見出し画像

【小説】執行者 #02

第二話:ルミナス聖国

女神の名を冠すルミナス聖国の大聖堂、その荘厳な空間に似合わない不穏な空気が流れていた。
大司教の執務室に召された聖女アリシアは香油のほのかに甘い匂いを纏い、神妙な面持ちで教皇グレゴリウス7世の前に立っていた。

アリシアは金色の髪に碧眼が印象的、まだ若く美しい女性だった。
歳は20代前半といったところか。
純白の衣をまとい、額には金の装飾が輝いていた。

彼女はこの世界では稀有な存在である「聖女」として人々から崇められていた。
そして女神の声を聞くことができると噂されている。
癒しの力を持ち、また敵対する勇者から人々を護るため強力な結界【護国】を張ることもできた。
その力は、正しく「女神ルミナから授かったもの」と人々から信じられている。

アリシアが歩くたびに彼女の清廉さを表す衣がたなびき女神の体現者のよう。そして誰にでも優しく接し、困っている人がいれば見捨てることはできない。まさに「聖女」と言った存在だろう。

一方の教皇、グレゴリウス7世は60代半ばのやせ形の老人だ。
宗派のトップである彼は白髪に加え、幾筋もの深いしわが刻まれている。
鋭い目つきは、まるで相手の心の奥底まで見通すかのようだ。

教皇専用の豪奢な衣を身にまとっているが、どこか質素な印象を与える。
彼の佇まいからは長年の経験で培われた知恵と信仰心を感じ取ることができるほど。

「アリシア、重大な知らせがあると聞いている」

グレゴリウス7世は穏やかな口調で尋ねたが、その眼差しは鋭く、先の報告を促すようだった。

「はい、教皇様。先日の祈りの中で、女神ルミナ様より信託を受けたのです」

アリシアは一呼吸置くと、静かに続けた。

「女神様より、『神隠し』を遣わすとの御告げがございました」

その言葉に、グレゴリウス7世の表情が一変する。

「『神隠し』だと? それは、一体どういうことなのだ?」

アリシアの報告に耳を傾けながら、グレゴリウス7世は彼女の心中を推し量っているようだった。
一方でアリシアは戸惑いを隠せずにいた。
『神隠し』という言葉の真意を、彼女はまだ理解できていなかった。

その時、執務室の扉が不意に開かれる。
現れたのは、銀髪に青い瞳を湛えた…男?無表情、だがどこか空恐ろしさを覚える面を着けている。
長身で、がっしりとした体格。年齢は30代半ばから40代前半といったところか。
聖堂にまるで相応しく無い黒い衣装で身を包んでいるその風貌、『死』の印象を抱かずにはいられない。

「私が『神隠し』だ」

男は無機質な冷たい声で告げる。

「こちらで動くには拠点が必要だ。大聖堂の地下を使わせてもらえるかね?」

続け様に男は、やはり無機質な声で告げた。

なぜ地下のことを知っているのか、この男は何者なのか、やはり女神の遣いとは真実なのか。グレゴリウス7世は頷くしかなかった。

「かしこまりました。地下の奥には、『影の回廊』と呼ばれる迷宮と見紛う隠し通路がございます。そちらを自由に活用していただければと……」

大聖堂には地下礼拝場があり、その奥『影の回廊』へ辿り着く。大回廊の正体は自然のトンネルを利用した抜け穴。岩山をくり抜いたトンネルの様相で追っ手からの追跡を困難にするのであろう。

長い間使われていない部屋がいくつも連なっている。
彼はふむ、と納得した様子で大きめの部屋を選ぶと「ぱち」と指を鳴らした。

すると二人の後ろから「呼びましたかな?」と声がした。
突如として、執事服に身を包み片眼鏡をかけ、口に真っ白な髭を蓄えた老齢の紳士が彼らの後ろに現れたのだ。二人が驚きを隠せないままにいると男が語りかける。

