所。しかし、もう私には1997年の返還後の記憶のほうが長い。経済的な繁栄を謳歌しつつ、一国二制度という奇妙な仕組みを与えられた、国のようで国ではない場所。一度も訪れたことはなく、子どものころテレビで見たジャッキー・チェンのカンフー映画と、TM NETWORK『Get Wild』のMVでメンバー3人があてどなく歩く背景、

アフター・ヤン(監督:コゴナダ/2021年)

AIロボット、アンドロイド、サイボーグ……どのような表現でも良いけれども、画面に立つ、あるいは、横たわる俳優をそう名指してしまえば、もう体から光を発したり、怪力を示す必要はない。「未来」という言葉が必ずしも喜ばしくも輝かしくも感じられなくなった今日、SF映画がSFたる意味は「現在とは別の世界線を示す」ことであると言える。 ほんの少し違和感を与えるような素振りを加えれば、私たちはすんなりとSF的設定を受け入れる。ロボットのヤンは、ほんの少しだけ肌や表情が滑らかすぎる演出がほど

まなざしの解像度

河北新報夕刊「まちかどエッセー」に2021年7月から隔週で8回にわたり書いたもの。「河北新報オンライン」が会員制になったというのでここに再録する。 この連載で自らに課したルールに逆らって書いた一篇。まったくの言葉足らずだが、それでもこういうことが書かれているのが新聞というものだろうと思って担当者にお願いしたら快く載せてくれた。 (初出:河北新報夕刊「まちかどエッセー」2021年10月11日) 前々回とりあげた映画『ドライブ・マイ・カー』(監督:濱口竜介)について、手話ので