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『鏡の国のアリス』の刺さる文章たち

アリスと言えばディズニーアニメが有名だが、原点となったのはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』だ。その不思議の国の続編として、『鏡の国のアリス』という作品がある。

私は不思議の国の方に登場する例の虫がとても苦手だったため、アリスだけは何があっても見なかった。はらぺこあおむしも見なかった。怖いから。

某楽曲に「ハンプティダンプティ」の歌詞が出てきたときに初めてマザーグースと鏡の国のアリスの存在を認知し、ハンプティダンプティのために鏡の国のアリスを買って読んだ。

鏡の国のアリスでは特徴的な言い回しが多い。というかキャラクターのほとんど全員が屁理屈ばかり言うので全体的に拗れているように感じる。

その中でも、特に印象深かった文章を挙げていこうと思う。

第2章 生きている花園

>「ここでは同じ場所に留まっているだけでも、精いっぱい駆けてなくちゃいけないんですよ。」

登場人物の一人である赤の女王(有名な’’ハートの女王’’とは別人)に鏡の国の世界の説明を受けるシーンだ。いきなり赤の女王がアリスの手を取り走り出したかと思えば、いきなり立ち止まる。長い間駆けていたはずなのに変わらない景色にアリスは戸惑う。赤の女王は先の台詞と共に「ほかの場所に行きたいなら2倍の速さで駆けなくちゃ」と告げる。

たまに自己啓発的なアカウントが『その場に留まりたいのなら全力で努力しなければならない。別の世界に行きたいのならその2倍頑張らなければならない。』みたいなことをツイートしているのを見る。明らかに赤の女王の言葉だ。間違いであると否定するつもりはないが、物語の本質を捻じ曲げて自分に都合の良いように解釈しているなぁと思った。この赤の女王の言葉は努力の大切さを説くものではなく、単なる『とんちき』表現だ。不思議の国は不規則で、とち狂ったキャラクターばかり出てくる反面、鏡の国では規則自体が狂っている。この台詞はそれを顕著に表しているに過ぎない。’’走らないと同じ場所に留まれない’’という私たちの世界では有り得ない法則が鏡の国では当たり前のルールとして存在することが『とんちき』であり、このアリス作品の面白いところであると思う。

こういう類いの狂気を現実に持ち込むのは勝手だが、とんちき世界だからこそ成り立つとんちきルールを大真面目に信じている姿は傍から見たら頭がおかしい。この言葉をどう良いように解釈しようが、とち狂った世界のとち狂った規則を説明しただけの台詞だという事実は変わらない。自己啓発に利用するのに適さないとは思うが、まぁ、個人の勝手だから口を出す気はない。頭がおかしいなとは思う。

アリス作品で女王と言えば「首を刎ねよ!」のハートの女王が有名で、恐ろしいイメージが強い。だが赤の女王はそのイメージとは正反対で、優しいキャラクターである。

「のどがからから!」と疲れ切ったアリスに赤の女王は「ビスケットはどう?」と優しく微笑む。女王を怒らせないためにぼそぼそのビスケットを無理やり口に詰め込むアリスをよそに道順の説明とお別れの準備をして、それが終わるともう1つビスケットを勧める。喉が渇いて疲れ切った相手に100%の善意でビスケットを渡す女王。もしかしたら、立ち止まるために走らないといけない世界では喉が渇いたときにビスケットが好ましいのかもしれない。秩序が狂っている。狂っているが、この世界のルールに則れば赤の女王は優しくて聡明な人間である。赤の女王は良い人である。

>「英語で何と言うのか分からなくなったら、フランス語で言うことね。歩くときはつまさきを外側に向けること。そして、自分が誰かっていうことを忘れないように!」

赤の女王は鏡の国の世界で歩を進めるために大事なことを別れ際に説明してくれる。アリスも読者も世界に翻弄されっぱなしな状態が続くので、この忠告は有難い。赤の女王は良い人だ。

