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アーカイブ:2000-2009年

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2000-2009年のあいだに、せんだいメディアテークの企画に関するものや各種媒体(新聞や小冊子など)に寄稿した文章。
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記事一覧

「retake-とらえなおされる日常-」コンセプト・ノート

これは、2002年にせんだいメディアテークで開催した「retake-とらえなおされる日常-」を企画するときのメモである。開館2年目の最初の企画で、展覧会・上映会・ワークショップを組み合わせたものであった。私は全体のコンセプトと、展示作家の一部、上映企画、ワークショップの基本的なアイディアを担当した。20年も経った今読むと「SNSがない時代」を実感する。 ところで、当時の分担からしても私がギャラリーの企画に関わることは想定外であった。このまま展覧会の仕事もコンスタントにしていた

「hot spot plan report(椎名勇仁)」評

これは、2001年春に宮城県仙台市にあったwhat's art galleryで開かれた展示のために書かれたものである。 初出:不明(2001年) 世界は何によってできているのか? あるいは、世界を何によってか再現できるか? 椎名勇仁は、はじめて会ったギャラリーの片隅で「粘土でこの世界を作ることができると思っている」と言った。 世界を粘土で作ることはできない、と最初に言っておこう。世界の形を模すことはできても、世界は形だけでできているのではない。叙情を廃せば、粘土は土の塊

「我ガタメニ躰ヲヒトツ(山内宏泰)」評

これは、2001年冬にwhat's art gallery(宮城県仙台市)で開かれた展示のために書かれたものである。山内氏は、宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館に勤め、2011年の東日本大震災後には多くの人が彼の仕事を知るところになった。一度なにかのシンポジウムの席でご一緒したが、かつてこの展示について書いたことがあり、顔が判別できないほど暗いギャラリーのなかで話したことがあるのを伝えることはできなかった。 初出:記憶なし(2001年) 山内宏泰の作品を見るとき、はじめに

彫ることと残すことのあいだに -高橋健太郎展『内在する意志』

これは、高橋健太郎展『内在する意志』(2005年4月24日-5月1日/what's art gallery[宮城県仙台市])のために書かれたものである。美術評といえるものを書いたのは、このギャラリーのためだけであり、記憶にある範囲では、山内宏泰氏(2001年)、椎名勇仁氏(2001年)、青野文昭氏(2003年)、そしてこの高橋健太郎氏である。 初出:「what's art」(発行:what's art gallery/2005年) 辞書通りに考えるのならば、おおよそ彫刻とい

崩れゆく部屋と透明な建築の呼応—「ペドロ・コスタ 世界へのまなざし」

この文章は、2005年にせんだいメディアテークで企画した上映と展示「ペドロ・コスタ 世界へのまなざし」(2005年3月19日-29日/せんだいメディアテーク7階スタジオシアター、6階ギャラリー)に際して、未来社のPR誌『未来』(2005年3月号)に寄稿したものである。今思えば暴挙としか言いようのない仕事だったが、それもさまざまな人たちの協力_それを友情と言ってもよい_によるもので、これを書く機会を得たのもその一例である。 初出:『未来』No.462(2005年3月) まるで

「ヤマガタ」の名とともに映画は世界をめぐる

2006年に山形国際ドキュメンタリー映画祭がNPO法人化するにあたり、山形新聞が組んだ特集に寄稿したものである。この映画祭は、学校を卒業してすぐにせんだいメディアテークの仕事に就き、専門でもないのに上映会を企画しなくてはならなくなった私にとって、映画の先生の一人であったので、山形市が映画祭をNPO法人化すると決めたことへの批判を込めたつもりだった。 初出:山形新聞(2006年4月) 山形市の隣、仙台市にあるせんだいメディアテークでは、開館以来、山形国際ドキュメンタリー映画祭