「室田、到着早々だがここを拠点とする。必要なものを誂えてくれ」

男はそう告げると、老人に向かって手を振った。

「かしこまりました」

ムロタと呼ばれた老人は、恭しく頭を下げると、早々に準備を始めた。

「腰をやるなよ、お前ももういい歳だからな」

その言葉からは、二人の長年の付き合いが窺える。

「ご心配には及びません。これでも『若返って』ございますので」

ムロタは軽口を叩きながら、手際よく部屋の掃除を始めた。
やがて、埃っぽかった部屋は、少しずつ人の住める空間へと変わっていく。蝋燭の光が煌々と辺りを照らす。

グレゴリウス7世とアリシアは、信じがたい光景を目の当たりにしていた。
男の言葉一つで、老人が現れ、瞬く間に拠点が作られていく。まるで魔法のよう。

実際には室田がニルに代わりポイントで取り寄せていたのだが。
拠点作りのせいで女神から渡されたポイントはすっかり空っぽだ。

「室田は私の執事だ。なに、特に気にする必要はない」

その言葉には、感情が乗ったものではないがムロタへの信頼が滲んでいるようであった。

アリシアは男とムロタの関係を見て、安堵の表情を見せる。
(この方も、信頼できる者を持っておられるのですね…)

男の人となりを少しだけ垣間見たような気がしたからだ。

一方グレゴリウス7世は、男の真意を測りかねていた。
(この男は、本当に女神の意志を体現する者なのだろうか…?)

彼の脳裏に仮面越しの男の冷ややかな眼差しがよぎる。
その眼差しは我々、教皇や聖女を気にもせず見下すかのようだったのだ。

だが、彼は女神への信仰心を胸にそんな疑念を振り払った。

こうして、男のルミナス聖国での拠点作りは、着々と進んでいった。

「失礼します。あなたは、一体何者なのでしょうか…?」

アリシアは、恐る恐る尋ねた。
グレゴリウス7世も、同じ思いを抱いている。

男は、二人の問いかけを無視するように、窓の外を見つめた。
しばらくの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。

「私は、ニル・ブラウ。"女神"の執行者」

その言葉に、アリシアは息を呑んだ。
一方グレゴリウス7世は「むむ」と重々しく頷く。
彼の意図を即座に理解したからだ。
だがそれは同時に……自分たちも「彼」の標的になり得ることを意味していた。教会にとってら安堵と脅威の両面を孕んでいる。

「ニル・ブラウ様、あなたには是非とも、教皇直属の暗部として活動していただきたい。我らにできる限りの協力は惜しみません」

グレゴリウス7世は、覚悟を決めたように言った。ニルは満足げに頷く。

「……及第点だ。必要な時は室田に声をかけておいてくれ」

ニルの要求に、グレゴリウス7世は応じる。
こうして、ニル・ブラウは教皇直属の暗部の長となった。
女神の意志を体現する者として、必要とあれば暗殺をも厭わない。そして刃の向き先は自分たちであるとも限らない。

アリシアとグレゴリウス7世は、そんな彼らの様子をいまは見守るしかなかった。

(ニル・ブラウ、一体何者なのでしょうか…)

アリシアの脳裏に、疑問が去来する。
彼は本当に女神の意志を体現する者なのだろうか。女神が、まさか人殺しを望むのだろうか。では一体彼は何なのだろうか。思考がループする。

一方のグレゴリウス7世も複雑な思いを抱いていた。
(ニル・ブラウ……彼を味方につけておくことが、教会の安寧のためには必要不可欠だ。だが、彼の存在が、いずれ教会を脅かす可能性もある……)

グレゴリウス7世は彼に全幅の信頼を寄せているわけではない。
だが、彼を敵に回すことは、教会の危機を招くことになるだろう。

彼は早速室田に淹れさせた紅茶を啜りながら窓の外を見つめている。そこからは暗い通路が覗くだけ。
その瞳は何を見据えているのだろうか。
テーブルの上にはいつ置かれたのであろう、茶菓子の甘い香りも漂ってきた。

ティーカップは白くクラシックな形、紅茶の色が美しく映える。青の模様もおそらく手書きなのだろう、微妙な濃淡で描かれている。

「さて、と」

彼は静かに呟きテーブルにカップを置く。
久々の糧を得るための日々が……今始まろうとしているのだった。

そして、それは同時にルミナス聖国の運命を左右する重大な事件の幕開けでもあった。

「神隠し」ニル・ブラウの真の目的はまだ誰にも分からない……

↓next


趣味を出していきたい(願望)
美味しいお茶、コーヒー、茶菓子。異世界ではどんなリラックスタイムを過ごせるんだろう。そんな事子ばかり考えています。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?