第3章 鏡の国の昆虫たち

この章ではアリスが機関車に乗った色々な動物に「切符がないの?」「手荷物として送り返さなくちゃ」「郵便で送り返さなくちゃ」だのなんだの好き勝手言われる。アリスが反論するといちいち「洒落か?」と冷やかす虫もいて、可哀想なことに耳元で虫の洒落を聞かされる。黙ってられないアリスはもちろんキレる。

>「そんなに冗談言いたいなら、どうして自分で作んないの?」

めちゃくちゃキレてるみたいに見えるから、私はアリスのこの言葉が大好きだ。映像化されたアリス作品にこのシーンがあると大喜びする。観てないから知らんが’’ハエ相手にレスバするアリス’’なんて聞いたことないから多分どこにも無い。

第4章 ソックリディーとソックリダム

トゥイードルとトゥイードルディーは比較的有名かもしれない。彼らは不思議の国のアリスの名がついたコンテンツに頻出するし、ディズニーアニメにも登場するため多くのグッズが市場に流れている。トゥイードルディーとトゥイードルダム、通称ディーダムは勝ち組の双子だ。

ディーダムは寝ている王様を見ながらアリスに「あんたの夢を見てる」「あんたは王様の夢の中の人間だ」「もちろん、俺たちも」「王様が起きればみんなまとめて消える」と滅茶苦茶を言う。滅茶苦茶だが、『鏡の国のアリス』の命題である’’この世界は誰の夢の世界?’’という問いに大きく関わるシーンである。

そういう小難しい解釈はとりあえずどうでいもいい振りをして本編の話に戻すが、ここで泣きじゃくるアリスに

>「泣いたって、ほんとの存在になれるわけじゃないし」

>「泣くことなんかありゃしない」

とトゥイードルダムが声をかける。泣いてるアリスが煩わしいのか、言葉以上の意味はないのかは知らないが、泣くアリスに笑ったりしないだけ性格の良いキャラクターだなと思った。

第5章 羊毛と水

この章では赤の女王に次いで、二人目の女王が登場する。こちらも前作のハートの女王から連想されるような独裁的性格は持たない。ただ、赤の女王と同様におかしな規則を唱えだすタイプの変な人だ。

>「私が後ずさりの生き方してるせいなのよ。記憶が前後両方に働くの。」

>「過去のことしか思い出せないなんて、あなたの記憶力は情けないわね」

この白の女王も分かりやすく変な法則の中で生きている。未来のことも記憶しており、先に叫び声をあげておくことで怪我したときに喚かなくて済むと言う。罪を犯す者がいれば罪を犯す前に罰する。だいぶ馬鹿げているが、白の女王の言葉を読むと何となく説得力があるような…ないような……感じがする。圧はある。

>「ほら、ちゃんと血が出たでしょう」女王さまはにっこり、「これでこの土地の物事の順序がわかったでしょ」

>「でも、どうして今度は喚かないの?」アリスはいまにも耳をふさぐ手つきだ。

>「だってもう十分喚いといたもの。いまさら繰り返して何になるの?」

厄介な法則を説くせいで頭のおかしいキャラクターにしか見えないが、この人も女王や双子同様にアリスに優しい人である。アリスがぽろぽろ泣き始めると女王さまはおろおろしながら泣き止ませようとする。

>「あんたは立派な娘だってことを考えなさい。今日は散々歩いたんだってことを考えなさい。いま何時かを考えなさい。ともかく考えること。泣くのだけはおやめ!」

>泣いていたアリスもこれには思わず笑ってしまった。

第6章 ハンプティ・ダンプティ

ハンプティ・ダンプティはマザーグースのなぞなぞ唄の『Humpty Dumpty』が元になった卵野郎である。

Humpty Dumpty sat on a wall,
ハンプティダンプティが塀に座った

Humpty Dumpty had a great fall,
ハンプティダンプティが落っこちた

All the king's horse and all the king's men
王さまの兵隊と馬たちみんなが力を合わせても

Couldn't put Humpty together again.
ハンプティは元に戻らなかった

’’塀の上に乗せたら転がり落ちて、転がり落ちたら元に戻らないものは何?’’という問いで、答えが『卵』のなぞなぞだ。鏡の国のアリス本編でもこのハンプティダンプティがそのまま使われ、卵頭のへんてこなキャラクターとして登場する。卵に手足が生え、顔が付き、上等なネクタイを着けているため様々なカードゲームで珍妙なクリーチャーとして登場することもある。ハンプティダンプティは見た目がとにかく気持ち悪いのだ。