キャメラのむこうにある<リアル>

せんだいメディアテークで2002年に企画した上映会「キャメラのむこうにある<リアル>」の企画を考えているときに構想メモとして書き、上映会当日の配付資料に掲載したものである。当日は故・佐藤真監督も来館されお話しいただいた。その記録映像は現在メディアテークのライブラリーで見ることができる。それを見直しながらこのテキストのことを思い出したのだが、若さと無知はおそろしいもので、佐藤監督を前によくもこんなことを書いたものだと20年経って震え上がっている。 初出:『キャメラのむこうにある

「DOTMOV 2006」のためのテキスト

2006年に札幌(SOSO)と仙台(せんだいメディアテーク)、そして大阪(digimeout)で開かれたデジタル映像のイベント「DOTMOV2006」のフライヤーのために書かれたもの。当初は仙台での開催にあたって簡単な紹介を書くだけのつもりだったが、主催のSHIFTの大口岳人さんからのオーダーによりこのような形になった。 2000年代のメディアテークではこのような映像関係の企画が多く行われていたけれども、2011年を境に行われることはなくなる。東日本大震災があったということも

プチブルのひそかなたのしみ-凝視できない隣人を凝視するためのワイズマン-

この短い文章は、2002年5月30日付けのテキストファイルというだけで、何のために書いたのか思い出せない(思い出したら追記する)。しかし、当時せんだいメディアテークで企画した『映画への不実なる誘い』の打ち合わせか何かでお茶をご一緒しているとき、その講師である蓮實重彦氏からふと「あれ面白かったですよ」と言われたことだけは憶えているので、どこかに載ったものであることは間違いない。そして、たとえそれが社会人3年目になったばかり、映画をろくに知りもしないままの若造へのリップサービスだ

『女中たちのボレロ』のボレロ (『女中たちのボレロ』 /作:大信ペリカン/演出:いとうみや/2008年/白鳥ホール)

知人の紹介で参加した『リレーエッセイ仙台』なる本を作るという遊び?のために書いたものの完全版である。映画で言えば「ディレクターズ・カット」(ちなみに、往々にしてディレクターズ・カットは監督の思いが強すぎて作品としては冗長で退屈になりがちである、と伏線を張っておく)。というのも、その本は執筆した人だけに配られる本をつくるもので(それでも200人はいたはず。図らずもそこに小学生からの幼馴染みがいて驚いた)、遊びとはいえ原稿の文字数が限られており、それに掲載したものはこの半分に縮小

バスタブだけの部屋

当時仙台市内でギャラリーを運営したりしていたNPOリブリッジが発行するフリーペーパー『リブリッジ・ホテル』のために書いたもので、「ホテルに深夜チェックインする客が紹介する本」という設定で依頼され、それからすぐ15分ほどで書かれている。ある種のパロディであり、ただひたすらふざけているだけではあるが(当時ささやかに面識があった「菊地成孔さん風に」といったノリで)、おそらく人生で書いた中でもっとも“速い”文章であることには違いない。初出:『リブリッジ・ホテル』(2005年) こん

イレネオのために映画を

『ショートピース!仙台短篇映画祭2003』(2003年10月11-13日/せんだいメディアテーク)のために書いた文章である。初出:『ショートピース!仙台短篇映画祭2003 パンフレット』(2003年) 映画のはじまりは短篇であった。 それを単なる発明というより発見されるべきものとしてこの世に送り出したリュミエール兄弟が作った映画のなかでも、最も古いもののひとつに『工場の出口』という作品がある。文字通り工場の出口から次々と人が出てくる様子を撮影したもので、いくつかのヴァリエ

幻肢痛、または、あらかじめなかった身体の記憶 (ALTERATION 2003/青野文昭個展)

宮城県仙台市にあったwhat's art galleryで行われた『ALTERATION 2003』(青野文昭個展)のために書いた文章。今はできる限り美術から距離をおいて暮らしたいと思っているが、当時はそんなことまで頭が回らず、子どものころからお世話になっていたギャラリーの方に頼まれるままに書いた批評のようなもの(おそらくこのギャラリーのためにしか書いたことがない美術評というものの一つ)である。 初出:『what's art gallery catalogue_青野文昭』(2