そしてハンプティダンプティは性格も悪く、名前を聞いたばかりの関係であるアリスに「あほらしい名前だ」とバカにし、イライラしながら「その名前の意味は?」と尋ねる。自分の名前の意味を嬉しそうに語りながらアリスをバカにし続ける。作中で最も意地汚いキャラクターかもしれない。

アリスが心配して「どうして一人で塀にこしかけてるの?」と聞けば「ほかに誰もいないからだよ」と揚げ足をとるし、「地面に降りたほうが安心だよ」と言われれば「仮に落ちても王さまがなんとかしてくれる」と反論する。アリスの心配や助言をすべてなぞなぞとして捉えて、言い返すために必死に揚げ足を取る。Twitterでよく見る光景だ。

ただハンプティダンプティにも可愛いところはあり、しおらしくしたアリス相手には落ち着いて話をする。アリスが振ったネクタイの話を続けてくれるし、見せてくれる。この一瞬だけ良い人だ。

ハンプティダンプティだけが唱える規則には’’不誕生日”がある。誕生日はたった1日しかないが不誕生日は364日もあるから良い、らしい。この素敵な考えに触発されたのがハンプティダンプティという雑貨屋で、誕生日以外の日も素敵に過ごせますように!という素敵な願いが込められている。ディズニーでも”Happy Unbirth Day”の概念があると小耳に挟んだ。素敵な文化だと思う。私は誕生日じゃない日より誕生日の方が好きだけど。

私はこの傲慢で不細工で珍妙で面倒くさいハンプティダンプティが作中で一番好きなのだが、好きな理由は1つだけで、以下の言葉を平気な顔して言うからだ。

>「僕が言葉を使うときは、その言葉は僕が言いたかったことをぴったり意味する言葉になる。それ以上でもそれ以下でもない」

>「問題は、言葉と僕のどちらが主導権を握るかってこと。それだけ」

この後に動詞は気難しいやら形容詞はあんたでも扱えるやら何やらいろいろと続くが脱線しそうなので割愛。ハンプティダンプティは言葉を完璧に使役できると考えているぐらい傲慢で、口から出任せを言う虚言癖のような言動を繰り返すどうしようもないキャラクターであるが、言葉をキッチリ定義する能力に長けているところに強く惹かれた。自分の言いたいことを言葉に詰めるということは、その言葉の意味を聞かれたときにちゃんと自己の表明を行えるということで、感情と思考の言語化を得意としている。つまりハンプティダンプティはお気持ち表明のプロだ。私はハンプティダンプティのような人間が友達に欲しい。いや距離が近いと面倒くさそうだから片道フォローでいい。片道フォローでいいからハンプティダンプティのような人を見つけたい。
ハンプティダンプティ、私と出会ってくれ。

第7章 ライオンと一角獣

この章に出てくる白の王さまはとても口うるさい。さらに面倒くさい。

「見たところ誰もいませんけど」とアリスが言えば「ダレモイマさんが見えるなんて、わしもそんな目がほしいよ」と皮肉を言うし、話しかけようとして「失礼ですけど」と言えば「失礼なら言わなきゃいい」と黙らせようとする。これもTwitterでよく見る光景だ。ただし作者のルイス・キャロルはTwitterの人間よりも頭が良いのでユーモアたっぷりに相手の論に水をぶっかける。

>「気絶したときはウマゴヤシが”いちばん”だよ」

>「冷たい水でもぶっかけたほうがいいんじゃないかしら」

>「”そのほうがいい”などとは言わなかったぞ。”いちばん”だってはっきり言ったはずだ」

ウマゴヤシと冷たい水を比較してそれらの有用性を語るのではなく、アリスが王さまの話を聞かなかったことだけを非難する物言いだ。これによりどちらが優れているかの根拠を出さずともアリスがすべて悪いように見える。所詮は屁理屈に過ぎないのでディベートの場では弱いだろうが、裁判では強そうだ。

この章には王さま以外にも牢屋から出てきたばかりの帽子屋(不思議の国キャラ?)と、ウサギ(不思議の国キャラ?)と、ライオンとユニコーンが登場する。アリス作品に登場するユニコーンと聞くとまたとんちきな化け物を想像するが、案外良い奴だった。

>「子供なんて、伝説上の怪物だと思い込んでいたが」とユニコーン、「生きてるのか?」

>「あたしだってユニコーンさんのこと、伝説上の怪物だと思ってたわ!生きてるユニコーンに会うのなんて初めて!」

>「なるほど、互いに今相まみえたってわけか。あんたが俺を信じるなら俺もあんたを信じるよ」

良い。好ましい。真っ当。こんなまともなこと言うキャラクターがいたなら絶対に人気出ると思うが、人気出てない様子を見るとシンプルに知名度が低いのだと思う。なぜディズニーは癇癪起こして暴れだす双子のディーダムの知名度を底上げしてまともなユニコーンはクビにしたんだろう。まともだからかな。

第8章 「これはわしの発明だ」

アリスが白の騎士と共に歩き進めるだけの章だ。特に言うことがない。

>「わしが歌ってきかせると、誰だって目に涙を浮かべるか__さもなければ」

>「さもなければ?」

>「さもなけりゃ涙を浮かべないか、だね」

そりゃそう。

第9章 女王アリス

この章では赤の女王と白の女王が女王になったアリスと話をする。とても大好きな章だから、もし鏡の国のアリスが映像化するならこの章に一番力を入れてほしい。女王3人が言い合いしながら手取り合って慰め合う様子を綺麗な映像で見たい。どうあがいてもどう考えてもオタクはこの章が好きになる。

でも態度と口は各々だいぶ悪い。

>「あたし、べつにそんな意味なんかなくて__」

>「そこが気にくわないのさ!あんたは意味があるべきですよ。意味のない子供なんて何の役に立つの?冗談一つにしろ、きっと意味がなくちゃ。ましてや子供は冗談よりずっと大切よ」

おどおどした弱弱しいのがアリスで、キツい言い方するのが赤の女王だ。

>「いい直しても無駄よ。いったん口に出したらそれで決まり。自分で責任を取らなくちゃ。」

これも赤の女王。赤の女王は良い人だけど、平気な顔してマウントを取ってくるし言葉の意図ではなく意味を追求しがちだ。

鏡の国のアリスでは、このnoteで触れていないところでも意味について色んなところで言及されている。
反対に、不思議の国のアリスは不規則で感情的な描かれ方が多い。『何も考えてないだろお前』と言いたくなるようなキャラクターばかりで、クルクル変わる世界に振り落とされそうになりながらも、読んでいて楽しかった。不思議の国は楽しかったし、面白かったけど、どちらかと言えば私は『鏡の国のアリス』の秩序的で論理的で屁理屈で傲慢な言い回しとキャラクターと展開が好きだ。

ルイス・キャロルが愛しのアリス宛に書いた『不思議の国のアリス』と、出版を目的にして書かれた『鏡の国のアリス』は、同じシリーズの物語だけど全く違う読後感を味わえると思う。
例の虫が大ッッッッ嫌いなせいでディズニーアニメのアリスすらも憎かったけど、読んで知ったおかげで例の虫への耐性がつきそう。夢に出なくなったぐらいには平気になってる。可愛いなぁと感じるまでにはあと5年ぐらいかかりそうだけど、もう少し耐性ついたら映像のアリス作品を見漁ろうと思う。

デイリーお気持ち表明の書くものがないからって軽率に鏡の国のアリスの話をするんじゃなかったなと若干後悔してる。量が多い。
いつか鏡の国のアリスが単体でスポットライトを浴びますように。

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